第83話 池田屋事件7
池田屋を取り巻く野次馬の後方に樹之助が見かけた男。
鴨川の乞食小屋で寝起きを共にしていた、泥棒を生業とする四門に間違いなかった。
四門は、手拭いで頬かむりをした男を一本先の路地に押し込んで行く。
樹之助はすぐに後を追った。
路地の先、四門と男の話し声が聞こえる位置に留まり、樹之助は息を殺した。
「今行っては無駄に斬られに行くようなもんだって!」
「離せ四門!中では同志が囲まれ斬られているのだぞ!本当なら俺もあそこにいたのだ。せめて包囲に穴を空け、脱出の糸口を開いてやらねば、あいつらにあの世で会わす顔がない!」
「いくら桂先生が剣豪とはいえ、重武装したあれだけの兵に対して何ができるってんだよ!あんたは新しい世を作る旗頭なんだろ?俺みたいな塵芥のような社会の底辺にいる者でも、あんたらが唱える新しい世ってもんに希望を見出したんだ。その旗頭がこんなとこで犬死にしちゃあ、あんたに命預けて戦ったモンが浮かばれやしねえぜ!」
四門の魂の叫びのような説得に、桂と呼ばれた男は逸りの色を収めた。
「…すまん。お前の言う通りだ。俺は…生きてやり遂げることが、死んでいった者達に対する報いなのだろうな...」
「わかってくれりゃいいんだよ。でもな、桂先生。会津と桑名の兵が市中を掃討してるんだ。ここからの脱出だって容易じゃないぜ。」
四門が真顔で言う。
それに対し桂は笑顔で返す。
「だからお前を伴ってきたんじゃないか。京の路地、通りのことは何でも知っているんだろ?俺の命預けるから、無事安全なところまで落として見せろ。」
言われて四門は得意げに胸を反らす。
「まかせとけ!必ず俺が安全なところまで落ち延びさせてやるからよ!」
(四門のやつ、草莽の志士になったのか…)
樹之助は二人の会話を聞いて理解した。
樹之助は学問をかじり、政治というものが少しわかってきていた。
対立思想に正義も悪もない。
己がどの道を正義として生きるかだけだ。
四門は尊攘派が掲げる新しい世に自分の正義を見出しただけだ。
(あの乞食小屋で生きる目的もなく、フラフラしていた四門が…)
四門の導きだした答えが正しいかどうかはわからないが、樹之助は応援してやりたい気持ちだった。
そのまま見守るように樹之助も四門が導く脱出路を遠巻きに尾いていく。
大道を避け、小道を伝い、時には民家の軒先を通る。
そうしてもう少しで長州藩邸が見えてくる辺りまで来た時、行く手を阻む人影が数人。
相手が提灯の明かりをかざしてくる。
「長州藩邸に逃げようとする奴らはここを通るだろうと見当していたのが当たったようだな」
提灯を持つ男の後ろにいる一団の長らしき男が言った。
「しかも結構な大物だ。そうだろう?桂…小五郎!」
(桂小五郎!)
後ろで密かに様子を見守っていた樹之助もさすがにその名は知っていた。
(あそこで待ち構えているのは…斎藤か!?)
新選組三番隊組長斎藤一は土方隊にいたため、池田屋には突入せず、逃げた者を捜索する役目を負っていた。
「…斎藤君か。久しいな。近藤先生は息災か?」
桂は修羅場であることなど忘れたかのように、頬かむりの手拭いを取り、気さくに話しかけてきた。
桂は江戸三大道場の一つ練兵館の塾頭であり、江戸で行われた数々の剣術大会でその武名を大いに上げた剣豪だった。
剣術道場の格としては、近藤の試衛館など足元にも及ばない、雲の上の存在だった。
だが、そこは同じ剣術を志した若者同士。桂は試衛館のことも、そこに寄宿していた斎藤の事もよく覚えていた。
「近藤先生はあの池田屋で戦っておいでです。桂先生ほどの方が、何故このように、都に乱を起こすような企てをされるのですか?」
斎藤が感情のこもっていない声音で尋ねる。
「斎藤君、それに近藤君らも…惜しい!実に惜しいよ!」
逆に桂は熱っぽく声を張る。
「太平の世に惰弱しきった旗本らと違い、君ら新選組は忠義を貫く誠の武士だ。だが、惜しむらくは、その忠義の方向が間違っているということだ。」
斎藤は身じろぎもせず聞いている。
「今外国勢力により、この日の本の国は蹂躙されるか否かの瀬戸際だ。この危機に及び、今の徳川に政を任せておいてどうなる?奴らは民の事ではなく、己らの保身のことしか考えてはおらん。もう徳川に政を任せてはおけんのだ。」
桂は必死に訴えていた。
「斎藤君!君らが誠の武士であるならば、忠義を向けるのは天皇であろう?徳川に忠義立てしても使い捨てられるだけだぞ!」
桂の説得に斎藤は顔色一つ変えず、言葉を返した。
「言うことはそれだけですか?俺は個人の思想は持ってません。俺たちの役目は、この京の都を賊徒から守ること。将来の事はわからんが、今この都を不安に陥れているのは、間違いなくあんたらだ。だから捕縛する。」
そう言うと斎藤は刀を抜いた。
それに合わせるように、同行の隊士三人も刀を抜く。
「分かり合えんか…だが、俺はまだ死ぬわけにいかん。斎藤君いずれまた会おう!」
そう言うと桂は踵を返し走り出す。
「追え!」
斎藤が叫ぶ。
隊士三人が走り出す。
その前に四門が立ちふさがった。
「どけ!」
若い隊士が狭い路地に両手を広げて立ちふさがる四門に殺到する。
「邪魔だてすると斬り捨てるぞ!」
威嚇する隊士ら。
それを見て樹之助も走り出していた。
「やめろ四門!そいつらにハッタリは効かない!斬ると言ったら本当に斬るぞ!」
だがその声は四門に届かない。
先頭の隊士が斬りつける。
四門は身をよじって避けるが、右の肩から肩甲骨の辺りを切られた。
だが、四門はひるまず立ちふさがる。
桂が一瞬振り返った。
「四門!」
四門は桂に叫ぶ!
「行け!生きて新しい世を…」
そう言った時、背中から腹部に刃が突き通った。
「ぐふっ!」
呻きながらも四門は両手を広げて通りを塞ぎ続ける。
「四門!お前は、立派な志士だ!この桂、生ある限りお主の事忘れぬぞ!」
そう叫び、桂は通りの角を曲がり、闇に消えて行った。
「どけ!」
新選組隊士は仁王立ちする四門に驚きと戸惑いを覚えながら、隊務の為切り伏せた。
そして、ようやく倒れた四門の体を飛び越え桂を追って行った。
樹之助は倒れている四門に駆け寄った。
「四門!四門!馬鹿野郎!何やってんだ!こんな、こんなとこで...お前らしくないことしやがって!」
四門の体にしがみつき号泣する樹之助。
その時微かに四門の顔が樹之助の方を見た。
そして何か言いたげに口を動かしながら、微かに微笑んだように見えた。
次の瞬間、四門の体から力が抜け落ちた。




