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第33話 帰京

元治元年(1864年)七月


樹之助は京に戻ってきた。


柳生の庄田道場を出た後も、堺や大阪など思いつくままに歩き回り、帰ってきた都の景色は、旅の前とはまるで違って見えた。


(旅をして良かった...)


樹之助は気持ちを新たに都の土を踏みしめた。


まずは、鴨川の乞食小屋集落を訪れる。


樹之助の姿に気付くと四門(しもん)が駆け寄ってきた。


「お~樹之助!無事帰ったか!」


「おう。どうだ、皆変わりないか?」


樹之助が問うと、四門は苦い顔をした。


「イシキリのおっさんの具合が良くねぇ...」


「なぜ!?」


「よくわかんねぇけどな。今年は暑くなるのがはぇえから暑さにやられたんじゃねぇかって。」


「医者には()せたのか?」


樹之助が聞くと、四門は呆れたような顔つきで答える。


「お前、ちょっと離れてるうちにここいらの住人のこと忘れちまったんじゃねぇのか?俺たちが病を患ったって、医者になんか診せるわけねぇだろ。そんな金どこにあんだよ。」


そう言われると樹之助もバツが悪そうに頭を掻きながら、その脳裏に何とも言えないやるせない感情が浮かんだ。


(等しく病を患っても、かたやおかげ犬に伊勢参りに行かせる家もあれば、医者どころか食う物さえままならない者もいる...)


「じゃあ、俺は仕事あるから。またな!」

と四門は去って行った。


(仕事?真昼間から泥棒か?)


そんなことを思いつつ、樹之助はイシキリの小屋を覗く。


「帰ったぜ。あんまり調子よくないんだって?」


樹之助が声掛けるとイシキリは閉じていた目を開き、首だけ樹之助の方に向けた。


「ふーむ...」


イシキリはしばし樹之助の顔を見つめた。


「親父とは、ちゃんと話せたようだな。」


「あぁ。俺が何者か。何を為すべきか。ちゃんと引き継いできた。これからはもう迷うことはない。」


樹之助がキッパリ言うのをイシキリは嬉しそうに聞いていた。


「もうここにおらずともいいだろう。お前の居場所探す方がいい...」


そう言ってイシキリはまた目を閉じた。


特に行く当てもなかったが、樹之助は小夜(さよ)がどうしているか気になり、祇園の“宵待(よいまち)”へ向かった。


岡場所は非公認色町のため、表面上は料理屋である。


昼間は当然営業時間外で、夜の(にぎ)わいとは打って変わって閑散としていた。


店も入口が固く締まり、眠りについているようだった。


(出直すか...)


そう思い(きびす)を返した時、

「おや、お前さん...」

と声掛ける人がいる。


振り向くと

「あぁ、やっぱり、樹三郎の息子だ。」

と指をさす女。


女将(おかみ)のお滝だ。


「昼間から遊びたいのかい?」


お滝がいたずらに聞いてくる。


「いや。旅から戻ったんで、知り合いのところ回っているんだ。」


樹之助が言うと、お滝は少し声を落とした。


「小夜に会いたいんだろう?」


ズケリと本質を突いてくる。


「まぁ、無事かどうか…話でもな。」


小夜の話になると、あの夜の事が思い出されちょっと恥ずかしくなった。


「悪いことは言わないよ。今はやめておきな。」


その言い方に不信を感じ、樹之助は問い返す。


「小夜に何かあったのか?」


するとお滝は樹之助を裏手に引っ張りこみ耳打ちする。


「何もありゃしないよ。っていうか、いまではウチ一番の売れっ子さ。」


あの小夜が…

樹之助は、初めての夜、子ウサギのように震えていた小夜の姿を思い出していた。


「あんたの知っている小夜じゃないからね。今じゃあ、笑い方一つで男を転がす女だよ。あんたが驚いちまうんじゃないかって心配なのさ。」


そう言いつつ、お滝は真顔で樹之助を見つめる。


「でもね、それは偽りの姿。あの娘はここで遊女として生きると決めてから、仮面をかぶっちまったんだよ。その仮面で必死に自分の心を守ってるんだ。」


望まない生き方をするため、別な人間になりきっているんだろう。


樹之助の心が(かす)かに(うず)いた。


「あんたに会っちまえば仮面が()がれる。そうしたらあの娘はもう遊女として生きられなくなる。」


それは樹之助にもなんとなくわかった。


「でもあんた...旅立つ前と比べたら随分様変わりしたね。男になった。別人だよ。」


お滝が嬉しそうに樹之助を見て目を細めている。


「今ならあんたが小夜を落籍(ひか)せるといっても止めやしないけどね、きっと樹三郎の後継ぐ決意固めてきたんだろ?」


樹之助は無言で頷く。


「それならまだ所帯もって落ち着くわけにはいかないだろうから、もう少し会わずにいる方がお互いのためじゃないのかい?」


樹之助もそのつもりだった。

歴史のうねりが起こる前に、落ち着いた隠棲生活を送るわけにはいかない。


そう思うと、素直に言葉が出てきた。


「小夜の事、これからも頼みます。」


「当たり前だよ。ちゃんと客は選んでるから心配しなさんな。」


それを聞き樹之助もホッと胸を撫で下ろした。


「ところであんた、住むところはあるのかい?」


お滝が聞いてくる。


「いや。前までは鴨川に居候していたんだけど、いつまでも乞食小屋ってわけにもいかないし…」


するとお滝がまた声音を低めて聞いてくる。


「あんたさ、樹三郎のようにこの辺で起こる揉め事解決してくれるんだろ?」


「そのつもりだが…」


樹之助が答えると、


「それなら、表通りの豪商山城屋の店主山城屋喜左衛門の所にお行きよ。樹三郎を信用して援助していた人さ。この辺の町衆の顔でもある。ねぐらの一つや二つ提供してくれるはずさ。」


(なるほど…そういう仕組みか…)


樹之助は父がどこから仕事を請け負っているか初めて知った。


「わかったよ。ありがとう。」


樹之助は笑顔で宵待を後にする。


「小夜にはまだ内緒にしとくから。」


お滝は小声で手を振った。


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