第81話 池田屋事件5
樹之助は夜の通りを駆け抜けた。
亥の刻
辺りは暗く、提灯を持っていないと数間先も見えない漆黒の闇だが、樹之助は夜目が効く。
正に黒い風のごとく三条通りを進み、縄手通りに入った。
(どこだ?土方は...)
樹之助は通りの両側を注意深く見ながら進む。
やがて向かって左手に御用検め中の一団を見かけた。
(誰だ?)
目を凝らす。
検めを終え出てきたのは井上源三郎だった。
それを通りで待ち構えているのは、間違いない、副長土方歳三だった。
樹之助は土方の前に湧き出るが如く現れた。
土方隊の一同は一瞬何が舞い込んだのかわからず狼狽した。
「な、何奴だ!」
刀の柄に手を掛ける者もいる。
それを手で制しながら土方が短く声をかける。
「見つけたか?」
「近藤局長から伝令!三条通りの旅籠池田屋にて不逞浪士の会合を発見。逃走防止のため局長らで踏み込む。副長には至急後詰されたし!」
土方の顔に朱がさす。
そして瞬時に告げる。
「源さん!さっきの10名を率いて至急三条通りの池田屋へ急行してくれ!」
「おう!」と返事をすると、井上は一目散に走りだす。
「石川。源さん達がいくら走ろうともお前の足の方が速かろう。局長らには四半刻、いや、しばし持ちこたえてくれと伝えよ!俺も残りの人数をまとめてすぐ行く!」
それを聞くやまたしても樹之助はフッと面前から消えた。
「…近藤さん、持ちこたえてくれよ」
土方は池田屋の方角に目をやり呟いた。
一方池田屋
「開けろ!御用検めだ!」
ドンドンと木戸を打ち壊さんばかりの勢いで叩きつけるのに、店主の池田屋惣兵衛が青い顔で対応に出た。
「へいへい、只今開けるさかい、そない叩かんといてください。壊れてしまいますがな。」
そう言いながらつっかえ棒をはずすや否や、近藤を先頭に沖田、永倉、藤堂が躍り込んだ。
「会津中将お預かり新選組だ。二階にいるのは誰だ?」
「さ、薩摩の御家中と、聞いております...」
池田屋は震える声で咄嗟に精一杯の嘘をついた。
「薩摩の訛りじゃねえな~」
永倉が階段の方向を睨みつける。
「直接確かめる。まかり通るぞ!」
近藤がズイと中に入ろうとした瞬間、池田屋惣兵衛は二階に向け叫んだ。
「お二階のお客様!新選組の御用検めどす!」
「馬鹿もんが!」
近藤は池田屋惣兵衛の襟首を掴み引き戻すと、その横面を力任せに殴りつけた。
池田屋は吹っ飛び気をうしなった。
幸い二階の喧騒が大きく、池田屋惣兵衛の忠告は届くことはなかった。
永倉と藤堂は階下で刀を抜き構えた。
近藤は両人に目くばせした後、沖田の胸をトンと拳で叩いた。
「行くぞ総司!」
「いきましょう!」
短く会話を交わすと、二人は階段を音も無く駆け上がる。
先をいく近藤が階段を上がりきろうかという瞬間、広間の障子が開き一人の浪士が出てきた。
「誰だ、おまえら?」
近藤はいぶかしがる浪士の胸倉を掴むと、そのままを階下に引き落とした。
その物音に、広間にいた全員が一斉に近藤と沖田の方を見る。
漆黒の武装した二人組。
世に有名な新選組の隊服など着ていない。
浪士の側では相手が誰かわからずポカンとしている。
奇妙な静寂が辺りを包んだ。
「…そこもとら、何者かな?」
浪士のうち、一番年長者らしき男が問いかけてきた。
これに近藤は落ち着き払った声音で答える。
「会津中将御預、新選組局長近藤勇。ここで不逞の企てありと聞き罷り越した。詮議したき儀ある故、おとなしくご同道いただきたい。」
「新選組!?」
その名を聞き、浪士達が一斉にいきり立つ。
それを制するように先ほどの年長浪士が口を開く。
「拙者肥後浪人宮部鼎三と申す。これだけの人数の中にたった二人で乗り込んでくるとは…新選組、噂以上の剛の者。感服つかまつる。されど、我らとて大人しく縛に付くわけにはまいらん。そちらもお二人でこれだけの人数では手に余ろう。どうだろう、ここは痛み分けということで手を引いてはくれまいか?」
宮部が周りの浪士達を落ち着かせるよう、わざとゆっくりとした口調で話すが、周りの若い浪士は今にも斬りかからんばかりにいきり立っている。
近藤は大音声で言い放つ。
「心やましき事あらざれば、同道し申し開きせよ!だが、抵抗するならば、不本意なれど刀に物言わせることになるがよろしいか?」
