第59話 苦慮
樹之助が山城屋に戻った時、あたりはとっぷりと日が暮れていた。
両替商山城屋では、番頭九兵衛が待っていた。
「えろう遅かったやないか。いったいどこをほっつき歩いとんねん。」
えらく高飛車な物言いに、樹之助は少しむっとした。
「こちとら本業以外で人手が足りねぇから手伝ってくれって山城屋直々に頼まれたからやってやってるんだ。あんたにそんな偉そうな口きかれる筋合いはねぇ。」
「んだと?偉そうな口利きやがって。どれだけ回収できたか見せてみやがれ。」
そう言われると樹之助は懐に入れていた袋を無造作に九兵衛の前に投げつけた。
「全部だ。証憑の額と照合してみやがれ!」
「あ、全部?」
九兵衛は目を丸くしている。
こうした取り立ては相手が居留守を使ったり、逃げ出したり、金を持っていなかったりで、半分も回収できればいい方だった。
「おめぇ、どんな手使ってんだ?」
「もう二度とやらねぇぞ。てめぇみたいに自分は何もしないで人の努力を高所から見て批判するような奴に使われるのはまっぴら御免だ。」
樹之助が怒って帰ろうとするところ、九兵衛がコロリと態度を変えすり寄ってくる。
「まぁまぁ、そう怒るなって。あんさんが旦那様お気に入りの凄腕の裏影かてわかってまんがな。こないに回収できるなんて思うてもおらなんやさかい、ほれ、こら今回の日当に特別手当も付けたるさかい、機嫌直してぇな。」
樹之助は番頭のゴマすりに辟易する思いだったが、差し出された一両は無言で掴み、そのまま山城屋を後にした。
通りは暗くなっても相変わらず気忙しい。
歩き出そうとする樹之助の頬に冷たい感触が触れた。
空を見上げると粉雪が降ってきていた。
「こりゃ、冷えるな。早く帰って…」
そう思った樹之助は向かいの、同じ山城屋が営む呉服店が目に留まった。
(今日は望外の収入があったし、いいんじゃねぇか...)
そう思うと山城屋呉服店の暖簾をくぐっていた。
店に入ると、珍しく店主の山城屋喜左衛門が奥でお得意さんと談笑している。
樹之助の元には呉服屋の番頭一太が進み出てきた。
「あれ、樹之助はんやないですか?旦那様に何か用事でも?」
「いや、今日は客だ。」
「ほうほう、そら失礼いたしました。ほな、改めまして。ようこそお越しやす。」
「さっきの両替屋の九兵衛とはえらい違いだぜ...」
「え、何か言わはりましたか?」
「何でもない、独り言だ。」
「それで、何をお探しで?」
「正月用の着物を...な」
樹之助は少し恥ずかしそうに言った。
「そらええですな。樹之助はんならこんな...」
と後ろの棚にある紺色の反物を取り出そうとする。
「ち、違う、俺じゃない。にょ、女房のだ...」
一太は動きを止め、樹之助をマジマジと見つめると、ニヤニヤと笑いながら言った。
「へぇへぇ、それはよろしゅうございますな。正月を新しいおべべで迎えるなんて幸せ者ですな、奥様。」
「う、うるせぇ。からかうな!女が喜びそうなやつ適当に見繕え!」
樹之助が真っ赤になって言う。 一太はそんな樹之助の態度が面白くてしょうがないという風に顔を覗きこんでいる。
そこに奥での話を終えた山城屋喜左衛門も入ってきた。
「なんや、珍しいお客はんどすな。」
「旦那様、樹之助はん奥様への贈り物らしおすえ...」
一太がニヤニヤしながら喜左衛門に報告する。
すると喜左衛門も悪乗りした。
「そりゃあ一大事や!白刃かざしても眉一つ動かさない祇園の裏影が、おなごの反物で右往左往してるとは!」
そう言って二人して笑いあっている。
樹之助は頭にきた。
「もういい!他で探す!」
そう言って店を出ようとするのを、一太が抱えるようにして引き留める。
「まぁまぁ、樹之助はん、冗談や、冗談」
「せや、樹之助。自慢とちがうけど、今京都内で一番品ぞろえが多いのんがうちや。他に行ってもうちよりええもんあらしまへん。」
「なら人をからかってないでさっさと見せろ!」
樹之助はむくれながらも立ち止まった。
