第51話 渇望
坂本龍馬と話して以後、樹之助は考えこむことが多くなった。
樹之助は父母から読み書きは教わったが、学問と言えるようなものは身に着けてこなかった。
坂本が言ったことは感覚としてわかるが、胸の奥底にストンと落ちるところまではいかない。
誰かに相談したい。
そう思っても、樹之助の周りにいる長屋組や鴨川の乞食小屋の連中では、こうした話をできるはずもない。
沖田ら新選組は坂本の対極にいるような存在だ。
「誰かいないかな…」
樹之助がボソっと言ったのを横にいた千代が聞きとめた。
「誰かって?」
「あぁ、ごめん。口に出ちゃったな...」
樹之助は不思議な男との出会いの話を千代に話して聞かせた。
千代はそれをじっと聞きつつ、何かを考えていた。
「面白いお方ですね。その坂本龍馬というお方。」
千代も興味を惹かれているようだ。
「確かお滝さんのお客さんで、こうした話が得意な学者さんがいたような気がします。今度聞いてみますね。」
千代はその日の夜、宵待での仕事の後、樹之助が相談できる相手を探していることをお滝に告げた。
宵待の仕事が終わるころ、樹之助は千代を迎えに行く。
その時お滝が樹之助に言った。
「あんた、なんだか難しい話で悩んでいるようだね。まぁ天誅だなんだって、血なまぐさいことをやっているよりはずっといいけど、やりすぎるとそんな奴らに狙われるから気を付けな。あんたもう一人の命じゃないんだからね。」
そう言って千代を見るお滝の目は優しい。
「で、あんたの疑問に全て答えてくれそうな学者に心当たりはあるんだけどね。今度店に来たらあんたのこと話してみるよ。それで会ってもいいってことになったら知らせるから。」
樹之助はお滝に「頼みます」と言って、千代と二人家路についた。
それから二週間程経ったある夜、宵待の奉公人が樹之助を呼びに来た。
「女将さんが樹之助さん待望の人が来たから呼んで来いって。」
樹之助は直ぐ支度して家を出た。
宵待に着くと千代が厨房から出てきて樹之助に耳打ちする。
「二階の大広間。がんばってね。」
「わかった、ありがとう。」
そうして樹之助が二階に上がり大広間の入口で控えているとお滝が出てきて招き入れる。
上座にいる色白で額がせまく、目が細い神経質そうな小男がお滝の言う学者なのだろう。
取り巻き二人を従えている。
お滝は学者の前に進み出て、酌をしながら樹之助を紹介した。
「先生、これが先ほど話した異国のことを知りたいという樹之助という者です。」
樹之助は進み出て挨拶する。
「石川樹之助いいます。無学の青二才です。、先生の教えを賜りたく罷り越しました。」
学者は興味深そうに樹之助を見つめ口を開く。
「山中静逸と言います。大坂で緒方洪庵先生に学んだ蘭方医です。お滝さんから学問に興味のある面白い若者がいると聞き、是非話してみたいと思いお呼びしました。」
年のころはまだ三十前後といったところか。
「それで、どのような話を聞きたいのですか?」
樹之助は咳ばらいを一つして、龍馬が言っていたことをぶつけてみた。
「さる男が、攘夷をするにもまず相手の知識、技術を手に入れなければ勝負にならないと言っておりました。つまりは攘夷をしたければ相手をまず受け入れろということかと。そうしなければ清国の二の舞になるとも。攘夷か開国か...どちらに進むのがこの国のためになるのか、俺にはわからなくて...」
それを聞き静逸は少し驚いたような顔をした。
そして両隣の男と顔を見合わせ、少し警戒する目つきで答えた。
「まさかとは思うが、君は攘夷派の浪士ではないだろうね?」
樹之助は苦笑いしながら静逸が何を言いたいのかを悟った。
「ご懸念には及びません。俺はその日暮らしの一介の町人です。攘夷だ開国だという思想を持つ以前の真っ白な頭です。でも、その男が言っていました。メリケンでは町人でも入り札で将軍になれると。そんな世の中が本当にあるのか、この国もそうなれるのか…」
樹之助は一息に喋ったあと呼吸を整え続けた。
「あの男に言われてから、気が付くとそのことばかり考えているのです。でも無学の頭でいくら考えても答えは出てこないので、誰か知恵者に教えてもらいたい。その一心だけで来ています。」
樹之助の熱意が伝わったのか、静逸と連れの二人から警戒の色が消えていた。
「素晴らしいね。そのことを聞いても、それは異国の夢物語としてしか聞けないのが普通の市民だよ。それに、為政者である徳川家はそうした考えを危険思想として三百年の間、国を閉じていた。町人に将軍の座を取って代わられたら大変だろ?」
静逸が初めて冗談を言いほほ笑んだ。
樹之助も釣られて相好を崩す。
「そして攘夷派の者共も、異国人の来訪はもとより、そうした思想、文化、技術などを取り入れることを嫌い、開国思想的なことを言おうものならすぐに天誅だ。『神州日本の地が汚れる!』と言ってな。」
静逸は首を振る。
「嘆かわしいとは思わないか?君のように政に関わる立場にないような若者でも、外国のことを聞き感心を持つのに、この国の政に関わる連中は、民が君のように目覚めないようひたすら眠らせておこうとする。」
樹之助が頷く。
「だけど、もうそれではいけないのさ。皆黒船を見てしまったんだ。日本が三百年遅れていることを、千の言葉で語るより、あの巨大な蒸気船一隻見ることで、志あるものは目覚めてしまったのさ。」
樹之助の胸も熱くなってきていた。
世界は進んでいる。
樹之助の動悸は激しくなっていた。
「されば、お尋ねいたします。今国内は勤王派と佐幕派が対立しております。しかしどちらも天皇を尊び、夷敵は討つべしと言っております。両者目指すものは同じなのに対立するのは何故なのでしょうか?」
静逸は頷きながら答える。
「その答えは町医者の僕が答えるべきではないし、もっと適任な人がいるよ。」
樹之助は首を傾げている。
「本来なら簡単に会えるような人ではないんだけど、今なら…」
と言って静逸は意味ありげな笑みを浮かべ両脇を見る。
両脇の男たちも静逸が誰の事を言っているのかを悟りほくそ笑む。
「ちょうど明後日その人の所に往診に行くんだ。良かったら同道しないか?」
樹之助に拒む理由はなかった。
「是非、お願いします!」




