第82話 池田屋事件6
白刃を振り上げた浪士が迫る。
(くそ、咳が止まらん!)
沖田は内心焦燥にかられながらも、体が言うことをきかない。
敵の刃が沖田の体に振り下ろされようとする瞬間、一陣の風が舞い込む。
間一髪敵の懐深く飛び込んだのは樹之助だった。
懐に入るや否や、父から譲られた千子村正の脇差を抜き打ちし、相手の胴を切り裂く。
(弦太郎さんに教わったのが役に立ったな...)
樹之助は内心ほくそ笑む。
以前柳生の庄田道場を訪れた際、志乃との戦いで懐深く入り込み竹刀を振れず、組敷かれた経験があった。
それを見ていた、師範の庄田弦太郎から後に教えられた。
「あれが実戦なら、刀は抜かず、敵の懐に入ってから鞘走らせる方がよいぞ。当流はあまり抜刀術を得手としてはおらんが...」
そう言って弦太郎自ら手本を見せてくれた。
それを今、樹之助は実践した。
「ゴ、ゴエモンか…見事な剣さばきだね。そんな事もできるんだ…」
咳にむせながら、沖田は精一杯の虚勢を張る。
「でも、相変わらず、人は…殺せないみたいだね...打ち込みが浅い...」
「いいから喋るな!俺はもう生涯人は殺めないと決めたんだ。親父とお袋が守ってくれた濁りの無い目を、ずっと守っていくってな。」
「それが…いいよ。それがどれだけ…尊いことか…」
再びゴホゴホと咳き込む沖田。
樹之助は駆け寄ってくる浪士に棒手裏剣を投げつけ足止めする。
「摑まれ!とりあえず下に降りるぞ!」
樹之助は沖田を肩に担ぎ、急な階段を慎重に下りていく。
階下で永倉が気づいた。
「総司!どうした?斬られたのか!?」
それに樹之助が答える。
「いや、斬られちゃいねぇ。前に通りで襲われた時と同じ発作だ。」
「永倉さん…近藤先生が…一人じゃ危ない…加勢を。」
沖田が切れ切れの息で懇願する。
「わかった!」
樹之助らと入れ違いに階段を駆け上がろうとする永倉に、樹之助が声掛ける。
「土方は四半刻持ちこたえろと言った。もうかなりの時間が経っている。あと少し、持ちこたえれば、先発した井上隊が来る!」
永倉は心中苦笑いしていた。
(人生最長のあと少しだな...)
永倉が二階に上がると、近藤が三方を囲まれていた。
囲んでいる浪士の背後から近づくと、永倉はそれを袈裟斬りにし、さらに左手の浪士に突きを入れる。
新選組最強を言われた男の面目躍如だ。
「永倉君、総司は大事ないか?」
「はい。発作らしいと。副長の隊から井上さんが先発して向かっていると例の忍びが言ってました。あと少し持ちこたえろ、と」
それを聞いて近藤も苦笑した。
「長いあと少しだな。もう限界だぞ...」
「まさに...」
二人は互いに微笑み合い、また乱戦に突入していった。
一階では、永倉がいなくなり手薄になった後釜として、近藤の養子周助が配置されていた。
だが、組一番の使い手だった永倉の代わりとしては、いささか役不足であったため、藤堂の負担が大きくなっていた。
周助が浪士と斬り合っている時、不利な体勢となった。
藤堂は直ぐに駆け寄り、周助の代わりにその剣を受けた。
だが、次の瞬間、階段の上から駆け下りてきた浪士が跳躍し、藤堂の頭をかち割った。
「藤堂さん!」
周助が悲鳴のような絶叫を上げる。
藤堂を倒した浪士はそのまま周助に向かってきた。
(もう駄目だ!)
藤堂がやられた所を目の当たりにした周助は体がすくんで動けなくなっていた。
刀を握りしめたまま、硬直する周助。
敵が迫ってきた。
(斬られる!)
