第54話 託された想い
樹之助と静逸が岩倉の屋敷を後にする刻限。
去り際に岩倉が樹之助に何かを差し出した。
「これからはいつ何時でも、一人で来てよいぞ。なんせ儂は退屈しておるからな。町の面白いことなど、何でもいいから話しに来い。」
渡された物は、富士山をあしらった笄だった。
「儂が留守にしている時もある。家人や警護の者に誰何された時はこの笄を見せるがいい。儂が心許したものだとわかるはずだ。」
樹之助は公家とは思えぬ気さくな対応の岩倉に心惹かれていた。
「お言葉に甘えて、また来ます。」
そう言って屋敷を辞した。
帰り道
「どうだった、岩倉卿は?」
「いやぁ、お公家様って俺達なんかと違う言葉喋ると思っていたんだけど、案外普通なんだなって
...」
静逸は噴き出した。
「岩倉卿を普通の公家と思っちゃいけないよ。あんな人他には一人もいないから。」
「そうだよな~。俺もなんだか狐につままれた気がしてた。」
「でも、あの方の語った国のありようは本物だ。この先時代が変わる時、岩倉様の役割はきっと大きい。だから樹之助君...」
静逸があらたまって樹之助を見る。
「あの方を守ってくれ。君も聞いた通り、この国のあり様を変えたくないという人が大勢いる。そんな連中にいつも狙われているんだ、あの方は...」
静逸の言葉には切迫感があった。
「君の忍びとしての力、必要とする時がきっと来る。その時はどうか、卿の力になってやってくれ。」
そう言って静逸は深々と頭を下げた。
樹之助はしばし考えた。
だが、明確な答えがあるわけではない。
聞けば聞くほど、誰の言葉も正しいと思う。
でも、自分の考えとしてまとまるには至っていない。
だけど、その時々で信じる道に進むしかない。
樹之助はそう思っていた。
「わかった。俺にできることは何なりと言ってくれ。」
「ありがとう。岩倉卿もきっとお喜びになるよ。」
そんなことを話しながら、二人は京都市内に戻って行った。
季節は冬に向かっている。
吹き付ける木枯らしに、樹之助は身震いした。
三日後
樹之助が仕事を終え、宵待に千代を迎えに来た時、お滝が血相変えて飛んできた。
「樹之助!山中はんが!静逸はんが殺されたって!」
「!!」
樹之助は息が詰まった。
ただ目を見開きお滝を見つめている。
ややしばらくして、やっと口を開いた。
「…な、どうして?誰に?」
「天誅らしいよ。あの人、知ってるだろう?蘭方医ってことで、それだけでも洋夷かぶれって攘夷派から目をつけられていたのに、最近では結構開国論を説いているって、攘夷派に狙われててね。」
それを聞いて樹之助は思いだしていた。
(あの時、岩倉卿の屋敷に行った時、現れた賊の狙いは岩倉卿じゃなく静逸だったのでは...)
そう思うと樹之助はやるせなくなった。
(俺がもっと気を付けてやれば...)
目頭が熱くなっていた。
仕事を終えた千代がいつの間にか側にいて、樹之助の背をさすっていた。
その時宵待の入り口に小さな影が一つ。
静逸の小者匠太だった。
不安げな面持ちで入ってきた匠太は、樹之助の顔を見つけると安堵した表情を見せた。
樹之助は走り寄り、匠太に声を掛ける。
「静逸先生…大変だったな。今日はどうした?また何かあったか?」
匠太は涙が出そうなのを必死でこらえながら師の最後の言いつけを守りに来ていた。
「…こ、これ。先生が、俺に万が一のことあれば、樹之助さんに届けろって。」
そう言って、背負っていた風呂敷包みを下ろし、樹之助に手渡した。
樹之助が風呂敷をほどくと、中には万国公法という、庶民では手に入らないような高価な書物が入っていた。
そして、一枚の紙片。
“樹之助-私はいずれ攘夷派の者に狙われ命を落とすかもしれない。その時は君にこの本を託す。君ならこれを自分の血肉にできるだろう。日本を見届けてくれ。-静逸”
「静逸さん、俺、静逸さんに代わってこの国の行く末見守るから。岩倉卿もきっと守るから…」
樹之助はそれを胸に抱き、その場に泣き崩れた。




