第69話 嵐の前
6月 岩倉邸
「おい樹之助、最近の市中の様子はどうじゃ?」
「どうって、いつもと変わりないですよ。昨年の長州失脚以来、町中で暴れる浪人も少なくなってるようだし、いたって平和…」
「ふーむ。」
岩倉が腕組みして考え込んでいる。
樹之助は少し不審に思い問い返す。
「岩倉様?なんぞご懸念でもあるのですか?」
岩倉は尚も考え込んでいる。
ややしばらくして、岩倉は大きくため息をつき樹之助に視線を向けた。
「儂をこの様な落魄の身としたのは長州や土佐の過激勤王派の連中だという事は前に話したことがあるな?」
樹之助は無言で頷く。
「昨年長州と長州派の三条ら公卿が都落ちし、土佐の勤王党が山内容堂によって大弾圧を受けた事は痛快の極みであったが...」
岩倉の目の奥に怒りの色が浮かんでいる。
「京から過激派がいなくなった様に見えるは、奴らが地下に潜ったにすぎぬ。」
樹之助は真顔になった。
「それでは、過激な連中はまだ市内に潜んでいる…と?」
「そうじゃ。地下に潜った分、前よりタチが悪い。お主が言った様に表面には見え難くなったからの。」
樹之助も思った。
いくら長州や土佐勤王党が失脚しても、あれだけいた草莽の志士といった脱藩浪人たちが、ほとんど姿を見せなくなったのは、いささか不気味過ぎる。
「あの過激浪人達はどこへ?」
岩倉は扇子をパチリと閉じ、樹之助を指し示した。
「それよ。こうも静かなるはあまりにおかしい。嵐の前の静けさというが、まさにそれ。奴ら裏で大きな謀をしているのではないか、と儂に手紙を寄越してくる者もいる。」
「そんな情報が…」
「まだ具体的な事は一切わからぬが、これにはやはり長州の桂小五郎が一枚噛んでいるとの噂じゃ。」
「長州の…桂…」
「儂はな、樹之助。徳川だろうが長州だろうが、武家同士で潰しあうことには勝手にせい、という思いしかないのだ。しかしな、この都に災いをもたらし、天皇に危害及ぶような事態になることだけは看過できぬ。」
岩倉の顔に赤みが増している。
「現状京の治安を守るべきは徳川の務めじゃ。その治安維持の最前線、新撰組とやらの浪人部隊にお前は顔が効くらしいの?」
「いや、顔が効くってわけではありませんが、多少知った顔がいると言う程度で…」
「何でもいい。お主は当面市内において、過激派の計画とやらを探る動きをしろ。その為には一時的に新撰組に加担することもやむなしじゃ。」
樹之助はやっと岩倉が言わんとしてることを悟った。
「なれば岩倉様のお使いも、少し滞りますがよろしいですか?」
「致し方あるまい。誰か代わりのものでもいればいいのだがの〜」
岩倉は少し困ったような顔をした。
それを聞いて樹之助には一案が浮かんだ。
「使いの者、氏素性にこだわりありますか?」
それを聞いて岩倉は大笑いしだした。
「ははは、お主を使うておるのが、氏素性などにこだわっておらぬ証拠ではないか。」
「あ、なるほど…」
樹之助もポンと手を打つ。
二人しばし大笑いした後、樹之助が言った。
「されば、俺は明日から市内にて情報を集めまする。その間俺に代わる者を寄越すときには、以前いただいたあの笄を持たせます。」
岩倉は深く頷き、「気をつけろよ」と言った。
樹之助は久しぶりに本格的な忍び働きの機会到来に身震いする思いだった。




