第39話 芹沢と近藤
樹之助は裏影稼業が軌道に乗り出した頃、雇い主の山城屋喜左衛門から直々に呼び出された。
「なんだ?家賃分は稼いでるはずだが…」
「おうおう、新しい裏影はん結構やるやんかって、町衆からの評判も上々どすえ。」
にこやかに話した後、山城屋の顔が曇る。
「どうかしたのか?」
「こんなん、あんたに話してもしゃあないことなんやけど、一応裏影として知っといた方がええと思いましてな。」
樹之助は無言で頷く。
「あんた芹沢鴨って人知ってますのん?」
「芹沢?...さて、聞いたことないな...」
「芹沢っちゅうのんは壬生浪の親玉どす」
「壬生浪?」
「ええ、将軍警護のため京に上ってきた浪人集団で、それが京都に来た早々仲間割れして、大半江戸に戻ってもうたんどす。その時、京に残って市中警護を請け負った連中が壬生浪士組。通称壬生浪どす。」
樹之助はすぐに沖田の顔が浮かんだ。
(沖田のいたあの浪士団か...)
「それで、その壬生浪の親玉がどうしたんだ?」
「壬生浪も中身は二派に分かれてましてな。近藤、土方っちゅうあたりは真面目に市中警護しとって評判も悪なおすけど、芹沢とその取り巻きは市中で酒を飲んで暴れるわ、金は払わへんわ、しまいには商家に押し入って隊費名目で金を強盗のように奪い取っていく始末。全く警護どころか、京の町を不安に陥れてるんどす。」
酷い話だ。
不逞浪士を取り締まる者が、実態は不逞浪士と変わらない。
いや、市中警護というお墨付きがある分、不逞浪士より質が悪い。
樹之助は不機嫌そうに聞いた。
「確か連中会津藩のお抱えだろ?会津に苦情を申し立てればいいじゃないか?」
「そらもうなんべんも訴えてますがな。どすけど会津としても勤王浪人相手に浪士組の力を頼りにしてるだけに、あまりに強う言えへんようなんどす。」
樹之助は沖田と土方の姿を思い出していた。
(あいつらがそんな無法を良しとする奴らだとは思えんが...)
「ま、こないな話裏影にしたところで、何ができる言うわけやないやろけど、祇園でも騒ぎを起こしてますしな。対応誤ると斬られるかもしれまへんさかい、忠告まで。」
山城屋が真顔で頷く。
「あぁ。芹沢か…気を付けよう。」
樹之助は山城屋を後にした。
数日後、さっそく事件が起きた。
樹之助が長屋で控えていると山城屋の下男伊佐吉が大慌てで駆け込んできた。
「き、樹之助はん、大変や!至急播磨屋へ!」
樹之助は嫌な予感がした。
普段の裏影業では持ち歩かないサイをそっと懐に忍ばせ、長屋を出た。
播磨屋の前で二人の男が大声で喚いている。
その前に長屋の用心棒岩蔵がうずくまっている。
それをかばうように鬼松が立ちはだかっていた。
樹之助は岩蔵を介抱している与太八に駆け寄り声をかけた。
「どうした?斬られたのか?」
「あ、樹之助!いや峰打ちや。そやけど、恐らくあばらは折れとる。」
樹之助が顔を上げると、片目を眼帯で覆っている男と、若い浪人風の男が喚いていた。
「ヌシらぁ、誰のおかげで平穏に商売できていると思っている?」
それに対し、鬼松が冷静に話す。
「あんたら浪士組が市中警護してくれてることは感謝している。だけど、それと飲み代を払わないのは別な話だ。」
「お前、口の利き方に気を付けろよ。今後もここで商売したいなら、俺たちと揉め事は避けた方が利口じゃないか?」
「それじゃあ、あんたらも不逞浪士と同じじゃないか。」
鬼松が毅然と言い切る。
「こいつ、飲み屋の用心棒風情が...」
眼帯の男が刀の柄に手をかける。
「今度は峰打ちじゃないぜ...」
男は野卑た笑みを浮かべた次の瞬間抜いた。
鬼松は微動だにしない。
斬られる!
誰もが思った瞬間、樹之助が前に出てサイでその剣を受け止めた。
「樹之助!」
鬼松が目を見開いている。
「なんだぁてめぇは!こいつらの仲間か?」
「…仲間?」
樹之助は一瞬考えたが、すぐハキとした口調で答えた。
「あぁ。仲間だ。」
「なんだか訳のわからねぇ得物使いやがって。おい、野口、こいつ斬ってしまえ!」
眼帯男が叫ぶと野口と呼ばれた男が刀をヌラリと抜いた。
だが斬りかかる瞬間、鬼松が猛然と踏み出し、強烈な張り手で野口の頬を張った。
野口という男は一間ほど吹っ飛ばされた。
「てめ、何やってんだ!」
眼帯男が野口に気を取られている隙に、樹之助はサイで受けた刀を捻り上げ、絡めとった。
慌てた眼帯男が脇差を抜こうとするところ、樹之助はサイを男の首元に突きつけた。
「やめておけ...」
そう言うと眼帯男は動きを止めた。
その時、後ろから鉄扇で首筋を叩きながら大柄な男が割って入ってきた。
「なんの騒ぎだ!?」
「あ、芹沢先生!」
突き飛ばされた野口が犬コロのように走り寄る。
(芹沢?こいつが、壬生浪の親玉...)
