第78話 池田屋事件2
庭先が騒がしい。
岩倉具視は書を読む手を止め、框から土間に降りた。
すると門前で喚く娘が一人。
使用人の男が困り顔で対応していた。
「どうした?」
岩倉が声をかけると、使用人の男が娘を指さしながら答えた。
「この娘、なにやら使いだとか言って、旦那様に会わせろってきかねぇんでやんす。そんなどこの馬の骨ともわからぬ小娘を通すわけにいかねぇって言ったら、まるで猿のようにキーキー喚きたてやがって。困り果ててたところで…」
岩倉は苦笑しながら娘を見た。
確かに見たところまだ子供だ。
「お前、誰からの使いだというのだ?」
岩倉が問うと、娘はハタと思い出したような顔になり、懐から一本の笄を取り出した。
「これ見せればわかるって言われてたんだ!」
富士山が描かれた笄。
岩倉が樹之助に与えたものだった。
「それは、樹之助の…。ということは、お前が樹之助の代わりの使いということか?」
「そうで~す。樹之助は今夜大仕事があるので、代わりに伝えるようにってこれを。」
そう言って背負い袋から一通の書状を取りだした。
岩倉は直ぐにそれを開き、立ったまま目を通す。
肝心なところは二度読み返し、それを丸めた。
「今宵か…御所に火を放ち天皇を連れ去るなど言語同断。徳川に肩入れするわけではないが、この計画は何としても阻止してもらわねばならん。」
そう一人呟くと、丸めた紙を懐に入れ娘に声を掛けた。
「お前、名をなんという?」
「木葉!」
木葉が明るく笑う。
岩倉も釣られて笑ってしまった。
「まさか樹之助の嫁ではあるまい?」
そう聞かれると木葉は怒った顔を作って答えた。
「まさかとは何だ!これでももう十六だ!嫁にも行けるぞ!」
「そりゃすまなんだ。それじゃお前が嫁なのか?」
岩倉が機嫌を取るように木葉に問う。
「ち、違うけどさ…」
木葉が俯く。
「なるほど。お前樹之助に惚れておったな?」
岩倉が意地悪く聞く。
「そんなことはどうでもいいの!もう、確かに樹之助の用件は済ませたからね!」
「ああ、これでもうお前の顔は見知ったから、また頼まれてくれ。」
言われて木葉はペコリと頭を下げ、一目散に樹間に消えて行った。
「ほう。子供だが、あれも本物の忍びのようじゃな。樹之助の周りには面白い連中が集まっているの。」
そう言いながら岩倉は屋敷の内へと入って行った。
一方樹之助は鴨川沿いの乞食小屋集落へ来ていた。
「珍しいな。最近はとんと顔を見せなくなったが元気にしてたか?」
イシキリがにこやかに話しかけてくる。
ずっと体調がおもわしくなく、めっきり痩せ細った。
「元気は元気だけどな。なんだか忙しくってよ。貧乏暇無しってやつだな。」
樹之助が笑うと、イシキリもほくそ笑んだ。
「四門は?」
「あいつは最近戻ってないぞ。何やらあいつなりに生きる目的ができたようで、日々あちこち駆けまわっているようだぞ。」
「…生きる目的?」
あの飄々とした、泥棒で日銭を稼ぎ気ままに生きていた男に…
樹之助は四門に泥棒以外の目的ができたことを嬉しく思った反面、何か危険なことに手を染めているのではないか、という嫌な予感が頭をよぎった。
「いないならしょうがないな。戻ったらあまり無理すんなって伝えてやってくれ。」
「わかった。だが樹之助。お前の方こそ無理するなよ。」
イシキリが全て見透かしているいるように樹之助に忠告する。
「わかってるよ。俺も女房持ちだ。無理はしない。」
そう言って河原を後にした。
(今夜四門に不逞浪士探索を手伝ってもらおうと思ったんだが、アテが外れたな...)
樹之助は一度家に戻り、夜が更けるのを待つことにした。




