1-26:決着
「ところでお前……ズー王国って国を知ってるか?」
その名前を聞いた瞬間。
ミゾレの瞳が僅かに揺れた。
「……存じております」
静かな声で答えた。
「獣人や動物達が共に暮らしていた理想郷。争いも少なく、豊かな自然に恵まれた国。しかし――」
ミゾレは少し言葉を詰まらせた。
「今はもう滅んでしまった国……ですよね」
「そうだ」
ガロウが笑う。
今度の笑みは、どこか懐かしそうだった。
「俺はその国の長だった」
戦場が静まる。
誰もが耳を傾けていた。
「毎日が楽しかった」
遠い昔を思い出すように語った。
「朝起きりゃ仲間がいてよ。外ではガキ共は走り回って、飯はうまくて、酒もうまい」
自然と口元が緩む。
「そして強ぇ奴と手合わせして、夜は皆で騒ぐ」
その瞳には確かに幸せだった頃の光があった。
「最高だったぜ」
だが、次の瞬間。
その表情が歪む。
「……三年前まではな」
空気が冷えた。
「三年前のある日、ヤツが来やがったんだ……魔王がな」
ガロウの拳が震える。
「突如、ヤツは俺達の前に現れて、こう言いやがったんだ」
憎悪に満ちた声で吐き捨てる。
「――『お前達の力が欲しい』ってな」
たったそれだけだった。
「当然、俺達は断った。誰がお前なんかに従うかってな」
ガロウは自嘲気味に笑う。
「そして戦った」
その笑みが消える。
「国中の戦士達と一緒によ。皆で力を合わせて、あの化け物を止めようとした。だが――」
ガロウは悔しそうに歯を食いしばった。
「勝てなかった」
拳に力が入る。
「強すぎたんだよ、あいつは」
低く掠れた声が響く。
「何百人で挑んでも届かねぇ。何千人で挑んでも倒せなかったんだ……」
その赤い瞳に怒りと悲しみが滲む。
「そして気が付けば、仲間や家族……そう、皆死んでいたんだ」
ガロウはゆっくりと拳を握り締めた。
「そして最後に俺達は――」
その拳から血が滲む。
「魔王に呪いをかけられ……」
ドクン――
黒い魔力が溢れ出した。
「魔人と魔獣に変えられてしまったんだ」
ガロウが苦しそうな顔をする。
「魔王に呪いをかけられた、その日から……」
ガロウは自らの身体を見下ろした。
「俺は何も感じなくなった」
苦しそうな笑み。
「何をしても、楽しいとも、嬉しいとも、幸せだとも思えねぇ」
虚ろな声だった。
「心がずっと闇に沈んでる……何をしても満たされねぇ。常に心の中は空っぽの状態なんだ」
そして、赤い瞳がミゾレを見据える。
「だが、唯一心が晴れる時があったんだ」
狂気が戻る。
「それは……人間を襲ってる時」
ゾクリ、と空気が震えた。
「殺してる時だけ」
ガロウは笑った。
「その時だけ、モヤが消えたように心が晴れ、満たされていたんだ」
だが、その笑みは壊れていた。
「だけど……俺は苦しかった」
声が震える。
「本当は分かってたんだよ。こんなの間違ってるってな」
ズー王国の長だった男は、本来こんな男ではなかったのだろう。
「それでも止められなかった。だが半年前……」
ガロウの目に僅かな光が宿る。
「ついに魔王が倒された」
しかし、その光はすぐに消えた。
「これでやっと終わると思った。呪いも消えると思った」
拳が震える。
「ついに……俺達は元に戻れると思ってたんだ。」
歯を食いしばる。
「なのに――」
声が割れた。
「何も変わらなかった」
絶望。
その一言に尽きた。
「仲間も戻らなかった。国も戻らなかった。けれど……」
ガロウの表情が怒りに変わる。
「この“呪い”は、ずっと残り続けたんだよぉ!!」
ガロウの全身から膨大な闇が噴き出す。
「だから決めたんだよっ!」
槍を握る手に力が入る。
「こうなったら欲望のまま生きてやるってなぁ!」
ドォォォン!!
