第72話 池田屋前夜3
樹之助と沖田は共に宵待を出た。
お滝が「駕籠呼んだ方がいいんじゃないかい?」と沖田に声掛ける。
「大丈夫ですよ。そんなに遠くないし、酒も飲んでないから。」
沖田は振り返りほほ笑む。
辺りは薄暗くなってきていた。
祇園通りを並んで歩いていると、樹之助が囁いた。
「あんた、やっぱり尾けられてるな。」
「う~ん。やっぱり俺か。」
沖田が苦笑いしている。
「俺はあんたほど顔が売れていないからな。」
「あまり有名になるのも困りものだなぁ。」
二人は並んで歩きながら、繁華街の端にある居酒屋の横の路地に入る。
大きな通りの方が人目があり襲われにくい反面、万が一襲われた時は囲まれてしまう。
多人数を相手にするには細い路地に入るのが、京都での市街戦の常道だった。
さすがに百戦錬磨の二人はわきまえている。
「ゴエモン、丸腰じゃないか?」
「護身用の苦無だけだ。まさかこんな展開になると思ってなかったからな。」
「さすがにそれじゃ剣客相手にできないね。」
「走るか?」
「いや、恐らく相手は人数を頼んでいるだろう。先回りされている可能性もある。」
「後ろの気配から察するに四~五人。他に仲間がいるとなると、あんたでも無理があるな。」
「そうだね。多くの恨みを買っている身で一人歩きはやっぱり危険だったね...」
そう言いつつも、沖田に焦りの色は見えない。
「ゴエモン、君ならこの塀越えて逃げおおせることなんて造作もないんだろう?」
樹之助は狭い路地の両脇の板塀とその向こうの平屋造の家を見上げる。
「そうだな。俺一人ならどうとでもなる。」
「それじゃあ、君はここを抜けて八坂神社下祇園会所へ走ってくれないか。新選組が巡察の折休み処にしている所だ。ちょうど暮れ六つ時は今日の巡察隊が待機しているはずだ。」
「お前は一人で大丈夫なのか?」
「防ぐだけなら多少持ちこたえることはできるだろう。」
いくつかの木戸を超えると、追手の足音が近づいてくる。
「早く行け!」
沖田が叫ぶと樹之助は、まるで蒸発したかのように姿を消した。
微かに屋根に飛び移り走り去る音を残して。
「頼もしい奴だ…」
沖田は姿が見えない屋根に向かい、小さくた呟いた。
次の木戸をくぐると、沖田は立ち止まり振り返った。
敵の追ってはもう五~六間ほどの距離に見える。
(五人...か)
沖田は敵の数を把握する。
一度に木戸を潜れるのは一人だけだ。
ここで迎え討てば常に一対一の戦い。
それならやられない自信が沖田にはあった。
「さっきから後を尾けてきている君たちは誰だ?俺は人に追われる理由がないんだが、誰かと勘違いしていないか?」
沖田の問いに、浪人の先頭にいた男が答えた。
「お前、新選組の沖田だろ?昼間茶屋にいたところ見た時は、まさかと思ったが、間違いねぇって言う奴がいるんでな。」
「沖田?俺は会津藩士の長谷川と言うんだが?」
沖田はでまかせを言う。
少しでも時間稼ぎするためだ。
「長谷川?おい、お前が沖田で間違いないって言ったじゃねぇか。」
振り向いて、背の低いひげ面の男に確認する先頭の男。
「いや、まちがいねぇって。去年俺の仲間がこいつに斬られてるんだ。あの顔忘れるわけがねぇ!」
別の仲間が追い打ちをかける。
「それにこいつ全然会津訛りねぇぞ」
(しまった!幕臣くらいにしときゃよかった!)
沖田が内心苦笑いしていた。
「なんでもいいさ。こうなりゃ人違いであろうとなかろうと、叩き斬るまでよ!」
完全に火がついてしまっている。
こうなれば血を見ずには収まらないというのを、沖田は京の街中で嫌というほど見てきた。
だが、さすがに沖田とわかっていて一対一の勝負を仕掛けてくる猛者はいない。
木戸の向こうで尻込みしているが、そのうち先頭のリーダー格が言った。
「おい、二人ほど迂回して背後に回れ!」 すぐに後尾の二人が駆け出す。
(う~ん。それはまずいな~)
沖田はそう思いながら目まぐるしく頭の中で生き残る算段を巡らせている。
(樹之助…)
一方新選組祇園会所
「あれ?副長自ら巡察とは珍しいですな。」
「ふ、沖田に別の役目頼んじまったからな。代わりに俺が一番隊を率いてきたのよ。」
土方が祇園の休み処に到着した時、二番隊の永倉新八が先着していた。
昨今の不穏な動きに対処するため、新選組の巡察体制も強化されていた。
「暮れ六つからが本番だ。皆気を引き締めて行けよ!」
土方が激を飛ばし、永倉が出て行こうとした時、一陣の風が舞い込んできた。
「何奴!?」
永倉が咄嗟に刀の柄に手をかける。
「永倉君待て!」
土方が片手を上げ制する。
「お前は石川...」
土方が言い終わるのを待たずに樹之助は言葉を発した。
「沖田が危ない!不逞浪士数人に囲まれている!」
「何!場所はどこだ!?」
永倉が樹之助に掴みかからんばかりの勢いで聞いてくる。
「祇園裏通りを一丁ほど下った居酒屋徳兵衛脇の路地を入った先だ。」
樹之助が言うやいなや、永倉が叫んだ。
「二番隊出るぞ!続け!」
そう言うと隊士をまとめ一目散に駆け出して行った。
「俺もすぐ戻る!」
樹之助が踵を返す背に土方が言った。
「恩に着るぞ。」
樹之助は再び風のごとく消えた。
一方沖田
(そろそろ後ろに迂回の奴らが辿り着く。挟まれたら終わりだ...)
