第40話 大和屋焼討事件
「樹之助アニキ、何か御用はありませんか?」
長屋の用心棒与太八が、呼びもしないの御用聞きに来る。
「だから、アニキって変だろ!何で俺よりずっと年上のおっさんらにアニキって言われなきゃいけねぇんだよ!」
「そりゃ俺らの世界では実力第一だからよ。まして命救われたらもう一生付いていくってもんだぜ。」
与太八が言っている後ろで岩蔵が頷いている。
更に後から敷居をまたいだ鬼松が笑いながら続ける。
「あきらめな。断ったってこいつら勝手に呼ぶぜ。」
樹之助はウンザリした顔で天を仰いだ。
「そういやぁ鬼松の旦那。あの夜の張り手凄かったな。」
樹之助が話題を変えた。
「そりゃそうよ。鬼松の兄貴と岩蔵は元力士だぜ。」
なるほど、と思わせるガタイだ。
「…俺なんて、前頭までだったが、鬼松の兄貴は小結まで行った…」
岩蔵がボソボソと呟く。
(そりゃ強いわけだ...)
樹之助は内心舌を巻いた。
「昔の話よ…力士なんて現役引退すりゃこんな用心棒稼業が関の山だ。」
鬼松が笑う。
「そういやぁ、この前の芹沢って野郎の所の浪士組、大阪の力士相手に大喧嘩してたよな。」
与太八が言うと鬼松が苦い顔をして続けた。
「あの芹沢って野郎、真っ先に刀を抜いて斬りつけやがったそうだ。それから両方とも入り乱れての大喧嘩よ。」
「だけど、浪人風情が力士相手に喧嘩売るって大した度胸だよな。」
与太八が言う通り、この時代の力士はただのスポーツマンではない。
興行主の博徒の用心棒も兼ねる荒くれ者が多かった。
芹沢らも刀を抜いたとはいえ、力士側も八角棒を持って応戦し、互いに多数のけが人が出た事件だった。
「最終的には力士側が詫びを入れたそうだ。まぁ、異常人ではあるが、恐ろしい男よ。」
八月十三日
樹之助の長屋に四門が訪ねてきた。
「おいおい、今一条通葭屋町下ルの大和屋の屋敷が大変なことになってるぜ。」
「大変?どうしたんだ?」
樹之助は夏の暑さにバテ気味で、下帯一丁で寝そべり、団扇で扇ぎながら首だけ四門に向けて聞いた。
「壬生浪が取り囲んでいやがる。」
「なに!?」
樹之助は驚いて起き上がる。
「あいつら一応京都の治安維持のためのお抱え浪人だろ?なんでそんなことに。」
「俺にもよくわからないけどよ、なんでも軍資金を出す出さないで揉めたらしいぜ。」
この頃壬生浪士組が、豪商を相手に活動資金の提供を求めて歩いていたことはかなり知られていた。
大阪の豪商鴻池屋は二百両という大金を出したという。
その金で、有名な浅黄色の隊服などが仕立てられたというのは有名な話。
「でも今回はなんでそんな騒動になっているんだ?」
「大和屋が勤王浪人の天誅組に資金提供をしながら、壬生浪には出せないって言ったらしいぜ。」
「なるほど...」
「今、壬生浪総動員で大和屋の土蔵を焼き討ちしようって固めているらしい。」
「馬鹿な!」
樹之助は直ぐに着替えて長屋を出た。
樹之助が大和屋に到着した時、浪士組の隊士が松明を持って蔵を囲んでいた。
辺りは野次馬が大勢囲んでいる中、大和屋の主人が床几にどっかりと腰を据えている男に手を付き哀願している。
(芹沢...)
樹之助はその様子を苦々しく見つめる。
その視線の先、松明を持つ一団を指揮するような男に目が止まった。
(沖田!お前までこんな...)
大和屋の願いはむなしく、やがて芹沢が鉄扇を振ると、隊士は一斉に蔵に火を点ける。
延焼を恐れて町火消もすぐ脇に待機しているが、抜刀した浪士組が近づくのを許さなかった。
樹之助は浪士組が分からなくなっていた。
(この時代にきれいごとばかりの甘ちゃんでいられないのは確かだが、沖田…お前は信念がある奴だと思ってたのに...)
樹之助は燃え上がる蔵を眺めながら、壬生寺で会った沖田の姿を思い出していた。
辺りには芹沢のドスの効いた高笑い声が響いていた。




