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第42話 宵待

「樹之助は~ん、仕事やで!」


例のごとく伊佐吉が駆け込んでくる。

近頃じゃ樹之助も慣れたものだ。


「どこだ?」


「へい。宵待(よいまち)です。」


樹之助の動きが止まった。


「宵待...」


「じゃあ頼んまっせ!」


伊佐吉はさっさと戻って行った。


(まさか小夜(さよ)に何か...)


樹之助が到着すると二階から物音が聞こえる。


裏手から入ると、階下にお滝がいた。


「お滝さん、どうした?」


「あ、樹之助…いや今は裏影だったね。」


そう言うと樹之助の袖を引き、布団部屋へ入った。


「小夜の客さ。前からしつこく言い寄ってきてるのは知ってたんだけど、今夜は十両持って来てさ、私に小夜を落籍(ひか)せろって。じゃないとここで心中すると言って、今小夜の部屋に立て籠もっているいるのさ。」


「小夜も一緒なのか?」


「それが運よく小夜が他の座敷に行ってる時でさ、代わりに白夜(びゃくや)っていう娘が人質にとられてる。」


「で、お滝さんはその金で小夜を渡すつもりは?」


「あるわけないだろ。遊びと現実の区別もつかないような男、ロクでもないに決まっているさ。」


「だよな。けど、奉行所の役人や鬼松らを呼んでないってことは、手荒なこともしたくないんだな?」


「あぁ。馬鹿な奴だけど根は悪い奴じゃないんだ。なんとか改心してくれたらそれでいいんだよ。」


「こんな依頼も親父は片づけていたのか?」


樹之助が聞くと、お滝は顔を樹之助に息がかかるくらいの距離で囁く。


「当たり前だろ。あの人はどんな依頼もこっちの望むように解決してくれたよ...。いい男だったね~。」


樹之助はすこしドギマギしながら、

「わ、わかった。何とかする...」

といって慌てて布団部屋を出た。


その様子を見て、お滝はクスッと笑い呟(つぶや)いた。


「だいぶ漢(おとこ)になったけど、まだまだ坊やだね~」


樹之助が布団部屋を出て階下に戻ると、上の部屋から怒声が降ってきた。


「早く小夜を連れてこい!聞き入れられないなら俺はこの女と一緒に死んでやる!」


(だいぶ酔ってるのか?あまり時間をかけると白夜という女が危険だな...)


