第43話 籠の鳥
九月になった。
残暑はまだ厳しい。
樹之助相変わらず玄関も開け放ち風を通しながら下帯一丁で団扇で扇ぎながら寝転がっている。
いまできる唯一の涼み方だった。
「樹之助様!そんな恰好ではせっかくの男が下がりますよ!」
聞き覚えのある声。
樹之助は飛び起き、顧みた視線の先には、町娘姿に扮した小夜が立っていた。
「さ、小夜!どうしてここに?」
「お滝さんに聞いてきました。山城屋さんの用心棒長屋だからここだろうって。」
「馬鹿、お前、こんな危ない通りに女一人で...」
そう言っている傍から玄関に見慣れたむさい顔が三つ、ニヤニヤしながらこっちを見てる。
「アニキ隅におけねぇな~」
「昼間っからこんなべっぴん連れ込んでよ~」
「か、壁薄いから…丸聞こえだぞ...」
「ち、違うそんなんじゃ...」
樹之助が否定しようとするが、それに被せるように小夜が振り向き三人に微笑んだ。
「樹之助様のお仲間ですか?小夜と申します。よろしくお願いします。」
三人の心は一瞬で持っていかれた。
『は、はい~』
皆笑顔で顔がだらしなく崩壊している。
(これがお滝さんの言ってた、笑顔一つで男を転がす小夜の魔性か...)
樹之助は感心の気持ちでその様子を見つめていた。
「おい、アニキの邪魔しちゃ悪いからよ、暇しようぜ!」
三人は気を利かせたつもりで帰って行った。
長屋は急にシンとなった。
小夜は長屋の中をシゲシゲと見回しながら、クスッと笑って 言った。
「樹之助様、そろそろ何かお召しいただけませんか?小夜は目のやり場に困ってしまいます。」
樹之助は慌てて押し入れから浴衣を取りだし羽織った。
それを見て小夜は微笑み、
「上がってもいいですか?」
と聞いてくる。
「あぁ、どうぞ...」
そういうと小夜は草履を綺麗にそろえて上がり、ちゃぶ台の前にちょこんと座った。
「あの...」
小夜が口を開こうとしたのを樹之助は片手をあげて遮り、長屋の外に出て行った。
ほどなく隣の与太八の部屋から樹之助の怒声が響き渡る。
「ごらぁ!お前ら、壁に耳当てて聞いてんじゃねぇよ!一番端の岩蔵の部屋に居やがれ!」
「ったく...」
そう言いながら樹之助は戻ってくると、ピシャリと戸を閉めた。
「楽しいお仲間ですね。」
小夜が笑いながら言う。
「何がだよ。まったくいつも呼びもしないのに勝手に入ってくるわ、人の話盗み聞きしてるわで、まったく自由ってもんがないんだよ。」
「いいお仲間ですよ。私も自由がないのは一緒だけど、女同士はこんなカラッとした関係じゃないから...」
樹之助にはわからない世界だった。
「で、今日はどうしたんだよ。お滝さんよく外に出る事許可してくれたな。」
「はい。お義母さんは、樹之助さんの所っていったら二つ返事で『行っといで』って。」
「そんなものなのか?遊女って脱走防止のため外に出してもらえないものだって聞いてたけど。」
「うん、普通はね。でも私は借金とかのカタで働かされているわけじゃないから、自分の意思で出入り自由って言われてるの。」
「そうか。親父からの預かりものって言ってたもんな。」
「うん。ありがたい...」
小夜が俯く。
「それで、何が言いたくて来たんだ?」
樹之助が俯く小夜を覗き込むように尋ねる。
「うん…あのね。島原の揚屋から私を譲り受けたいって、お義母さんに問い合わせがあったの...」
島原の遊郭の眼に留まるとは、小夜の名は相当売れているのだろう。
「いい話…って言っていいのか?」
樹之助は小夜の心情を慮り、どう言っていいかわからない。
「身受け料百両ってお義母さんに提示があったみたい。それだけあればお義母さん一生食べるのに困らないし...」
「百両!」
びっくりする額だが、島原の世界では普通に飛び交う金額なのだろう。
「お滝さんはなんて?」
「お金で私を売る気はないよ、って言ってくれる。でもお義母さんも楽じゃないから、孝行してあげたい気もする…」
樹之助は考えた。
お滝の元なら、小夜はお滝が選んだしっかりした客だけ相手にできる。
借金で売られたわけじゃないから、こうして自由に外に出ることも、辞めたくなったら辞めることもできる。
だが、百両の大金で島原に行ったら、その元手を稼ぐまで働かなければならない。
それは、一生籠の中の鳥になることを意味していた。
「…樹之助様は、どう思いますか?」
「どうって...」
額が額だ。
樹之助が口を挟める問題じゃなかった。
「樹之助様…小夜と一緒に...」
小夜は真っ赤になって俯いている。
樹之助もそれを考えなかったわけじゃない。
だけど、この長屋で小夜と…
それは無理だった。
自分が何者か、どう生きるかの決意はできたが、妻を娶るということは全く考えたことがなかった。
だが、ここで躊躇したら小夜を失ってしまう。
ジッと俯き身を固くしている小夜を思うと、簡単に思いつきで答えられる問題じゃなかった。
樹之助はジリジリとした残暑を忘れ、ひたすら小夜を見つめていた。
蝉の泣き声だけが部屋に響いていた。