ガロウが再び突撃した。
「表世界の人間を皆殺しにする!」
槍が唸る。
「そして魔人と魔獣だけの世界を作る!」
連撃。
連撃。
連撃。
「お前にッ!!」
轟音。
「お前にわかるかァァァァァ!!」
槍が大地を砕く。
「この苦しみがァァァ!!」
ミゾレは静かに受け流した。
「この絶望がよォォォォ!!」
槍が迫る。
だが、ミゾレはその攻撃を鎌で受け止めながら静かに口を開いた。
「そうですね」
ガロウの動きが一瞬止まる。
「少しだけ」
ミゾレは昔を思い出すかのように少し遠くを見る。
「わかる気がいたします」
「……あぁ?」
「私も昔は暗闇の中におりました」
その声は穏やかだった。
「生きている意味などない」
槍を受け流す。
「いつ死んでも構わない」
鎌が閃く。
「そう思いながら生きておりました」
ガロウの瞳が揺れる。
「ですが」
ミゾレは微笑んだ。
「ある日」
その瞳に優しい光が宿る。
「私の心に光が灯ったのです」
リアの顔が脳裏に浮かぶ。
「暖かく、優しく、生きる力を与えてくれる光でした」
ガロウが槍を振り下ろす。
ミゾレは正面から迎え撃つ。
「私は今、その光のために生きています」
ギィィィィィィィン!!
激突。
「その光をくださった主人のために」
さらに力を込める。
「そして――」
瞳が鋭くなる。
「主人……お嬢様の笑顔を守るために私は今、闘っているのですっ!」
パキッ――
小さな音が鳴った。
ガロウの目が見開かれる。
「……は?」
黒槍全体へ無数のヒビと亀裂が走っていた。
「なっ――」
そして。
バァァァァン!!
黒槍が粉々に砕け散った。
「なぁにっ!?」
ガロウが絶叫する。
信じられなかった。
この槍は魔王から与えられた最高級の武器。
今まで一度たりとも破壊されたことはない。
「俺の……槍が……?」
呆然とする。
その一瞬、ミゾレの姿が目の前から消えた。
「――終わりです」
静かな声だった。
だが、その一言には確かな死の宣告が込められていた。
背後。
ガロウの獣のような本能が危険を察知する。
「――ッ!」
咄嗟に振り返る。
だが、もう遅い。
そこには既に――振り抜かれた漆黒の大鎌があった。
ズバァァァァァッ!!
耳を裂くような斬撃音。
黒い軌跡を描いた大鎌が、ガロウの胸元を深々と切り裂く。
鋼を断つような衝撃。
鮮血が宙に舞った。
「がっ――!?」
巨躯が大きく揺らぐ。
凄まじい反射神経を誇るガロウですら、防御も回避も間に合わなかった。
完全な死角から放たれた、必殺の一撃だった。
「がっ……」
鮮血が舞う。
「ぐ……はぁ……」
膝が崩れ、そのまま巨大な身体がゆっくりと地面へ倒れていく。
ドォォォォン!!
