第85話 池田屋事件その後
翌日昼過ぎ
樹之助は千代を伴い、四門が遭難した現場を訪れていた。
現場はすっかり片づけられていたが、道の端や板塀などに所々血痕が残っている。
樹之助は四門が倒れていた場所にしゃがみそっと手を合わせた。
千代も樹之助に倣い、持ってきた菊の花を一輪そっと置いて手を合わせた。
「あなたの親友だったの...?」
千代が小さく問いかける。
「そんなもんじゃない。親父を憎んで家を飛び出し、生きることに意味なんて見いだせなかった俺が唯一心許して話せる奴だった。こいつがいなきゃ、俺は野垂れ死んでいたさ...」
樹之助が遠い目でポツポツと語った。
「なら感謝しなきゃね。四門さんがいてくれたから、私はあなたと出会えたんだから。ありがとう四門さん...」
「一度会わせてやりたかったな...」
そう言って二人は立ち上がり、三条通りへ戻って行った。
池田屋の辺りは、まだ役人が立っていて、近づくものを排除していた。
千代は大勢が死んだ池田屋を正視できず、樹之助の腕につかまりながら目を逸らせていた。
そんな千代を気遣うように、樹之助は努めて明るく声掛けた。
「腹減ったな。なんか食ってくか?」
「…うん。」
千代が小さく頷く。
それから樹之助と千代は通りの一軒の茶店に入った。
二人は煎茶と大福を頼んだ。
店内の客の会話は、池田屋の事件のことで持ち切りだった。
「壬生浪の活躍大層なもんやったそうな。」
「局長の近藤いうのは大したもんや。二十は下らん人数にたった二人で挑んで、途中沖田いう組長が離脱した後も最後まで踏みとどまってたんやてな。」
「京都守護職も大層ご満悦らしいで」
千代が小声で呟く。
「凄い噂だね、新選組。」
だが、樹之助はなんとも言えない違和感を感じていた。
「確かに昨夜の奴らの働きは凄かったよ。でも...」
「でも?」
千代も首を傾げる。
「おかしいと思わないか?誰もあの池田屋の中での戦闘など見ていないんだぜ。それを近藤が一人で斬り伏せたとか、守護職がご満悦とか、事実かもしれんが、市中の人間が何故知っている?」
「確かに...」
千代も納得顔で店内を見回している。
どこの卓でも身振り手振りで新選組の活躍を我がことのように吹聴している奴がいる。
樹之助は確信していた。
(土方…新選組の手柄をより大きく見せるため、市中に噂をまき散らさせているんだろう...)
「あなたはこれからも新選組の与力として働くの?」
千代が聞いてくる。
「いや。それは今回限りだ。俺には政の是非はわからん。今回はこの京が火の海になるのを防ぎたいから協力したまでだ。徳川に義理立てしたいわけじゃない。逆に徳川が京に乱をもたらすなら、俺はそれに歯向かう。」
それを聞き千代は俯いた。
「どうした?顔が赤いぞ?」
樹之助が千代の顔を覗きこむ。
「ううん。私の旦那様素敵だなって思って...」
千代は恥ずかしさに着物の袖で顔を隠した。
樹之助も急に気恥ずかしくなり、通りの方に視線を移した。
その時、通りの端に見覚えのある人影を見つけた。
(あれは!)
