1-21:不穏
ルミナリア王国から遥か西。
海を越えた先に広がる荒野の地。
そこに、一つの巨大な軍勢が集結していた。
黒。
ただひたすらに黒。
黒い旗。
黒い甲殻。
黒い鱗。
黒い毛皮。
そして――人ならざる無数の魔人と魔獣たち。
鋭い牙を剥く者。
異形の翼を持つ者。
巨大な爪を地面へ突き立てる者。
その姿は千差万別でありながら、すべてが禍々しい黒に染まっていた。
大地を埋め尽くす異形の軍勢。
その数はもはや軍隊という言葉では表しきれない。
まるで災厄そのものが形を持ち、この地へ集ったかのようだった。
地平線の果てまで続くその光景は、まるで世界が闇に呑まれていく前触れのように見えた。
その異形の大軍勢の中心。
無数の魔人と魔獣たちが跪く先に、一際巨大な黒の天幕がそびえ立っていた。
天幕の内部は薄暗く、無数の魔導灯だけが妖しく揺らめいている。
その最奥、黒曜石で造られた玉座に、一人の男が悠然と腰掛けていた。
獅子のたてがみを思わせる黄金の髪。
血のように赤く輝く鋭い瞳。
鍛え上げられた肉体から放たれる圧倒的な威圧感。
その存在感は、周囲に控える高位の魔人たちですら息を呑むほどだった。
その男の名は――ガロウ。
魔人と魔獣を束ねる王。
ガロウ帝国皇帝。
幾多の国を滅ぼし、大陸に恐怖を刻み続けてきた絶対君主である。
その玉座の前では、凶悪な魔獣でさえ牙を隠し、高位の魔人でさえ頭を垂れる。
なぜなら、この軍勢において最も恐ろしい存在は魔獣でも魔人でもない。
玉座に座る、たった一人の皇帝なのだから。
「ルミナリア王国か」
低い声が響く。
目の前には巨大な地図。
そこにはルミナリア王国の領土が赤い印で記されていた。
「調査の結果は?」
問い掛けに、一人の将軍らしき魔人が膝をつく。
「はっ。王国軍主力の位置は把握済み。国境防衛部隊も現在の戦力であれば突破可能と思われます」
「王族は?」
「健在との報告です」
ガロウは静かに目を細めた。
「そうか」
短い返事。
しかし次の瞬間。
その口元が獰猛に吊り上がる。
「ならば好都合だ」
ガロウの口元がゆっくりと吊り上がる。
その笑みは獲物を見つけた猛獣そのものだった。
「魔王を討った国か……」
真紅の瞳に獰猛な光が宿る。
これまで数多の国を蹂躙してきた。
だが、そのほとんどは期待外れだった。
力を誇りながら脆く崩れ去る者たち。
名声ばかりが先行した弱者たち。
ガロウが求めるのは領土でも財宝でもない。
ただ一つ。
己の全力をぶつけるに値する強者との戦いだけだった。
「今度こそ、この俺を楽しませてみせろ」
低く呟いた声には、隠しきれない高揚が滲んでいる。
そして――
「奪え」
その一言で空気が震えた。
「この国も民も財も技術も全てだ」
将軍らしき魔人達が頭を下げる。
「はっ!」
「ルミナリア王国を我が帝国の属国とする」
ガロウはゆっくりと立ち上がった。
真紅の瞳が遠く東の空を見る。
その先にいるであろう強者たちを思い描くように。
「さぁお前達……進軍準備を開始しろ」
その宣言と共に。
戦争の足音が静かに動き始めた。
◇◇◇
「お嬢様、おはようございます」
柔らかな声が聞こえた。
「んぅ……」
私はゆっくりと目を開く。
朝日がカーテンの隙間から差し込み、部屋を優しく照らしていた。
そして。
「おはようございます」
目の前にはミゾレの顔。
「うわぁっ!?」
私は飛び起きた。
近い!
近い近い近い!
超絶美人メイドの顔が近すぎる!
「ミ、ミゾレ!?」
「はい」
「なんでそんな近くにいるの!?」
私が慌てて聞くと、ミゾレは少し首を傾げた。
「お嬢様の寝顔を見ておりました」
「なんで!?」
「とても可愛らしかったので」
「っ!?」
一瞬で顔が熱くなる。
なにその理由!?