大地が揺れた。
ミゾレは静かに大鎌を下ろし、目の前に倒れたガロウを見つめながら、小さく呟いた。
「貴方もまた……被害者だったのですね」
戦場に静寂が訪れた。
誰もが目の前の光景を信じられずにいた。
王国軍を壊滅寸前まで追い詰めた怪物。
魔人、魔獣達を率いる王。
ガロウ。
その男が今、地面へ倒れている。
そして、その前には静かに立つミゾレの姿。
一拍の沈黙。
次の瞬間だった。
「か、勝った……」
誰かが呟く。
「勝ったぞ……!」
その声をきっかけに。
「勝ったぁぁぁぁぁ!!」
「やったぞぉぉぉ!!」
「ミゾレ様!!」
歓声が爆発した。
王国軍の兵士達が拳を突き上げる。
傷だらけの者達も。
倒れていた者達も。
皆が歓喜していた。
◇◇◇
避難所でも同じだった。
「やったぁぁぁ!!」
「助かった!」
「終わったんだ!」
「勝ったんだぁぁぁ!」
泣きながら抱き合う人々。
子供達も笑顔になっている。
絶望に覆われていた空気は完全に消え去っていた。
「よかった……」
私は、その場にへたり込んでいた。
全身から力が抜ける。
気付けば涙が溢れていた。
「ミゾレ……」
胸を押さえる。
苦しかった。
本当に怖かった。
もう二度と会えなくなるんじゃないかと思った。
でも、ミゾレは勝った。
ちゃんと生きている。
それだけで胸がいっぱいだった。
「本当によかった……」
安堵の涙が止まらなかった。
◇◇◇
一方。
戦場では、ミゾレがゆっくりとガロウへ近付いていた。
その手には、闇を凝縮したかのような黒鎖が握られていた。
先ほど使用した拘束魔法を簡略化した術式だろう。
「これで終わりです」
倒れたガロウを見下ろしながら静かに告げる。
「貴方を拘束いたします」
すると。
ガロウが小さく笑った。
「……なぁ」
弱々しい声。
「なんでしょうか」
「何故だ」
赤い瞳がミゾレを見る。
「何故、俺にトドメを刺さねぇ」
ガロウの胸から血が流れている。
既に満身創痍。
誰が見ても敗者だった。
「俺は何万人も殺した」
自嘲するように笑う。
「そして、この王国を滅ぼそうとした」
そして。
「何故、そんな俺を生かすのか?」
ミゾレは少しだけ目を伏せた。
脳裏に浮かぶのは一人の少女。
金色の髪。
蒼い瞳。
優しい笑顔。
リアだった。
そしてミゾレは微笑む。
「我が主人――お嬢様の願いだからです」
ガロウが目を細める。
「願い……?」
「お嬢様は優しい方です」
どこか誇らしげに。
「敵であろうと無意味に命を奪うことを望まれません」
鎖を構える。
「ですので、私は貴方を殺しません」
ガロウはしばらく黙っていた。
やがて。
「……そうか」
ガロウが力なく呟く。
その表情からは先ほどまでの狂気が消えていた。
どこか、諦めたような顔だった。
ミゾレは鎖を伸ばす。
これで終わる。
誰もがそう思った。
しかし――
ガロウが笑った。
不気味に。
ゆっくりと。
「なら……お前の負けだ」
ミゾレの眉が僅かに動く。
「何を――」
言いかけた瞬間だった。
ブシュッ――
嫌な音が響く。
ミゾレの身体が止まった。
時間が止まったような感覚。
ゆっくりと。
本当にゆっくりと。
ミゾレは自分の腹部を見る。
そこには、一本の腕が突き出ていた。
金色の毛に覆われた巨大な獣の腕。
鋭い爪。
血に染まった手。
その腕は、ミゾレの腹部を綺麗に貫いていた。
「――っ」
ミゾレの瞳が見開かれる。
口元から鮮血が零れた。
「か……はっ……」
赤い血が地面へ落ちる。
ぽたり、ぽたり、ぽたり……と。
戦場が凍り付いた。
誰も理解できない。
今、何が起きているのか。
◇◇◇
映像を見ていた私も、一瞬、何が起こったのか理解できなかった。
「え……?」
声が出ない。
視界が揺れる。
映像の中では。
ミゾレの腹部から血が溢れていた。
その光景を認識した瞬間。
心臓が握り潰されたような感覚が走る。
「ミ……ゾレ……?」
喉が震える。
嫌だ。
嫌だ。
嫌だ。
嫌だ。
嫌だ。
嫌だ。
嫌だ。
嫌だ。
次の瞬間。
「い……いや……いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
避難所中に響き渡るほどの悲鳴を私は上げていた。




