第76話 池田屋前夜7
六月三日 昼過ぎ
樹之助は島田魁の蕎麦屋の屋台にいた。
「島田さん、本当に美味いんだよ!絶対道を間違えてる。」
樹之助がそう褒めそやすのを島田もまんざらでもない顔で聞いている。
「俺もいつまでも斬ったはったやってられないからな。新選組抜けたら店でも出すか~。」
そう言って笑っている。
「そうなったら俺毎日食いに行くぜ!」
「お、その言葉忘れるなよ。」
二人が談笑していると、升屋に荷車が一台横付けされた。
「あれは?」
「あぁ、大体毎日この時間に炭が運ばれてくるんだよ。量は日によるがな。」
樹之助はその様子をジッと見ていた。
荷車にはうず高く積まれた木炭が積まれていた。
それを人夫二人で引いている。
「よく二人で引けるもんだな...」
樹之助が何気なく言った。
するといつの間にか来ていた近所の客が知った風に答えた。
「あぁ、木炭ってのは見た目ほど重くねぇからな。あのくらいなら二人で十分よ。」
そう言いながら、旨そうにだし汁を啜っている。
「そんなもんか...」
樹之助は勘定を置いて屋台を後にした。
夕刻 家に帰ると木葉と木立が来ていた。
二人は室町通りの呉服屋“大和屋”で奉公している。
住み込みだが、仕事が終わると毎日樹之助の家に来ていた。
千代と三人すっかり打ち解けていて、家を留守にしがちの樹之助にとって、二人が来てくれることはとても心強かった。
「樹之助今日も見張りか?」
木葉が聞いてくる。
「そうだ。二人とも今夜も泊っていくのか?」
「もちろん!ね、木立姉。」
「はい。お邪魔でなければ。」
「邪魔どころか、俺はとっても助かるよ。千代を一人にしておくの心もとないから。」
樹之助が言うと千代も微笑む。
「私もとってもありがたいんだけど、奉公先の大和屋さんに変に思われない?働き難くならない?」
千代が心配する。
「大丈夫大丈夫!大和屋さんのご主人の柘植さんの家って、もともと百地の家来筋だったみたいだから、『仕事以外のことはご自由に』って言ってくれてるんだ。」
木葉が言うと、木立も続く。
「そもそも、柘植さんの家と樹之助さんの家は一緒に京都に出てきて親戚同然だったって聞きましたよ。」
そう言われると樹之助もそんなような話を聞いたことがあるような気がした。
だが、今は疎遠になっていて、樹之助自身は大和屋に行ったこともなかった。
「ま、二人がいてくれて助かるよ。じゃあ俺は行くから。」
樹之助がそう言うと、木葉が「私もいこっかな?」と立ち上がる素振りを見せる。
「こら、遊びじゃないんだぞ!」
樹之助が真顔で言う。
「ちぇ~。でも戦闘以外の諜報活動は樹之助より上手くできると思うんだけどな~。」
木葉は横目で樹之助を見る。
「それは認めるけどな。でもダメだ。万が一のことがあったら勘助さんと日向さんに申し訳が立たない。」
「そうよ。樹之助さんを困らせるもんじゃないわ。」
木立が言うと、木葉は渋々座り直した。
そうして家を出る樹之助。
だが、その夜は特に何もなく、朝を迎えた。
六月四日
外はあいにくの雨だった。
樹之助は昨日同様、島田の屋台で蕎麦を食っている。
「相変わらず美味いね。この任務が終わると食えなくなるかと思うと寂しい限りだ...」
樹之助が少し寂しそうに言う。
雨のせいで通りを歩く人影もまばらだ。
そんな中でも、升屋にはいつもの時間に荷車が着いた。
炭が雨でぬれないよう、荷台は全面的に筵で覆われてる。
それでも昨日の荷車に比べて積まれている量は半分くらいだ。
「?」
樹之助は何とも言えない違和感を感じた。
「島田さん…」
樹之助は小声で島田に呼びかける。
「どうした?」
「あの荷車おかしいと思わないか?」
「あ~ん?」
島田は首を伸ばして荷車を見ている。
荷車は雨でぬかるむ路面に車が埋まり立ち往生している。
升屋の中から奉公人らが出てきて総出で荷車を押しやっとのことで店先に着けた。
「雨の日は大変だな…ってことくらいだが。何か変か?」
島田が樹之助に問い返してくる。
「あの荷車...昨日の積み荷に比べて半分ほどの量しか積んでないのに、はるかに重そうだった。いくら雨でぬかるんでいるといっても、あれだけの人数じゃなきゃ押せないって変だと思わないか?」
それを聞いて、島田は驚きの表情を浮かべている。
「あの荷車、外見は木炭を装っているが、中身はもっと重い物だ。例えば…」
樹之助は不敵な笑みを浮かべながら島田に言った。
「…銃、とかな。」
島田の顔が緊張感で引き締まった。
「こうしちゃいられねぇ!」
島田は直ぐに屋台を畳むと、急ぎ壬生の屯所に帰って行った。
樹之助は嵐の予感を感じ取っていた。