「冷やかすなら帰るぞ!」
「まぁまぁご機嫌直してくださいな。」
そう言うと喜左衛門は手を叩いた。
「おい、若奥さん向けを何反か出しぃ!」
たちまち店の上がり框に、色とりどりの反物が積まれていく。 紅、浅葱、藤色、藍、萌黄。
女性の着物など選んだことがない樹之助は眩暈がした。
「で、奥さんはどんなお人で?」
「どんなって……」
「顔立ち、背丈、気立て、よう笑うか、しっかり者か、派手好きか、地味好きか」
樹之助は腕を組み、しばし考えた。
「……よく笑う」
「ほう」
「働き者だ」
「うんうん」
「人懐っこくて、誰にでも好かれる」
「ええですなぁ」
「十七だ」
「若い!」
「でも、たまに子どもみてぇに拗ねる」
「なるほど」
「俺にはもったいねぇ」
言ってから、しまったと思った。
番頭が吹き出し、女中たちもクスクス笑っている。
喜左衛門は感心したように頷いた。
「……惚れてはりますな~」
樹之助が裏影の顔で睨みつける。
「照れんでもよろし」
喜左衛門は少し恐れおののく仕草を見せながら、薄い梅色の反物を広げた。
淡くやわらかな地色に、小さな梅花が散らしてある。
派手さはないが、可愛らしい。
「若奥さんには、こういう控えた感じが似合いますえ。ご本人が花のように咲き誇っているお年頃やさかい、あえて着物は派手さを避けて、奥様の若さと美貌を引き立てるんですわ。」
樹之助は黙って見つめた。
脳裏に、千代が笑う顔が浮かぶ。
井戸端で料理する後ろ姿。
朝、玄関を掃き清める横顔。
眠る時、無防備に寄り添う顔。
そのどれにも、よく似合う気がした。
「……いいな」
「ええでっしゃろぅ」
「これにする!」
「おおきに」
笑顔で言うと、喜左衛門はさらに身を乗り出した。
「帯はどうされます? 半襟は? 羽織もつけます?」
「調子に乗るな!」
言いつつ樹之助は財布を取り出し、中身を数えた。
やがて得心いった顔つきで山城屋に言った。
「まあいい、そいつらもつけてくれ。せっかく新調するんだ。この反物にぴったりなものをつけろ。」
今回の仕事で得た銭の、半分以上が飛ぶ。
だが、迷いはなかった。
「男前ですなぁ」
喜左衛門は顎を撫でた。
「けんど、今から仕立てとなると年末ギリギリどすなぁ。奥さん一度採寸に来られます?」
樹之助は考えた。
できれば千代には内緒にして、出来上がってから見せたいところだ。
「本人連れてこないと無理か?」
「常連さんならできますけどなぁ。奥さんお見かけしたことありゃしまへんし...」
一太が残念そうに言う。
その時、喜左衛門が手を打った。
「せや!樹之助はんにお貸ししている借家の隣にお貞はんっていう女性がおりまっしゃろ?」
「ああ、いるな。」
「あの方、昔うちで働いてた凄腕の仕立て屋でっせ。」
そう言えば...樹之助は思い出していた。
お貞が近所の住民から着物の仕立て直しや、子供服の作成を引き受けていたのを。
「お隣さんなら、奥さんの体型なんかもようわかってるんとちゃいます?ましてお貞さんや。遠巻きに見ても寸分違わず仕立ててくれまっせ。」
「なるほど…」
あの大風の一件以来、お貞と千代は親子のように仲が良くなっていた。
今朝も貞が漬けた浅漬けを嬉しそうに貰ってきた千代の姿を見ていた。
「頼んでみるか。ダメだったら仕方ない、ここに連れてきて採寸するよ。」
「それがよろしいですな。」
喜左衛門はにやりと笑った。
「それではお代ですが...」
「それだけは忘れないんだな...」
樹之助は苦笑いした。
「こちとら商売どすさかいな」
喜左衛門はピシャリといいながらも、恐らくかなりまけてくれているのだろう。
喜左衛門が算盤をはじく横で一太が「旦那、それじゃあ赤字で...」と小声で呟いている。
「年末やし、こら今年一年働いてもろうた儂からの気持ちや。」
(山城屋もがめついが優しいところもあるんだな...)
支払いを済ませ樹之助は、真新しい反物を包んだ風呂敷を持ち雪の降る家路を急いだ。




