1-23:襲来
「失礼します。お嬢様、急ぎます」
ミゾレは私の手を取り、駆け出した。
「えっ、ちょっ――!」
突然のことに頭が追いつかない。
王宮の廊下では既に大勢の人々が慌ただしく動いていた。
使用人達。
文官達。
騎士達。
誰もが緊張した表情を浮かべている。
警報音は今も鳴り続けていた。
「ミゾレ! 一体何が起きてるの!?」
走りながら叫ぶ。
ミゾレは周囲を警戒しながら答えた。
「ガロウ軍による襲撃です」
「ガロウ軍……?」
「魔王軍残党の中でも最も危険視されている勢力の一つでございます」
息を切らしながら話を聞く。
「魔王討伐後、多くの残党軍は瓦解いたしました。しかし、ガロウ軍だけは違ったのです」
ミゾレの声が重くなる。
「彼らは各地の魔人、魔獣勢力を吸収しながら勢力を拡大していき、やがて《ガロウ帝国》と名乗る帝国を築き上げたのです」
「帝国……」
「はい。これまで幾つもの国や都市を襲撃し、今もなお領土を奪い続けて帝国は大きくなっております」
王国もその情報は掴んでいたらしい。
だから国境警備も強化されていた。
けれど――
「どうして急に……」
信じられなかった。
ついさっきまで魔法の練習を楽しみにしていたのに。
ほんの数分前まで平和だったのに。
なのに今は戦争の話をしている。
まるで現実感がない。
「お嬢様」
ミゾレが少しだけ優しく声を掛ける。
「大丈夫でございます。まずは安全を確保いたしましょう」
やがて巨大な魔法陣が刻まれた重厚な扉が見えてきた。
「こちらです」
扉が開く。
中へ入った瞬間――
「うわ……」
思わず声が漏れた。
地下に造られた巨大な避難施設。
既に多くの人々が避難していた。
メイド達。
料理人達。
庭師達。
文官達。
王宮で働く人々が不安そうな顔で集まっている。
その時だった。
「リア様!」
聞き慣れた声が響く。
声が聞こえてきた方を振り向く。
「あっ、ディアイン!」
そこにはディアインがいた。
「ご無事で何よりです」
「ディアインこそ無事でよかった」
その時、私はある異変に気づく。
確かディアインって国王側近のメイドのはず。
しかし、ディアインの近くに国王の姿が見当たらない。
私は慌てて周囲を見回す。
どこを見回しても国王の姿はなかったのだ。
私は恐る恐る聞いた。
「あれ、国王……お父さんは!?」
するとディアインが安心させるように微笑んだ。
「ご安心ください」
「え?」
「陛下は国王専用の特殊結界区画へ移動されております」
「特殊結界区画?」
「王国最強クラスの結界で守られた場所です。簡単に破られることはありません」
それを聞いて胸を撫で下ろした。
「よかった……」
その直後、避難所正面に設置された巨大な魔法映像装置が輝き始める。
空中に巨大な光の画面が浮かび上がった。
映し出されたのは王都西門。
そして――
「っ!!」
私は息を呑んだ。
地平線を埋め尽くすほどの軍勢。
黒い波。
いや違う。
これは魔人と魔獣の群れだ。
牙を剥く狼型魔獣。
巨大な角を持つ異形。
四本腕の怪物。
空を飛ぶ翼持つ魔獣。
咆哮が響き、大地が震える。
その大群が城門へ向かって雪崩れ込んでいた。
「来るぞ!!」
城壁の上で、騎士団長が剣を掲げた。
「魔法部隊――第一陣、発射ッ!!」
その号令と同時に、空に無数の光が咲いた。
城壁の後方に並ぶ魔法師達の足元から、幾重もの魔法陣が展開される。
赤。
青。
紫。
黄色。
色とりどりの魔法陣が上空を照らし出し、その光景はまるで空一面に花が咲いたかのようだった。
次の瞬間――