樹之助はその姿をマジマジと見た。
背が高く、肉厚な体つきをしている。
しゃがれているが声は大きくよく通る。
なにより、体中から強烈な気を発している。
柳生の里で対峙した庄田弦太郎や志乃の剣はあまりに静かで、気を発していないがため、打ち込めないものだったが、芹沢の気は強烈すぎて、相手を怖気づかせる気だった。
(こいつは怪物だ...)
樹之助は瞬時に悟った。
「お前ら何やってる!祇園の通りの真ん中で、会津候お預かりの我らが騒ぎを起こすなど恥を知れ!」
芹沢派二人を怒鳴り散らしている。
(お、意外とまともなこと言うじゃないか)
樹之助がそう思ったのも束の間、芹沢は横にいた播磨屋の店主に詰め寄った。
「しかし、播磨屋。我らが日々命がけでこの祇園を不逞浪士から守っていることはわかっておろう。そんな我らに労いの気持ちというものはないのか?」
「いえ、あのお二人が浪士組のお方とは露知らず、ついついお代をお支払いいただこうと...」
播磨屋の主人は泣き入りそうな声だ。
「知らなかったものは仕方ないな。よしよし、それでは今回の無礼は不問といたそう。ただし...」
芹沢の目が光った。
「詫び料として二十両。それで無かったことにしてやろう。」
「そんな大金!あんまりですわ!」
播磨屋が芹沢に哀願する。
「出せぬか?では狼藉の続きと行くか?」
芹沢が鉄扇で播磨屋の首筋を抑えつける。
樹之助は怒りが頂点に達した。
手にしたサイを握る手に力がこもる。
その時、辺りに野太い大声が響いた。
「芹沢先生!おやめくだされ!」
通りの反対側から男が三人駆け込んできた。
樹之助はその中に見知った顔を見た。
沖田と土方。
他に先頭で駆けて来る岩のような顔をしたガタイのいい男。
「先生!我らは会津候のお預かりです。このようなことしていては、会津様のお顔に泥を塗ります。」
「近藤君、会津候の顔というならば、このような所で舐めた態度を許してはいかんだろ。」
「先生。我らは京市民を守るのがお役目。これでは我らの誠が立ちません。」
芹沢は普段から近藤が曲がったことが大嫌いで、一度正論を言い出すとテコでも言を違えないことを知っていた。
「また、誠か...。綺麗ごとばかりほざくなよ近藤。お前らとて同じ穴のムジナだ。」
「それはわかっております。されど、我ら京の民衆の支持を得なければ生き残ってはいけません。軍資金の申し入れは致し方ないとしても、こんな無銭飲食のような低俗なことで隊の評判を貶めることはおやめいただきたい。」
しばし視線をかわす芹沢と近藤。
あたりに緊張感が走った。
「…興覚めだ!帰るぞ!」
そう言って芹沢は踵を返した。
取り巻き二人も慌てて後に続いた。
樹之助は初めて見た近藤という男を凝視した。
そして、その信念の塊のような佇まいに思った。
(まるで古武士だな…)
【芹沢 鴨】水戸脱藩浪士 壬生浪士組(新選組)初代筆頭局長。剛勇な性格だが粗暴な振る舞いも多かった。剣は神道無念流。壬生の八木邸にて暗殺される。享年不明(生誕日不詳)
【平山五郎】芹沢派の一人 初期浪士組副長助勤 隻眼のため眼帯をしていた(異説あり)芹沢と共に壬生の八木邸で暗殺される。享年35
【野口健司】芹沢派の一人 初期浪士組副長助勤 神道無念流 後に切腹 享年21
【近藤 勇】1834~1868 百姓の家に生まれながら、剣の才を見込まれ三代目天然理心流宗家近藤周助の養子となり四代目宗家を継ぐ。清河八郎の将軍警護名目の浪士募集に土方らと共に参加。上洛後、江戸に戻った浪士組とは行動を分かち、独自に京都に残り京都の治安維持に尽力した。その活躍が認められ、後に幕臣に取り立てられる。最後まで徳川家に忠節を尽くしたが、戊辰戦争で敗れ、1868年板橋にて処刑され、首級は京都の三条河原に晒された。享年35