活路を開くためには、挟まれる前に目の前の相手を突き崩すしかない。
いかな樹之助の足でも、味方を引き連れてくるのには、もう少しかかると思った。
(よし行こう!)
命の修羅場では一瞬の判断の遅れが命取りとなる。
出ると決めた沖田は素早かった。
木戸を挟んで正面にいる敵に音もなく踏み込むと、得意の高速の突きを入れる。
「ぐはぁ!」倒れる男。
あまりの速さに呆気に取られている右手の男に構わず、左で正眼に構えて固まっている男の刀に我が刀をあわせ、刀身を滑らせるように相手の鍔元まで走らせる。
次の瞬間相手の右手親指を切り落とした。
親指を斬られれば、人は刀をしっかり握ることができない。
直ぐに振り向き、我に返った右の男に対し身構える。
後ろに回った二人もこちらに気付いて走ってくる。
(もう少しなんだが...)
沖田が右手の男に踏み込もうとした瞬間、沖田の足が止まる。
と同時に沖田は激しく咳き込んだ。
(は、肺腑が、破れそうだ...)
こみ上げる咳が止まらない。
呼吸ができない。
刀を地に突き、必死でこらえる沖田。
「こりゃ幸いだ。病気だかなんだか知らねぇが、この機会逃すものかよ!」
男が刀を振り上げる。
(くそ、こんなところで...)
沖田も覚悟した。
だが沖田の体に冷たい鋼の刃が食い込む代わりに、刀を振り上げた男の絶叫が響いた。
咳こみながらも、顔を上げた沖田の見た光景は、屋根上から苦無を投げ込み、飛び込んでくる樹之助の姿だった。
「沖田!大丈夫か?」
樹之助が沖田をかばう。
「…は、早いな、樹之助。もっとゆっくりしてきて…良かったのに...」
そこまで言うと沖田はガクッと気を失った。
「おい!沖田!しっかりしろ!」
沖田を揺り起こしている間に、迂回組二人が木戸を飛び越え、樹之助と沖田に斬りかかろうとしてきた。
樹之助は苦無を投げてしまったので丸腰だ。 咄嗟に沖田が地面に突き刺していた刀を抜き、敵の刀を受け止める。
だが、もう一人の刃は避け様がない。
(ダメか!?)
そう思った時、バタバタと駆け込んでくる足音が聞こえた。
「コラァ!貴様ら新撰組と知っての狼藉かー!」
先頭をきって飛び込んできた永倉は刀を抜くと同時に樹之助に斬りかからんとしていた男を逆袈裟に切り上げた。
そして返す刀で樹之助が剣を受けている男の首筋を峰打ちで打ち据えた。
二人がどさりと崩れ落ちた。
「あんたは、永倉…」
樹之助が声をかけると永倉は刀を収めて振り向いた。
「お前はさっきの。俺たちより後に出て、先に着いているとは、どんな足してんだ?」
そう言って樹之助を助け起こす。
二番隊の隊士が浪士らを引っ立てていく。
そこに土方が追いついてきて、戸板に乗せられ運ばれていく沖田を見つめていた。
そして永倉に近づいて話しかける。
「総司の奴、斬られたのではないだろうな?」
永倉は答えず樹之助に視線を送る。
樹之助は土方に向かい答えた。
「斬られちゃいない。だが突然咳き込んで昏倒したんだ。」
土方が顎に手を当てポツリと呟く。
「最近よく咳をしていたからな。労咳じゃなければいいんだが…」
「ありがとう。助かったよ。」
樹之助が永倉に礼を言うと、永倉は人の好さそうな笑みを浮かべて言った。
「礼を言うのはこっちの方だ。沖田を助けてくれてありがとよ!」
樹之助は運ばれていく沖田をじっと見つめていた。
土方は樹之助に向き直る。
「お前、総司から用件を聞いたんだろ?ここにいるという事は、諾と受け取っていいんだな?」
「まぁ、今回限りの与力だ。金はしっかりもらうぜ」
それを聞いて土方は呆れたような笑みをみせて首を振った。
「まったく、しっかりしてるな。とりあえず明日屯所まで来い。」
言い捨てて土方は永倉と共に立ち去って行った。
【永倉新八】松前藩脱藩 新選組二番隊組長 神道無念流 その剣は実戦では新選組一と言われた。晩年は北海道小樽市で暮らした。満75才没