炎の奔流が放たれ、雷光が大気を裂き、氷の槍が雨のように降り注ぎ、数百を超える魔法が一斉に戦場へ解き放たれた。
轟音が大地を震わせる。
爆炎が幾つも咲き乱れ、突撃していた魔人、魔獣達を容赦なく飲み込んでいく。
「ギャアアアアアッ!!」
「グルルォォォッ!!」
悲鳴と咆哮が入り混じりながら、巨大な魔獣が吹き飛ばされていく。
魔人達も爆風に巻き込まれ、宙を舞う。
しかし――
敵軍も止まらない。
後方から次々と新たな魔物達が押し寄せてくる。
まるで黒い濁流だった。
「重装騎士隊、前へ!」
城門がゆっくりと開く。
そこに現れたのは、全身を鋼鉄の鎧で覆った重装騎士達だった。
巨大な盾を並べ、槍を構えるその姿はまるで鋼鉄の城壁そのものだ。
「突撃ッ!!」
「オオオオオオオオオッ!!」
雄叫びが空気を震わせた。
重装騎士達が一斉に駆け出す。
地面が揺れ、槍が突き出される。
その攻撃で次々と先頭の魔人の胸を貫き、そのまま後続ごと吹き飛ばした。
さらに左右から剣士達が飛び出し、銀色の剣閃が幾筋も走る。
魔人達の身体が次々と斬り裂かれ、鮮血が宙に散った。
後方では魔法師達が休むことなく詠唱を続ける。
「身体強化!」
「防御結界展開!」
「治癒術、発動!」
青白い光が騎士達を包み込む。
傷は癒え、身体能力は強化される。
王国軍の連携は完璧だった。
前衛が敵を食い止める。
後衛が支援する。
魔法部隊が敵陣を削り続ける。
その全てが一つの巨大な生き物のように噛み合っていた。
まるで鉄壁。
まるで難攻不落の要塞。
押し寄せる魔物の大軍でさえ、その防衛線を一歩たりとも突破できない。
やはり王国軍は強かった。
でも、それは数の力ではない。
長年の訓練によって鍛え上げられた、精鋭達の力だった。
「おお……勝ってる!」
「さすが王国軍だ!」
「これなら大丈夫だ!」
避難所から歓声が上がる。
だが――
私は喜べなかった。
映像の向こうで倒れていく魔人、魔物達。
さっき聞いた話が頭から離れない。
あの人達は元々――
人間だったかもしれない。
エルフだったかもしれない。
獣人だったかもしれない。
動物だったかもしれない。
「リア様……」
ディアインが心配そうに私を見る。
ミゾレもまた苦しそうな表情を浮かべていた。
その時だった。
戦場の後方で静かに戦いを眺めていた一人の男が、ゆっくりと腕をほどく。
その瞬間、まるで見えない何かが戦場を覆ったかのように空気が重くなった。
兵士達の背筋に冷たいものが走る。
誰も理由は分からない。
だが、本能が警鐘を鳴らしていた。
――危険だ、と。
男の視線が戦場をなぞる。
それだけで、まるで猛獣に喉元へ牙を突きつけられたかのような錯覚に襲われ、何人もの兵士が無意識に息を呑んだ。
彼の周囲だけ景色が歪んで見える。
風は止み、砂塵は地に落ち、喧騒に満ちていたはずの戦場から音が遠のいていく。
そこに立っているのは一人の男のはずだった。
だが誰の目にも、その男は人間、ましてや魔人や魔族とは別種の何かに映っていた。
災害が人の形を取って歩いているかのような、理解を拒む異質さ。
男は楽しげに笑う。
その笑みを見た瞬間、理由もなく足がすくみ、武器を握る手に汗が滲む者まで現れた。
「いいねぇ、いいねぇ……やっと少しは楽しめそうだな」
そう呟きながら前へ出る。
たった一歩。
それだけで地面を踏み鳴らしたわけでもないのに、兵士達は巨大な何かが迫ってくるような圧迫感を覚える。
まるで災厄そのものが動き始めたかのような気配が戦場を包み込んでいた――




