3:ルミナリア王国
――その瞬間。
メイドさんの表情から、ふっと血の気が引いた。
「……っ!」
銀のトレイがかすかに揺れ、ティーカップが小さく音を立てる。
「お、お嬢様……それは……本当でございますか……?」
震える声。
私は内心で「ごめん!」と全力土下座しながらも、表面上は不安げな顔を作って小さく頷いた。
「名前は……たぶん『リア』なんだろうな、っていうのは分かるの。でも、それ以外が曖昧で……」
「……っ」
メイドさんは唇を引き結び、何かを堪えるように目を伏せた。
や、やばい?
これ重すぎた?
すると彼女はすぐにハッとしたように顔を上げ、深く頭を下げた。
「も……申し訳ございません! お嬢様がお苦しみの最中だというのに、取り乱しました……」
「い、いや! そんな!」
むしろこっちが取り乱してる。
メイドさんは胸に手を当て、静かに微笑んだ。
「ですが……お命が無事だっただけでも、奇跡でございます」
その言葉に、私は少しだけ胸が引っかかった。
……やっぱり、かなり危ない状態だったんだ。
メイドさんはベッド脇の椅子へ静かに腰掛ける。
「無理に思い出そうとなさらないでくださいませ。医師も、『強い衝撃のあとには記憶が混乱する場合がある』と申しておりました」
おお、めちゃくちゃ都合がいい。
異世界医療ナイス。
私は慎重に探りを入れることにした。
「……あの」
「はい、お嬢様」
「もし良ければ……色々、教えてもらってもいい?」
メイドさんは一瞬だけ驚いたように目を瞬かせ、それから優しく頷いた。
「もちろんでございます」
助かったぁぁぁ!!
私は心の中でガッツポーズを決める。
メイドさんは一礼すると、改めて口を開いた。
「改めまして。私はお嬢様付き侍女のミゾレと申します。幼い頃より、お嬢様のお世話を任されております」
ミゾレ。
綺麗な人だけど、名前まで綺麗だった。
というか今、さらっと聞き流しかけたけど。
幼い頃より?
それってつまり、この身体の持ち主とはかなり長い付き合いってことでは?
家族同然とまではいかなくても、相当近しい存在のはずだ。
まずいな……記憶喪失でもないのに別人だと気付かれたら、色々と面倒なことになりそうだ。
私は余計なことを口走らないよう注意しながら、できるだけ自然な顔で頷いた。
「ミゾレ……」
「はい」
「えっと……ここは、どこ?」
ミゾレは少し困ったように笑った。
「ここはルミナリア王国、王宮二階のお嬢様の寝室でございます」
ルミナリア王国。
よし、異世界確定。
日本じゃない。
王国! ファンタジー! キタ――――!!
私は真面目な顔を保ちながら、内心ではテンションが爆上がりしていた。
ミゾレは説明を続ける。
「お嬢様はルミナリア王国第一王女。国王陛下の娘であらせられます」
「第一王女……」
思わず復唱する。
え、待って。
私、想像以上にすごい立場では?
モブ転生じゃないの!?
ミゾレはどこか誇らしげに微笑んだ。
「民からも大変慕われております。お優しく、誰にでも分け隔てなく接してくださるお方ですから」
……うっ。
急にプレッシャーが。
前世アイドルだったとはいえ、王女経験ゼロなんですが?
愛想笑いなら得意だけど、国を背負う系は聞いてない。
私は冷や汗をかきながら、さらに気になっていたことを口にした。
「ね、ねえミゾレ?」
「はい、お嬢様」
「この世界って……魔法、あるの?」
その瞬間。
ミゾレがきょとん、と目を丸くした。
「……はい? ございますが……」
あるんだ!?
私は思わず身を乗り出しかけた。
「ドラゴンとか!?」
「りゅ、竜種のことでしょうか……? はい、一応は存在しておりますが、人里へ現れることは滅多にありません」
「エルフは!?」
「おります」
「きたぁぁぁ……!」
思わず叫んだ。
ミゾレが完全に困惑している。
やばい。
テンションがオタクそのものになってた。
私は慌てて咳払いした。
「ご、ごめん……なんか、その……少し安心しちゃって」
「安心……でございますか?」
「う、うん」
いや安心どころか大興奮なんだけど。
するとミゾレは、どこかほっとしたように柔らかく微笑んだ。
「……お嬢様が、そのように元気なお声を出されたのは久しぶりでございます」
「え?」
「事故の前は、ずっと思い詰めておられましたから」
その言葉に、私は目を瞬かせた。
「……思い詰めてた?」
ミゾレはハッとしたように口を閉ざす。
「あ……も、申し訳ございません」
空気が少しだけ変わった。
さっきまで穏やかだった彼女の瞳に、わずかな陰が差す。
……なんだろう。
「ねぇ……ミゾレ」
「……はい、お嬢様」
「もし良かったら……事故の前、何があったか教えて」
どうしても気になった私は、思わず聞いてしまった。
「ご……ごめん! 話したくないなら無理に話さなくてもいいから!」
「いえ……大丈夫です。しかし……」
「しかし……?」
ミゾレは言葉を切ったまま、ぎゅっと唇を噛み締めた。
その細い肩が、かすかに震えている。
まるで……口にしてはいけないことを前にしているみたいに。
「……私は、あの事故の出来事をお話しする事で、お嬢様がまた苦しまれるのではないかと……それが怖いのです」
「え……?」
「事故の前のお嬢様は、とてもお辛そうでした。眠れぬ夜も多く、食事もほとんど喉を通らず……」
ミゾレの声は、どこか痛みを堪えるように震えていた。
「だから……せっかく今、お嬢様が笑ってくださっているのに……過去を思い出すことで、また以前のようになってしまわれたらと……」
私は思わず目を伏せた。
……そんなに。
本物のリアは、そんな状態だったんだ。
知らないはずなのに、胸の奥が少しだけ締め付けられる。
「……ミゾレ」
私はできるだけ優しく、安心させるように声をかけた。
「大丈夫だよ」
「お嬢様……」
「怖いことかもしれないけど……ちゃんと知りたいの。私は、私のことを知らなきゃいけないと思うから」
それに――と、私は小さく笑う。
「今の私の傍には、ミゾレがいてくれるし」
その瞬間。
ミゾレの紫水晶のような瞳が、大きく揺れた。
驚いたように、そして少しだけ泣きそうに。
「……本当に、お嬢様はとても優しいお方なのですね」
「そ、そうかな?」
「はい。以前のお嬢様と何も変わらず……本当にお優しい。本当に……」
ミゾレは静かに息を吸う。
覚悟を決めるように。
そして、ゆっくりと語り始めた。




