第73話 池田屋前夜4
翌日 壬生新選組屯所
「やぁ、来てくれたんだね。」
「沖田、体は大丈夫なのか?」
普通に出迎えてきた沖田を見て、樹之助は心配そうに声をかける。
「あぁ、もう大丈夫だ。ちょっと夏風邪をこじらせただけで、一晩ゆっくり寝たらこの通りさ。」
といって両手を広げて見せた。
「あまり無理するなよ。」
樹之助が言うと沖田は嬉しそうに微笑んだ。
樹之助が奥に通されると近藤、土方、山崎が待っていた。
「局長、この者がこの度監察方与力となった石川樹之助という者です。」
土方が短く紹介する。
「お主のことは土方、沖田から聞いている。正式な隊士になるは嫌だとのこともな。」
樹之助は小さく頷く。
「まぁ、後のことはともかく、今は攘夷派の連中が企てているという大きな計画というのを掴むことが肝要だ。石川君には山崎の下についてもらう。新選組の監察方を束ねる男だ。今後は全て山崎の指示に従ってくれ。」
土方がそう言うと、山崎は軽く会釈した。
「山崎烝といいます。今市中探索の手は猫の手も借りたい状況です。祇園界隈の裏社会に精通している君の力、頼りにしています。」
「わかった。今あんたらが掴んでいる情報を教えてくれ。」
樹之助が言うと、近藤と土方は立ち上がり部屋を出ていこうとした。
その背に向け、樹之助が声かける。
「探索に必要な資金!前金でな!」
近藤と土方は顔を見合わせ苦笑いする。
「山崎君、必要な手当て、会計方から渡してやれ。」
土方はそう言い残して出て行った。
「君はしっかりしてますね。けれど、綺麗ごとだけの奴よりよほど信用できます。」
山崎は新選組隊士にありがちな猛々しさがみじんも感じられなかった。
「あんた、新選組に似合わないな。なんというか、学者みたいだ。」
樹之助は思った通りのことを口にした。
山崎はクスっと微笑む。
「まぁ、剣術もやるのですが、実家は医者でしてね。私も好きで医学や薬学の本をよく読むのです。武士らしく見えないってのも、監察の仕事をやる上では結構助かるのですよ。」
樹之助にはその言葉の意味がよくわかった。
「現在私の配下が京都市内各所に潜伏して諜報活動を行っています。君には地元の祇園界隈で長州派の浪人らに関する情報を集めていただきます。」
樹之助はうなずく。
「そして現在かなり疑わしい情報があります。我々はそこを重点監視目標として警戒しています。そこの警戒活動も、交代で担っていただきたい。」
「ほう。どこだ?」
「論より証拠。これからご一緒しましょう。」
山崎はそう言って立ち上がり、樹之助に後に続くよう促した。
その後山崎は会計方に向かい、二千文(一両のおおよそ半分)を引き出し樹之助に与えた。
「気前がいいな。」
樹之助は微笑む。
「危険手当も込みですよ。大事に使ってください。」
そう言いながら山崎は屯所の門を出た。
しばし並んで歩くと、樹之助はだんだん見慣れた方向に進んでいるのに気づく。
「あれ、こっちは俺の庭先じゃ。」
「ええ。河原町四条上ル東。祇園界隈からは目と鼻の先です。」
「そんなところに一体何が?」
「まぁ、黙ってついてきてください。」
やがて目的の地番近くに到着した。
山崎は通りの端の蕎麦屋の屋台に腰を下ろした。
「らっしゃい!何にする?」
店主は蕎麦屋にしては大柄な男だったが、顔は愛嬌のある笑顔で迎えた。
山崎は慣れた口調で「かけ」と言う。
樹之助は小声で「え、メシ食うの?」と山崎に向かって問いかける。
「まぁ、いいから何か頼みなさい。」
そう言われたので、「じゃあ俺もかけで。」と言った。
注文を聞くと、店主は慣れた手つきでそばをさっと湯がき、特製のだし汁をかけて差し出した。
樹之助はさっそく箸をつける。
「美味い!」
おもわず叫んだ。
それを見て山崎と店主が顔を合わせて笑った。
その後店主は辺りをぐるりと見回してから、山崎に顔を近づけ小声で話しかけた。
「山崎さん、こいつが例の与力?」
「ああ。彼は祇園界隈に詳しいし、ここから家も近い。今後見張りの仕事も手伝ってもらうことになるから、見知っておいてもらいたい。」
山崎がそう言うと、店主はいかつい顔で樹之助をじっと見つめた。
樹之助が固まっていると、ニカっと相好をくずす。
普段がいかついだけに、笑うと妙に愛嬌がある。
「俺は新選組二番隊伍長で島田魁というもんだ!今は蕎麦屋のナリでそこを見張ってんだ。」
そう言って斜め向かいの商家を顎で指した。
「でも、この蕎麦すごく美味いよ!普通に商売できる。」
樹之助は感心している。
「そりゃあよ、蕎麦屋に化けているとはいえ、客が来たら出さなきゃいけねぇんだ。まずい蕎麦ならかえって怪しまれるだろうよ。」
島田が笑う。
「監察はいろんなナリに変装して潜入しなければなりません。それは格好だけではなく、それぞれの職を完全にできるようにならなければ、怪しまれ危険を招きます。」
山崎が監察の極意を教えてくれた。
「それで、あの商家は?」
樹之助が聞く。
「筑前黒田家御用達・枡屋。炭、薪、古道具、馬具などを扱う何でも屋なんですが、店主の行動が怪しいという噂が複数ありましてね。数日前から見張りを立てて裏取りを進めているところです。」
樹之助は再び振り返り、枡屋の入り口を凝視した。
だが、ここから見える何の変哲もない商家が、歴史の歯車を動かすきっかけになるとは、この時の樹之助が知る由もなかった。




