第65話 桜吹雪
岩倉屋敷の帰り、樹之助は土塀の続く静かな武家屋敷街へ入った。
「ここが松代藩邸...」
松代藩邸に辿り着くと、樹之助は門番に用件を伝える。
「こちらに佐久間象山先生がいらっしゃるとお聞きしております。さるお方からの親書を預かってきましたので、どうかお取次ぎください。」
門番は樹之助を一瞥する。
武士ではない、いかにもどこかの小者という感じを受けているようだった。
「どれ、見せて見ろ」
樹之助は懐中からそっと象山宛の手紙を差し出した。
門番は裏書を見て少し顔色を変えた。
「今確認してくるから、しばし待たれい。」
そう言って潜り戸の中に入って行った。
しばし待つ。
藩邸内から桜の花びらが風に吹かれてヒラヒラと舞っていた。
「春だな...」
樹之助は飽くことなく風に舞う花びらを眺めていた。
やがて潜り戸が開き、中から先ほどの門番が出てきた。
「象山先生はご使者殿にお会いすると言うことなので案内つかまつる。どうぞこちらへ。」
樹之助は驚いた。
書状を届けるだけと思っていたのに、いきなり顔を合わせることになるとは…
縁側に回され、書院の前にてかしこまる。
直ぐに障子が開き、中から痩身、面長、頬のこけた白面で目の大きな男が出てきた。
「お前が、樹之助とかいう者か?」
やや高めの声で問うてきた。
「はい。」
「岩倉卿の手紙に書いてあった。その方町人ながら学問に興味があるとな?」
「学問と言うほどの域には達してないけど、外国のことなど聞くにつれ、面白さと恐怖を覚えてます。」
「面白さはわかるが、恐怖とは如何に?」
「国がこれまで眠っていた時間の恐怖というか...この国が眠っていた間の外国の進歩が空恐ろしく、実際に近隣の国が外国に支配されていると聞くと、この国はこのままでいいのかと...」
それを聞き象山は目を丸くし、続いて大声で笑い出した。
「あ、ははは!そのことを知ってもただ夷狄討つべしと刀を振り回しているだけの攘夷派の馬鹿どもより、ただの町人のお主の方がよっぽど時世を的確に見抜いておるわ!」
そう言うと象山はどっかと縁側に座り込んだ。
「なるほど、岩倉卿が面白き男と言うだけのことはある。しかもお主忍びだとか?」
ギクリとした。
(岩倉卿にそんなことを話したことはなかったはずだが静逸なのか?)
見抜かれている。
「ま、まぁ。そのような家系に生まれました。今となっては何の役にも立たぬ、忘れられた技能です。」
「時代と共に様々な物が生まれ、また淘汰されていく。お主の技も既に廃れているのかもしれんが、今に世が騒がしくなる。その時その技量は再び必要とされることがあるはず。その時、何のためにその技を使うのか、それを正しく理解するため学問は決して無駄にはならぬ。」
象山は顎髭を撫でながら樹之助を見つめる。
「いいか、忍びどころか武士というものがもうすぐこの世から無くなるぞ。古いものにしがみついていては、進歩はない。だから励め。自ら変わることを恐れずに...な。」
そこまで言うと象山は、少しほほ笑んだような気がした。
そして懐から岩倉への返書を差し出した。
「面白き男よ!岩倉卿へよろしく伝えてくれ。」
そう言うと象山は立ち上がり、障子の向こうへ消えて行った。
なんとも豪快な、話すだけでも人を圧する空気をまとっている人だった。
だが、象山の言葉で樹之助は自分の生き方が少し見えた気がした。
(俺の正心見つけるためにも学問は無駄じゃない。そして、忍びが廃れることになっても、違う道で進歩すればいいんだ。)
振り仰ぐと桜の花びらが夕日に煌めいていた。
人の世など、一瞬で散る桜の花のようなものだ。
短い人生俺は悔いなく、精一杯生きる。
樹之助の帰りの足取りは力強くなっていた。




