第84話 池田屋事件8
四門の亡骸にしがみつき泣きじゃくっている樹之助に、斎藤が近づいてきて言葉をかけた。
「そいつは何者だ?」
樹之助はすぐに答えられない。
嗚咽が止まらなかった。
やや時を置いてやっと絞り出す。
「これが…民だ。武士でも公家でもねぇ。この国の大半を支えている民だ...。」
樹之助は四門の流した血にまみれながら慟哭していた。
「偉い奴らがそれぞれの損得で勝手に国の形を変えて罵り合っていやがる…だけど、俺達民は、それに振り回されるだけだ。民だって泣くんだ...民だって怒るんだ...民だって…民だって生きてるんだ!」
斎藤は樹之助の側に立ち、しばし四門の亡骸を見つめ、そっと手を合わせた。
「この者、身寄りはあるのか?」
斎藤が聞いてくる。
「そんなもんねぇ…天涯孤独だ...」
「そうか。後のことは任せろ。他の遭難者と同様、手厚く葬ってやる。」
そう言って斎藤は樹之助の肩にポンと手を乗せ立ち上がった。
樹之助は最後に微笑んだような穏やかな死に顔の四門の顔を、忍び装束の袖で綺麗に拭いてやった。
「あばよ四門…お前は俺の兄弟みたいなもんだったよ。」
そう別れの言葉をかけ、樹之助も立ち上がり池田屋の方に戻って行った。
樹之助が池田屋に着くころ、夜が白み始めていた。
池田屋の騒動は終息し、敵味方問わず負傷者が辺りで手当てされていた。
会津と桑名の兵が実況見分を行っている。
池田屋の前、倒れている沖田と藤堂を囲むように近藤、土方、永倉、井上らがいた。
最も長く、壮絶な戦いをした近藤と永倉は対照的だった。
近藤の刀は刃こぼれ一つせず、身に大きな傷も受けていなかった。
対する永倉の刀はのこぎりのように刃こぼれし、切っ先の方が折れていた。
残った刀身はひん曲がり、鞘に納めることもできない。
永倉自身も親指を負傷し、包帯でぐるぐる巻きにしていた。
それでもその程度で済んだことは、新選組の実戦能力の高さをあらためて示すものだった。
「さて、夜が明ける。壬生に帰還するぞ!」
土方が号令すると、島田魁が誠と染め抜かれた新選組の隊旗を掲げる。
その後ろに近藤を先頭に隊士が粛々と続いていく。
沿道の観衆は驚きと畏怖の目で一団を見送っている。
これまで、市中警護の任に就きながらも、どこか胡散臭い浪人集団という見方をしていた京の民衆が、初めて新選組を認めた瞬間だった。
樹之助はその後ろ姿を見送り、家路についた。
家では千代と木立と木葉が寝ずに起きていた。
入口の戸を叩く音を聞くと、千代が駆け寄り戸を開ける。
だが、戸口に立つ血まみれの樹之助を見て、千代はそのまま眩暈を起こした。
それを後ろから木立と木葉が支える。
「ちょっと、樹之助!怪我してるのか?」
木葉が目を丸くしている。
「あ、わりぃわりぃ。返り血だ。俺は傷一つないよ。」
それを聞き千代が覚醒し、立ち上がり樹之助の胸を叩いた。
「馬鹿馬鹿馬鹿!ただでさえ皆心配で一睡もしてなかったのに、そんな恰好で帰ってくるなんて!着物脱いで井戸端で体洗ってらっしゃい!」
あまりの剣幕に樹之助は無言で言われるとおり井戸端に走って行った。
その様子がおかしくて木立と木葉は笑ってみていたが、ボソっと木立が囁いた。
「やっぱり夫婦だね…敵わないや...」
「…うん。悔しいけど、千代姉さんなら負けを認める…」
そう言って二人は笑みを交わした。
樹之助が体を洗いさっぱりして戻ると、朝餉の準備がしてあった。
「おぉ、腹ペコだったんだ!ありがてぇ!」
樹之助はちゃぶ台に飛びつき、飯を一気にかきこんだ。
それを嬉しそうに千代が見つめている。
「あれ、木立と木葉は?」
やっと冷静になり辺りを見回す樹之助。
「とっくに帰ったわよ。お邪魔虫はきえま~すってね。」
千代がクスッと笑う。
「そうか。あいつらにもそういう気遣いってのができるんだな...」
樹之助は感心した声を上げる。
「女は皆そういうことは気が利くのよ...」
そう言いながら千代が樹之助の胸に顔を埋めた。
「よかった…本当に無事で。」
「あぁ、心配かけたな。今回のことで、俺は心底生きてて良かった、千代という帰るところがあって良かったと思えたよ。」
そういう樹之助の脳裏には四門の亡骸が浮かんでいた。
「このまま床に入りたいんだけど、いいか?」
樹之助が言うのを千代は真っ赤になりながら、黙って頷いた。
日が昇る京の町、樹之助の家の扉は終日締められたままだった。




