第50話 無銭飲食男
「樹之助はん、仕事でっせ。」
新居に移っても、伊佐吉は呼びに来る。
「今度は何だ?」
樹之助は身支度しながら伊佐吉に聞く。
「無銭飲食だとかなんとか...」
「無銭?それ鬼松達の仕事じゃないのか?」
「それがどうも埒があかんようで、樹之助はん呼んで来いって、鬼松さんが。」
どういうことだ?
払わない奴は鬼松達がつまみ出し、身ぐるみ剥がして、それでも持っていなけりゃ家まで行って、家が無けりゃ奉行所に突き出す。
そんな流れができていたはずだが。
(しかもなんで俺なんだ...?)
樹之助の頭の中は疑問が渦巻いていた。
「で、どこだ?」
「居酒屋長兵衛です。」
樹之助は向かった。
長兵衛に着いたが、人の姿が見えない。
普通ならつまみ出された男が、入口ですったもんだしているのだが、そんな様子がない。
すると中からドッと笑い声が聞こえてきた。
(なんだ?)
樹之助は暖簾をくぐり店の中へ入る。
中では、色の黒い浪人風の大男を中心に、人の輪ができていた。
鬼松も与太八も岩蔵も一緒になって笑っている。
浪人が大声で叫ぶ。
「えいか、おんしら。メリケンいう国ではのぅ、将軍は入り札で決めよるんじゃ。ほんじゃあきにねや、おまんだって、手を挙げて皆が投票してくれたら将軍になれるぜよ。」
指を指された町人が「わしが将軍!?」と目を白黒している。
「その代わり、昨日まで将軍やった奴でも、入り札で負けたら今日からただの人になるがぜよ。」
皆この国では考えられないことに、おとぎ話を聞いている感覚で聞き入っていた。
後ろで話を聞いていた樹之助だが、この訛と声音になんだか聞き覚えがある気がしてきた。
「あとな、メリケンではな、窯で石炭を焚いて走る鉄の馬が走りおるそうぜよ。そいつに乗ったら、人は座ったまま一日もあったら江戸から京までたどり着けるんじゃ。」
皆話半分、冷やかし半分で聞いている。
男は他にもお伽話のような外国の話を聞かせている。
皆いつしか熱にうなされたように男の話を上気した顔で聞き入っていた。
そこへ怒声を発しながら入ってくる数人の浪人。
「こらぁ!ここで夷敵の話を吹聴して回ってるっていう奴はどいつだ!」
いかにも攘夷派の浪人達だ。
皆が入ってきた浪人達の方を注視する。
そして、件の無銭飲食浪人が居たところに視線を戻すと、既にその姿は消えていた。
与太八が声を上げる。
「あ、野郎逃げやがった!」
その頃無銭飲食男は裏通りの路地を悠々と歩いていた。
皆が攘夷派浪人に気を取られ、無銭飲食浪人から目を離してるとき、樹之助だけはその動きを見逃さなかった。
無銭飲食男が裏手からスッと出ていくのを見止めると、すぐその後を追った。
人気のない辺りに来た時、樹之助は男に声をかけた。
「おい、お代をいただいてないぜ。」
男は歩速を緩めることなく、歩き続ける。
「聞こえてるんだろう?才谷…梅太郎。」
そう言われると男は立ち止まる。
「ほう。その名前知っちゅうがか。おんし何者ぜよ。」
「俺も忘れていたんだが、歩いている後姿を見ていて思い出したよ。半年ほど前奈良の湯屋であったろ。」
「奈良…すまんのぉ。あちこち旅をしちゅうもんで、いちいち覚えちょられんがぜよ。」
樹之助はフッと笑う。
「無理もないさ。大した話もしていなかったからな。あんたの話したことといえば、猿飛佐助に憧れて山の中で忍者ごっこしたことくらいだったし。」
樹之助がそう言うと、才谷は振り向き手を打った。
「おうおう、覚えちゅうがぜよ!おまんあんときの伊賀者かえ!?」
樹之助は苦笑いする。
「いや、俺はあの時伊賀者とは言ってないけどな。ただ伊賀へ向かうと言っただけで…」
「なつかしいのぉ。たった半年前だがおんしこじゃんと変わったけんどぜよ。なにやら逞しゅうなったのう。」
「まぁ、いろいろあったからな。あんたこそ、こんなとこで何やってるんだ?無銭飲食の常習犯でもあるまい。」
そういうと才谷はカカと笑った。
「おんし、さっきの儂の言うこと聞いっちょったろう。今この国は攘夷だ攘夷だと熱病のようにほたえよる。だがの、三百年眠っとった国が、進んだ武器、船を持つ国と喧嘩しても勝ち目らあなかろう。世界は動きゆー。進んじゅーがじゃ。まずは異国の進んだ文明を取り入れ追いつくとこから始めんと、儂らは清国のように、異国の家畜にされちゅうがぜよ。」
樹之助はあまりに壮大な話に呆気にとられていた。
「こがな話を真面目にしても一般の市民は聞こうとはせん。なら、あんな風に無銭飲食の不審者を装い、皆の耳目を集めて面白おかしゅう話したら、何人かの印象には残る。そがな人数を段々増やしていって、やがては大きな流れにする。それが目的じゃ。」
この男、やはりただの道化ではなかった。
樹之助は初めて会った時から抱いてた、得も言われぬ人間的大きさをあらためて感じていた。
そう樹之助が考えている時、才谷は懐から小銭袋を取り出し投げて寄越した。
「こればああったら足るじゃろう。さっきの店に支払うちょいてくれ。」
そう言うと才谷は踵を返し、再び歩き出す。
そして歩きながら、樹之助に告げた。
「才谷梅太郎は仮の名じゃ。儂のほんまの名は土佐脱藩浪士、坂本龍馬。今度遭うたら酒でも飲むがぜよ、石川樹之助。」
そう言うと坂本は路地の暗闇に消えていった。
今まで会ったどんな種類の人間とも違う。
海のような器の大きさを、樹之助は感じていた。