樹之助がそう考えていると、後ろから

「…樹之助さま?」

と呼びかける声。


振り向くと、そこにいたのは紛(まぎ)れもなく小夜だった。


「小夜...か?」


樹之助が息を飲む。


あの一夜以来。

久しぶりに見た小夜はすっかり一人前の女になっていた。


だが、決してすれているわけじゃない。

仕事と現実をしっかり分けられる女。

そんな凛としたものを持ち続けている雰囲気だった。


小夜も樹之助を見て動揺した。


すっかり落ち着きのある、自分が何者かを知っている漢になっている。


ここで色んな男を見てきた小夜にとって、地位や金があって威張っていても、中身は空っぽの男が多い。


そんな中でも芯の通った男もいる。


今の小夜の目に映る樹之助は、あの夜の弱々しい少年の面持ちが残る姿とまるで違っていた。


小夜は思わずその胸に飛び込みたくなる衝動を抑えて言った。


「裏影のお仕事継いだそうですね。お父様の。」


「お滝さんから聞いたのか?」


コクリと頷く小夜。


「なんだかんだ、運命からは逃れられないみたいだからな。俺は親父の息子。それは変えようがなかった。」


そう言いながら笑う樹之助を、小夜も我がことのように嬉しい思いで頷いている。


「小夜も…き、綺麗になったな...」


樹之助が照れくさそうに目線を逸らしながら言う。


小夜は少し意地悪そうに答えた。


「え、何ですか?樹之助様。ちゃんと小夜の眼をみてはっきり言ってください。」


「ば、馬鹿。そんなこと、何度も言えるか!」


樹之助が顔を真っ赤にしてそっぽを向く。


そこにお滝が口を挟んだ。


「あんたたちね、いちゃつくのは事が終わってからにしておくれ。」


二人は飛び上がって頭を掻いている。


「まったく…。それで、樹之助どうすんだい?」


「そうだな~」


と言いつつ、小夜がいるならと思い、小夜の耳元に口を寄せ小声で何か言っている。


「まったく、なんだい。あたしは除け者かい?まったく妬(や)けるね。」


そう言いながら、お滝も微笑(ほほえ)ましく二人を見ている。


やがて全てを理解すると、小夜は笑顔で手を打った。


「わかりました。それで行きましょう、樹之助様。」


「じゃあ俺はちょっと用意してくるから、お滝さん、上の奴四半刻ほど変なことしないようなだめておいてよ。」


「ちょっと、何だい。私には中身打ち明けないで、面倒だけ押し付けて!」


小夜がクスクス笑っていた。


きっちり四半刻後、樹之助が帰ってきた。


背に革袋を背負っている。


樹之助が段取りし、小夜が膳部を持って部屋に上がっていく。


お滝が室内に向けて声掛けた。


「小夜が来たよ。腹も減っただろうから膳も持ってきた。白夜と交換だ。」


そう言うと中の男は叫んだ。


「まず小夜の顔を見せろ!」


小夜はそっと障子をを開け顔を見せる。


「おぉ、小夜!待ちわびたぞ!早う来い!」


そう言って手招きする。

横の白夜は小さく身を固め震えている。


「まずは白夜をお放しください。私も同時に中に入りますゆえ。」


そう言うと、男は白夜の袖を掴み、引き摺るように障子際まで来た。

そして、小夜の着物を掴むと、白夜を離した。


白夜は一目散に階段を駆け下りていく。


そのまま小夜を掴み中へ入る男。


その後ろから、お滝が膳部を中に入れ、障子を閉めた。


「小夜、やっと二人になれたな。俺はもうお前を離さない。今夜一緒にここを出よう。」


「私のような者になんと嬉しいお言葉。されど、せっかくお膳をご用意いたしましたので、今宵の祝いを挙げてから出ても遅くはありませんでしょ?」


そう微笑みかけられると、男もとろけるような笑みを見せている。


「その前に、お部屋の香がすっかり無くなっております。今新たな香を焚きますね。」


そう言って小夜は香炉を開け、新たな香を焚く。

中身は勿論、樹之助が調合した忘沈香(ぼうじんこう)だ。

小夜は覚醒用の苦い木片を口中で噛み締めている。


ほどなく甘い香りが室内に充満する。


「おぉ、これは嗅いだことない、なんとも甘い香りじゃ。まるでこれからの俺と小夜の生活を暗示しているようじゃ...」


そういいながら男の顔はだらしなく弛緩(しかん)し、口から涎(よだれ)を垂らしている。


ほどなく男は眠りについた。


すぐさま小夜は障子を明け樹之助を招きいれる。


樹之助は音も無く忍び入り、男の耳元で何やら囁(ささや)いている。


香の香りはより強くなっていた。


明くる日、男は目覚め、さわやかな笑みを浮かべ出て行った。


お滝は何が起きたかまるで分っていない。


「あの男どうしたんだい?やけに満足げに出て行ったけど。また来るんじゃないかい?」


それを受け、樹之助と小夜は目を合わせ笑いながら言った。


「あいつ、宵待って店も小夜の事もきれいさっぱり忘れているから、もう二度と来ることはないよ。」


「あ、でもあいつ十両置いて行ったよ!?」


お滝が言うと、樹之助が目くばせしながら答えた。


「そのことも忘れているから、迷惑料として受け取っておけよ。みんなの臨時給金にでもすればいい。特にあの白夜って娘には手厚くね。」


宵待の外まで大きな笑い声がこだました。


「あんた、確かに樹三郎の息子だよ。」


お滝は慈愛の籠った眼差しで樹之助を見つめていた。


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