思った瞬間、「こらー!」という歓声とともに黒い一団がなだれ込んできた。
そのままの勢いで周助に斬りこんできた浪士は切り刻まれていた。
「源さん!」
周助の顔が上気する。
「周助、よく頑張ったな。おっつけ副長も到着する。もう大丈夫だ。」
周助は半ベソをかいている。
「局長は二階か?」
周助は無言でウンウンと頷く。
「よし、二階だ!半分は下に残れ!」
そう言うと井上は先頭に立って階段を駆けあがって行った。
周助は直ぐに藤堂の元に駆けよる。
「藤堂さん!藤堂さん!しっかり!」
藤堂は即死かと思われたが、ちょうど鉢がねの部分に敵の刀が当り、直撃を免れていた。
それでも流血で顔面が真っ赤に染まっている。
「誰か!誰か来てくれ!早く!」
一方二階
宮部鼎蔵は増援が来た気配を察し、残っている浪士らに聞こえるよう大声で伝えた。
「もはやこれまで!皆こんなところで無駄死にするでない!各自血路を開き脱出せよ!後日再起を図るのだ!」
そう言うと、自らは短刀を抜き腹を切ろうとしている。
それに近藤が声掛ける。
「宮部殿。お見事なお覚悟なれど、生きてご同道願えませんかな?」
宮部は近藤に笑みを浮かべて見せた。
「近藤殿。お手前の見事な武者ぶりに、この老体も久々に胸熱くなったわ。かくなる上は武士らしく、腹を召させてくだされ。」
そういうと、宮部は間髪入れず腹に短刀を突きいれ、横に掻っ捌いた。
横にいた浪士が介錯する。
「宮部鼎蔵殿、お見事なり!」
近藤は大音声で叫んだ。
その声につられるように、残っていた浪士達は一斉に窓、屋根、階段か脱出を図ろうとする。
近藤は井上らに呼びかけた。
「既に大勢は決した。これよりは斬り捨てはならぬ。召し捕りといたせ!」
裏口は武田観柳斎、安藤早太郎、奥沢栄助、新田革左衛門が守っていた。
そこに一団となった浪士3人が殺到した。
武田はやや離れたところから号令している。
「それ、敵だ!一人も討ち漏らすな!」
だが決死の敵の勢いがすさまじい。
「おんしら!道をあけるがぜよ!」
先頭に立って大暴れしている男の勢いは暴風のようだ。
体に数創喰らおうとも怯まず長刀を振り回し突き進んでくる。
この男は、土佐の望月亀弥太だった。
安藤、奥沢、新田の若い隊士も奮戦したが、決死の浪士の勢い凄まじく、斬撃を受け卒倒した。
浪士らは望月の切り開いた血路を抜け、そのまま逃げ散って行った。
樹之助は沖田を連れ、池田屋の外に出ていた。
井上隊が中に入って行ってからすぐ、土方隊も到着した。
土方は沖田を一瞥したが、声をかけることなく、すぐに隊士らに命令した。
「いいか、中はもうあらかた勝負が決しているようだ。われらは周囲を見張り、逃げる敵を捕縛することを専一とする!」
そう言って池田屋正面の入り口前で仁王立ちした。
やがて会津、桑名の両藩兵も大挙駆け付けてきた。
池田屋に入ろうとする一団の前に土方が立ちふさがる。
「ここの勝負は既に決しております。ご両家には、市中に逃走した残党狩りをお願いしたいが、よろしいか?」
土方が落ち着き払った態度でジロリと睨みながら、(今頃ノコノコ現れやがって)という皮肉を込めた依頼をした。
両藩の兵らも(浪人風情が...)という思いを飲み込み、おとなしく土方の言う通り周囲を固め、残敵掃討にあたっていった。
樹之助も沖田の介抱を土方隊の隊士に任せ、立ち上がり周囲を見回した。
辺りは新選組と会津桑名の兵で溢れ、さらにその周りを野次馬が取り囲んでいた。
「!」
その中に樹之助は、意外な顔を見つけた。