樹之助は千代に「行こう!」と言って手を引く。
千代は訳が分からないが、言われるままに立ち上がりお代を女中に渡した。
樹之助は先に店を出て、さっき見た人影を見失わないよう注視している。
千代が「どうしたの?」と言いながら店からでてきたが、樹之助は無言で千代の手を引き人影の後を追い始めた。
男は木屋町通りを北に向かって歩いていく。
千代も木屋町通りに入ると、樹之助が前を行く男を追っているのがわかった。
男は特に警戒する様子もなく、ゆっくり歩いている。
やがて、一軒の屋敷の前に足を止めた。
そして屋敷の塀際を丹念に見つめながら、ある場所に目を止めジッと見つめている。
樹之助と千代は遠巻きにその様子を見ていた。
やがて男はその場所にしゃがみ込み、手を合わせしばし目を閉じていた。
無言の時が流れた。
男は頬を袖で拭いながら立ち上がり、元来た道を引き返してきた。
樹之助は黙って立ち尽くしている。
「…おんし、いつぞやの」
男が樹之助の近くまで来た時声をかけてきた。
「あぁ久しぶりだな。才谷梅太郎...いや、坂本龍馬。」
「おんしは石川って名前やったかえ?」
龍馬は微笑みながら千代を見た。
「そちらさんは?」
「あぁ、女房の千代だ。」
「樹之助の家内千代です。どうぞお見知りおきください。」
千代が頭を下げる。
「ほぇ~。おんしその若さで所帯持ちかえ?しかも気立ての良さそうな娘で、隅におけんのう」
龍馬にやっといつもの明るさが戻る。
樹之助はサラリと聞いた。
「あそこで手を合わせていたが…」
龍馬も振り向きながら答えた。
「わしと同じ、土佐っぽの望月亀弥太っちゅうもんが、一昨日の池田屋での闘争に巻き込まれてのぅ。死中に活路を開き脱出したんが、ここで力尽き割腹して果てたそうや...」
「そうだったのか...」
「亀弥太は神戸で一緒に海軍塾におったんやけんどのぅ。どいたち過激な攘夷活動に参加するちゅうて、止めるがを振り切って京にいったけんど。その結果がこれじゃ。」
龍馬の目が潤んでいた。
「まだ早い言うたんじゃ。物事には機いうものがある。今の幕府はまだ倒せる段階じゃないとなんべんも言うたんじゃ…」
龍馬が鼻をすすりながら続ける。
「儂ら土佐っぽは孤児じゃ。武市も以蔵も土佐勤王党は国に戻され獄に繋がれた。保護してくれる故郷を持たん儂らは土佐人やない。日本人なんじゃ。」
龍馬は決意の籠った目で樹之助を見つめる。
「じゃから儂は機が熟せばこの国を変える。国を憂いて働いた若者が、くびり殺されることのない世の中にのぉ。」
樹之助は四門の姿を思い出していた。
新しい世を夢見て、それを託し死んでいった草莽の志士の姿を。
「俺にも少しわかってきたよ。新しい世の中か...見てみたいな。」
樹之助の心にぼんやりと、自らの進むべき方向が見えたような気がしていた。
「それじゃあいつか一緒に働くことがあるかもしれんの。そん時はよろしゅう頼むがぜよ。」
そう言って龍馬は右手を差し出した。
樹之助も千代もポカンとしている。
「しぇいくはんど言うがぜよ。異国では信頼の証として、こうして手を握り合うにかあらんぜよ。」
そう言うと龍馬は無理やり樹之助、千代と代わるがわる手を握り激しく振った。
「そんじゃあ、また会う日までの!」
そう言う龍馬の目に、もう涙は無かった。
(きっとまた会える)
樹之助もそう確信し、千代と二人家路についた。
前夜から本編、その後と16話を割いた池田屋事件編が終わりました。
幕末の有名なエピソードとして、自分なりの池田屋事件をかなり力を入れて書いたつもりです。
池田屋事件は小説、映画、ドラマで多様な描き方をされていますが、自分ならこう書くというのがあって、それを実行できて読んでもらえるということがとてもも嬉しく、読んでくださった皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。
幕末物の小説は、どうしても実際の人物に主眼を置くため討幕、佐幕、どちらかの視点からの読み物になってしまうのですが、私個人はどちらの側にも共感できるところがあり、どちらにも好きな人物がいます。
今回樹之助という架空の自由人を主役にすることで、どちらかの思想に偏ることなく、好きな人物を気の向くままの書くことができています。
そのおかげで、あれもこれもとお話が長くなっているのですが、それもまた一興かと思っています。
この先の話、実は結構書き溜めてあるんです。が、思想が固まっていない分、話がブレているような気がする部分があるため、ここまで書いたストーリーに準拠するよう再構築してから皆さんにお届けしようと思い、少しお時間をいただくことにしました。。
そう長くない休止期間にしたいと思っていますので、ほんの少しお待ちいただきますようお願いいたします。