近藤が大きな双眸を光らせ浪士らをぐるりと睨みつける。
静かな、緊張した時が流れる。
凄く長いような、ほんの一瞬のような…
その緊張感に耐えられなくなった若い浪士が、近藤の右斜め前から斬りつけてきた。
瞬間近藤は体をぶつけるように間合いに入り「オウ!」という裂ぱくの気合と共に袈裟斬りに斬り捨てた。
絶叫し倒れる若い浪士。
それを合図に他の浪士達も一斉に抜き放った。
近藤と沖田は互いに背中を預け合うような形で敵に備えた。
「会津の犬がー!」
叫びながら躍り込んでくる者に、沖田は踏み込み得意の突きを見舞う。
浪士は一斉に襲い掛かりたいといころだが、近藤と沖田は広間に入ってこない。
廊下で一対一では実戦慣れした新選組相手には絶対不利だった。
広間の奥の浪士の数人は、屋根伝いに隣に飛び移ろうとする者、窓から中庭に飛び降りようとする者がいた。
近藤は敵の刀を受けながら、階下の永倉らに叫んだ。
「窓から逃げた者がいる。一人も逃すな!」
それを聞き永倉は外の谷三十郎に叫ぶ。
「中庭だ!だれか回せ!」
そう言っている時階段を転げ落ちるように逃げ出てきた者がいる。
それに藤堂が「縛につけ!」と言うが、問答無用で斬りこんでくる。
藤堂は首を振りながら、諦め顔で切って捨てた。
二階の喧騒が大きくなっている。
囲まれないよう注意しながら戦う近藤と沖田だが、敵が入れ替わり立ち代わり襲い掛かってきて息つく暇がない。
近藤はさすがの気魄で息も切らさず敵を寄せ付けない。
山のように泰然自若とした構えに、敵も迂闊に飛び込むことができず、ジリジリと下がっていく。
沖田は近藤と逆に攻めの剣である。
素早く相手の間合いに飛び込み高速の剣をを見舞い、さっと元の位置に引く。
決して深追いしない。
敵が襲い掛かって来る前に、持ち前の神速の剣で敵を切り伏せるを繰り返していたが、次第に呼吸が苦しくなってきていた。
そのうち脱出を図ろうとした浪士が室内の明かりを消した。
暗闇の中での斬り合いになった。
だがそうなると人数が多い浪士側が不利だった。
同志討ちの危険性が高まる。
少ない敵の位置が把握できない。
明かりが消されたことで、近藤は廊下から室内に入り込んだ。
多勢の敵だ。
適当に剣を振るっても誰かに当たる。
相手の浪士は剽悍の者共とはいえ、室内における実戦の場数は新選組と比べるべくもなかった。
浪士はいきり立ち、振り上げた刀を鴨居に当てる者、切り下げた刀を柱に食い込ませるものが続出し、その隙を近藤、沖田に着々と討ち取られていく。
こうした乱戦では、天然理心流は無類の強さを発揮した。
斬る、突く、蹴る、組み伏せる、あらゆる体術を駆使して敵を制する。
「馬鹿な!敵はたった二人だぞ!これだけの人数で何をやっておるか!」
最初に言葉を発していた宮部という男の声が暗闇に響き渡っていた。
沖田はもう何人と対峙したかわからない。
極力体力と刀の刃を使わぬよう、敵を引き込み、斬りかかってくる相手を一突きで仕留めるような戦いに終始していた。
階段を下りて逃げる者は、あえて追わない。
(永倉さんと平助に任せればいい)
そう思い、近藤同様暗闇の室内に踏み込む。
左右から同時に斬りこんでくる敵。
右後ろに引きながら相手の刀を跳ね上げ、その体を蹴とばす。
蹴られた男は逆側から斬りつけてきた浪士の刀にて斬りつけられた。
「やめておきなよ。素人が玄人に喧嘩売っても勝てやしな...」
そう言いかけた時、沖田の胸に息苦しさと強烈な不快感が襲ってきた。
(なんだ…これしきの斬り合いで、息が上がるほど、軟な鍛え方していないのに...)
息苦しいだけではない、体が熱くなり、頭がぼーっとしてきた。
(まずい…また、肺腑が破れそうな、あの感覚...)
沖田が咳込む。
隙ありと浪士が躍り込むのを、なんとか返り討ちにするが、その場に咳込み膝をつく。
「どうした総司!大丈夫か!?」
近藤が声を掛ける。
沖田の顔は熱があるのか真っ赤に上気していた。
(まずいな…このままでは...)
膝まづく沖田の異変に気付いた浪士が斬りかかってくる。
沖田は霞む視界の端に、それを捉えていたが、咳き込む体は自由を奪われ成す術がなかった。