しかも本人が悪びれる様子ゼロなんだけど!?
「寝ている時も本当に愛らしく――」
「ストップ!」
私は慌てて両手を振る。
恥ずかしい!
めちゃくちゃ恥ずかしい!
でも何故か、言葉を途中で遮られたミゾレは少しだけ不満そうだった。
なんで!?
◇◇◇
顔を洗い、身支度を整えた私は食堂へ向かう。
テーブルの上には豪華な朝食が並んでいた。
焼き立てのパン。
色鮮やかなサラダ。
香り豊かなスープ。
卵料理に果物まである。
「今日も豪華だなぁ……」
「栄養は大切でございますから」
確かにその通りだ。
私は席に座り、朝食を食べ始めた。
焼き立てのパンを口に運ぶ。
「おいしい……」
思わず声が漏れた。
幸せ。
朝から幸せ。
前世の私なんて、コンビニのパンを片手に慌ただしく朝を過ごしていたというのに。
それが今では、焼き立てのパンに温かいスープ。
しかも全部めちゃくちゃ美味しい。
やっぱり王女生活、すごい。
想像していた百倍くらいすごい。
そんなことを考えながら朝食を楽しんでいると――
「ところでお嬢様」
隣に控えていたミゾレが声を掛けてきた。
「本日はどのように過ごされますか?」
「今日は――」
私は即答した。
「また訓練所に行きたい!」
ミゾレがぱちりと瞬きをする。
「訓練所、でございますか?」
「うん!」
私は勢いよく頷いた。
「昨日、魔法一回しか使えなかったし!」
もっと使いたい。
もっと試したい。
もっと色々作ってみたい。
創造魔法とかいうロマンの塊を手に入れてしまったのだ。
我慢できるはずがない。
「また魔法を使ってみたい!」
すると、ミゾレは小さく微笑んだ。
「ふふっ」
「?」
「お嬢様らしいと思いまして」
「そうかな?」
「はい」
ミゾレは優雅に一礼する。
「かしこまりました。本日は訓練施設へ向かいましょう」
◇◇◇
朝食を終えた後。
私は自室で着替えを手伝ってもらっていた。
「本日は、こちらはいかがでしょうか」
ミゾレが取り出したのは一着のドレスだった。
「おお」
昨日着ていた豪華な純白のドレスとは少し違う。
スカートはやや短め。
裾も広がり過ぎていない。
腕や肩周りも動きやすそうな作りになっている。
全体的に実用性を重視したデザインだった。
「なんか動きやすそう」
「訓練施設へ向かうことを想定したドレスでございます」
「訓練用ドレスとかあるんだ」
「ございます」
さらっと返ってきた。
さすが王族。
世界が違う。
しかし訓練用とはいえ、私の人生で見たことないくらい高そうなドレスだ。
ドレス全体は、春の日差しを溶かし込んだような淡い黄色。
幾重にも重なった柔らかな生地は、歩くたびにふわりと揺れ、まるで花びらが舞っているかのようだった。
胸元には澄んだ青空を思わせる大粒の宝石が飾られ、その輝きが淡い黄色の生地によく映えている。
腰から裾にかけては銀糸による繊細な刺繍が施されており、光を受けるたびにきらきらと上品な輝きを放っていた。
絶対高い。
めちゃくちゃ高いよ、こんなの……。
こんな高級なドレスを訓練用なんて……。
やっぱり王族怖い……。
「はい、完了いたしました」
ミゾレが微笑む。
鏡を見ると、そこには昨日より少し活動的な印象の王女が映っていた。
「おお」
思わず感心してしまう。
やっぱりドレス姿の私、可愛い。
というかリアの顔面が強すぎる。
「とてもお似合いでございます」
「ありがと」
少し照れながら答える。
そして、ミゾレが扉を開いた。
「それでは参りましょうか、お嬢様」
「うん!」
私は期待で胸を躍らせながら頷く。
目指すは訓練所。
昨日たった一度しか使えなかった創造魔法。
今日は思う存分試してみるつもりだった。
しかし、この時の私はまだ知らなかった。
王国の平和な日常が、少しずつ崩壊へ向かい始めていることを――




