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第32話 未来はきっと

昨夜の慣れない酒で、樹之助は少し重い頭を振りながら井戸端で頭から水を被っていた。


「ふ~、さっぱりだ。」


そう言って顔を上げると、志乃が乾いた手拭いを差し出した。

足元には権助が付き従っている。


「ありがとう」


手拭いを受け取り体を拭く。


志乃は樹之助の頭をまじまじと見つめ

御髪(おぐし)が乱れております。お直ししますので、こちらにお座りください。」

と縁側へ誘う。


樹之助は慌てて手を振り

「武家のお嬢様に俺のような者がそこまでしてもらうことはできませんよ。このままで十分...」

と言ったが、志乃は半ば強引に樹之助の手を引き、「いいからお座りください。」と言って縁側に座らせ髪を結い始めた。


その様子を反対側の廊下から見ていた弦太郎が弦斎に呟いた。


「あいつが俺や(じじ)様以外の髪を結うなんて珍しいですな...」


それを聞き弦斎は嬉しそうに微笑みながら言った。


「志乃も男を選ぶ目はもっておるようじゃのぅ」


「ほう」


弦太郎も納得顔で二人の様子を見ていたが、やがて軽く首を振り溜息をついた。


「惜しいな...いくら中身が素晴らしくとも、庄田の家の娘を名もなき影にくれてやるわけにはいくまい...」


それを聞き玄斎は(かす)かに笑みを浮かべた。


「ふむ。だが、そんな身分など不問になる時代がもうすぐそこまで来てるのやもしれんぞ。我らの剣術が滅びゆくようにな...」


縁側では志乃が髪を結い終わり、樹之助が権助と戯れていた。


弦斎と弦太郎はその様子を複雑な思いで見つめていた。



朝餉(あさげ)を終え、樹之助は弦斎の寝室に旅立ちのあいさつに(おもむ)いた。


「昨日からの大変なおもてなし、感謝に堪えません。俺のような者に、柳生新陰流の神髄もお見せいただいたこと、一生の宝といたします。」


志乃に支えられながら、床に起き上がっている弦斎は、にこやかにうなずきながら言った。


「わしらの方こそ、いいものを見せてもらった。」


そういうと少し咳込み、志乃から水を差し出されるのをゆっくり飲んだ。


「京に戻ってからどうするのかね?」


弦斎が問うのに志乃の手が微かに反応した。


「まだわかりません。でも、今回の旅で親父の遺志を継ぐ覚悟はできたんで、自分の正心を磨いて、自分の()すべきことを見つけ出したいと思ってます。」


志乃はそれを聞き少し(うつむ)いた。


「樹之助さんよ。これから時代が大きく動く。それはこんな柳生の田舎にいる隠居の身にも感じられるほど世の中の空気として伝わってくるのじゃ。」


樹之助は深く頷く。


「これから訪れる世の中は、恐らく我らのような古い価値が一新される。だが、例え自らの存在が消え去る結果になろうとも、正しいと思う道を真っすぐ歩くがよかろう。」


「はい」


樹之助が答えると、弦斎は志乃に向かって意味深なことを言った。


「きっと新しい時代では、身分など関係無くなるやもしれんぞ...」


弦斎はフッフッフとほくそ笑む。


志乃は顔を上げその言葉の意味を頭の中で巡らせ、ある結論に行きつき顔を赤らめた。


「ではお(いとま)いたします。お世話になりました」


「うむ。またいつでも来なされ。」


そうして樹之助は庄田道場を後にする。


屋敷の門まで弦太郎と志乃と権助が見送りに来た。


「これ道中お召し上がりください」


志乃が手製の握り飯を持たせてくれた。


「また手合わせしよう」


弦太郎が言うと、樹之助は頷き笑った。


「では、名残惜しいですがこれにて暇させていただきます!」


樹之助は深々と一礼すると屋敷の門を出た。


その背に志乃が声をかける。


「道中ご無事で!」


樹之助が振り向かず右手を上げる。


最後に権助がひと声吠えた。

その声は柳生の山里にこだましていた。


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