第7話 壬生寺
壬生寺の境内
穏やかな昼の光が差していた。
初夏の気配を含んだ風が、砂埃をやわらかく舞い上げる。
その中で、子供たちのはしゃぐ声が響いている。
「ほら、そっちだ!逃げろ逃げろ!」
無邪気な笑い声に混じって、一人の男が駆け回っている。
まだ年若いその男は、子供たちに囲まれながら楽しそうに笑っている。
樹之助は、境内の端に座り、その様子を黙って眺めていた。
あの夜以来、あの男の事が気になってしょうがなかった。
そんな思いが高じ、とうとう壬生界隈までフラフラと足を運んできてしまった。
別に会って何かを話そうという訳でもないのに…
ここから見る沖田は...
同じ男とは思えなかった。
路地裏で見た剣。
風のように間合いに入り、目に見えない高速の突きを放つ。
相手は何が起きたかもわからぬまま命を絶たれる。
目の前で子供と戯れている男からは、そんな気配は微塵も感じられない。
ただの、どこにでもいる若者にしか見えなかった。
「……あれ?」
不意に、男が顔を上げた。
子供たちの輪の向こうから、まっすぐにこちらを見る。
目が合った。
にやり、と笑う。
「この前の“ゴエモン”じゃないか」
軽い調子でそう言いながら、男は子供たちの輪から抜け出してくる。
“沖田総司”
間違いない。
「こんなところで何してるの?」
まるで旧知の友に話しかけるような口ぶりだった。
樹之助はわずかに肩をすくめる。
「通りがかりだ。」
「へぇ。奇遇だね、俺は息抜き中。」
沖田はそう言って笑い、近くの石に腰を下ろした。
「こっち来なよ」
促されるまま、少し距離を置いて腰を下ろす。
それを見て沖田はクスっと笑う。
「警戒しなくてもいいよ。今日は非番だから。」
子供たちはまた遊びに戻り、二人の間に不思議な静けさが落ちた。
しばらく、他愛もない話が続いた。
天気のこと。
京の物価の高さ。
うまい団子屋の話。
沖田はよく喋り、よく笑った。
「俺さ、江戸の出なんだ…」
ふと、沖田が言った。
「向こうじゃ試衛館の道場でさ、毎日わいわいやってたんだよ。近所のガキどもも入り浸っててさ」
遠くを見るような目。
「こうやって遊んでると、思い出すんだよね」
境内で駆け回る子供たちに視線を向ける。
「……本当はさ」
少しだけ声が落ちた。
「人なんか斬りたくないんだよ…」
風が、二人の間を通り抜けた。
樹之助は何も言わなかった。
その言葉の重さを、理解していたから。
「でも、戻れないんだよね」
沖田は苦笑した。
「もう、前みたいには」
沈黙が落ちる。
樹之助は、ゆっくりと口を開いた。
「…そうだな」
短い言葉。
「一度でも手を汚せば、元には戻れない…」
あの夜の光景が、脳裏に蘇る。
血の匂い。
崩れ落ちる影。
自分の手で奪った命。
「昔には、戻れない…」
そう言い切ったときだった。
「——そうかな」
沖田の声が、柔らかく割り込んだ。
樹之助は顔を上げる。
沖田は、穏やかな笑みを浮かべたままこちらを見ている。
だが、その目だけが笑っていなかった。
底の見えない、静かで深い光。
「君さ…」
ぽつり、と言う。
「人を斬ったこと、ないだろ?」
心臓が、強く打った。
「……何言って——」
言いかけて、言葉が止まる。
沖田の視線が、逸れない。
見透かすように、真っ直ぐに向けられている。
あの夜。
三宅の屋敷。
刃が肉を裂いた感触。
温かい血。
(俺は——)
喉が乾く。
確かに、斬った。
この手で、命を奪った。
それなのに——
「君の目、まだ濁ってないよ」
静かな声だった。
断言するような響き。
「俺たちみたいに、なってない」
沖田はふっと視線を外し、子供たちの方を見た。
再び、あの柔らかな笑みが戻る。
「だからさ」
立ち上がる。
「まだ戻れるんじゃない?」
軽い調子で言いながら、子供たちの輪へと駆けていく。
「ほらほら、鬼ごっこ再開だ!」
「総司兄ちゃん遅ーい!」
笑い声が弾けた。
さっきまでの会話が、嘘のように。
樹之助は、その場に座ったまま動けなかった。
(……戻れる?)
胸の奥に、何かが引っかかる。
あの夜の自分。
今の自分。
どちらが本当なのか。
わからなくなる。
境内に響く子供たちの笑い声が、やけに遠く聞こえた。
そんな静けさを切り裂く怒号が境内に響く。
「総司ー!またここか?お前任務忘れてんだろう!」
寺の正門の方から辺りに声を張りながら一人の武士が大股で近づいてくる。
その声に反応し、沖田が灯篭の間から顔を出す。
「えー?今日は非番ですよね?」
「馬鹿野郎!副長助勤は市中警護以外にも任務あるって言ってんだろうが!」
男は沖田に強い口調で言ってる割に顔は笑っている。
「ちぇ~。俺平隊士がいいよ~。」
沖田が口をとがらせて言うと、男はまた怒鳴った。
「てめぇ!組一番の使い手がふざけたこと言ってんじゃねぇよ。誰がお前みたいな天邪鬼を使いこなせるんだよ。」
「ふふふ、土方さん」
沖田が土方と呼んだ男を指さす。
「よせやい!四六時中お前のお守りなんてゾッとするぜ。」
「酷いな~。せっかく認めてあげたのに。」
「うるせぇ!いいから帰るぞ!お前今日の稽古番だろうが!」
そう言って土方は寺の出口の方へと踵を返す。
「あ、待ってよ土方さん!」
そう言って慌ててついて行こうしたとき、沖田は樹之助の方へ手を振った。
「またねゴエモン!」
(ゴエモン!?)
土方がその名に反応し、振り返り樹之助を見た。
沖田とは違う、鋭い眼光。
鋭利な刃物のように、近づくものを全て刺すような威圧的な目だった。
(土方…というのか、あの男)
樹之助はその名を心にしっかり刻み込んだ。
【試衛館】
試衛館は、江戸市中(現在の市谷周辺とされる)にあった天然理心流の道場で、近藤勇が師範を務めた。門弟には土方歳三、沖田総司、井上源三郎らが名を連ね、後に壬生浪士組を経て新選組として京都で活動する基盤となった。




