第74話 池田屋前夜5
樹之助は千代に当面新選組の監察方の手伝いをすることを伝えた。
「今夜からちょっと見張りに出る。帰りは状況によるから、戸締りして寝ていてくれ。」
言われて千代は少し不安そうな表情をした。
「新選組が絡むことって、血を見ることじゃない?あなたに万が一のことあったらと思うと、寝てなんていられない...」
千代の不安をかき消すように、樹之助はわざと大きな声で笑った。
「バカだな~。新選組の手伝いって言っても、あの隊服着て斬り合いするわけじゃないんだぜ。」
樹之助は少しおどけて言う。
「俺は怪しい家を見張るだけで、戦うわけじゃない。何かあったら新選組に知らせて終わりだ。俺の足なら捕まらないの千代ならわかるだろ?」
そう言われると千代も少しほっとしたような顔つきになった。
「でも、無理はしないでね。あなたは忍びとして普通の人が入れないような所まで入って行きそうだから、余計に心配なのよ。」
「大丈夫だ。無理はしない。」
そう言って千代の肩を引き寄せた。
その時、入口の戸がドンドンと鳴った。
「誰だ?こんな時間に...」
宵の口とはいえ、もう辺りは陽が暮れている。
樹之助は土間に降りて戸口に立つ。
「どちらさん?」
返事がない。
「いたずらか?」
千代に向かってつぶやく。
千代も首を傾げている。
するとまたドンドンと戸を叩く音が。
「だから誰だ?怪しい奴なら開けないぞ!」
樹之助が怒気を含んで叫ぶ。
「コンコン…キツネだよ。」
その一言で樹之助は全て覚った。
引き戸のつっかえ棒をはずし戸を開けると、風が舞い込んできた。
「千代姉さんお久しぶり~!」
「あら、木葉ちゃんだったのね。」
千代も立ち上がり框まで下りてきた。
「で、そちらは?」
千代が首を傾げる。
「はじめまして。木葉の姉、木立と申します。その節は妹が大変ご迷惑をおかけいたしました。」
「なんだ木立も来たのか。木陰は一緒じゃないのか?」
「さすがに全員いなくなると母が寂しがるので、木陰姉は置いてきた。めっちゃ文句言ってたけどね。」
木葉が勝ち誇ったような顔で笑う。
「とりあえず、色々話すこともあるだろうからまずは足洗って上がれよ。」
二人はたらいで足を洗い旅装を解いた。
「あ~疲れた~!」
木葉が居間に大の字になる。
「こら、木葉!はしたない!」
木立が注意するが、木葉はお構いなしにゴロゴロしている。
「まぁまぁ、いいじゃないか。それより、勘助さんと日向さんの許可は取ってきたんだろうな。」
樹之助が木立に向かって問いかける。
「はい。正直、今回は木葉の行動力に私たちも乗っからせてもらったという感じで...」
木立はゴロゴロしている木葉を見つめている。
「本当は私達姉が、もっと早くお父様とお母さまに話して、広い世間を見聞きする機会を作っておくべきだったんです。私たちも、里は大好きなんですけど、もっと世の中の事を知りたいと思っていました。でも、両親を置いて出てくるのもしのびなく、なんとなく惰性で日々を過ごしていたところ、木葉が京都に単身乗り込んで、樹之助様のお手紙を持って戻ってきたことを聞いて…私たちも前から持っていた思いを両親にぶつけてみたんです。」
「へっへ~。木葉ちゃんに感謝するのだぞ~」
木葉が座って木立を覗き込む。
「うん。木葉のように思い込んだらひたむきにやりきること、大事だなって、木陰と二人話してた。」
「へへ、照れるな~」
木葉が顔を赤くして照れている。
「でもよく勘助さん許してくれたな。あんなに娘大事な人だったのに...」
「それがね...」
木立が歯切れ悪く言いかける。
するとまた玄関の戸がドンドンと鳴った。
「え?また?」
樹之助が今度は問いかけることなく戸を開けると、そこに一人の行商人が立っていた。
「か、勘助さん?」
「いやぁ、すまんすまん。先に京で得意先回ってきたら遅くなっちまったわい。」
そう言いながら、勘助はズケズケと入り込んできた。
勝手に足を洗い上がり込むと、千代の前に座りマジマジと顔を見つめる。
千代は恥ずかしくなって顔をそむけた。
「樹之助~。お前も隅におけんな。こんな可愛い嫁を、もらっているなんて。樹三郎にも見せてやりたいわ。」
「勘助さん、親父は元気なんですか?」
樹之助が聞く。
「ああ、体の方は何の問題もない。もともと丈夫な肉体を持っている奴だからな。日々野良仕事で益々鍛えられている。だが...」
勘助は少し声音を落とした。
「記憶の方がな。なんというか夢に過去の出来事がチラチラと表れるらしい。記憶の混濁状態というかな。時間が経てば忘れるのだが、時々人を殺めた時のような、重い記憶が夢に出た日は、一日どんよりとしている時もある。」
樹之助は父が苦しんでいる姿を想像し、なんとも言えない気分になっていた。
そんな樹之助の様子を見て、木立が言い足す。
「でも、そんな日は滅多にないんですよ。大抵は、明るく朗らかな樹三郎さんで、里のみんなにも人気者なんです。」
それを聞いて樹之助も少し安堵した。
「それで、勘助さん迄来られたって、今後どうするんですか?」
樹之助が聞くと、勘助は真顔に戻り答えた。
「さすがに新婚の家に同じくらいの年頃の娘を住まわせるのはいくらなんでも具合がわるかろう。」
「そんなことないよ~。私樹之助達と一緒がいいのに~」
木葉が口を尖らす。
「馬鹿もん。樹之助と何より千代さんが迷惑だわ!お前たちがいたらややもできんだろう!」
勘助以外皆が赤面する。
「ちょっと、お父様。千代さんの前でそんな...」
言われて勘助も“しまった”と言う表情を浮かべ、慌てて話を戻す。
「そ、それでだ。俺は行商人として京と伊賀を何年も行き来している関係で、京にそれなりのツテがあるのよ。そのうちの1軒はかつて百地の忍びだったものが京で拠点として置いた呉服屋でな。そこにしばらく奉公する形で住み込みさせてもらうよう話をつけてきたのだ。」
「そのために勘助さんも一緒に来たんですね。」
樹之助が納得顔を見せる。
「三人いっぺんに出てこられると日向が寂しがるから、まずは二人で来て、定期的に入れ替わるように言ってある。何かあればすぐに里に知らせることもできるしな。」
「寂しいのは母さまじゃなくて父なのにね~」
木葉が茶化す。
「うるさい!そういうわけで、樹之助の家に厄介になることはないが、京にいる間いろいろ娘たちの面倒を見てやってほしい。」
勘助は頭を下げた。
「もちろんです。俺も今いろいろ仕事が増えて家を留守にしがちなんで、二人のどちらかが千代の話し相手になってくれたら俺も安心です。」
「やった!私千代姉さんの所毎晩来るよ!」
木葉が飛び上がる。
樹之助の家に明るい笑い声が響いていた。




