第31話 無刀の極意
樹之助と志乃の立ち合いを終えた時、上段から師範の庄田弦太郎が降りてきた。
「君の手ではその得物は長すぎるだろう。小太刀あたりが丁度よいのではないか?」
そう言って小太刀長の竹刀を渡される樹之助。
「俺は当道場の師範庄田弦太郎だ。今度は俺とやろう。」
と言って笑顔で近づいてくる。
「そんなお兄様が出張らなくとも、今のは樹之助殿の動きがわからず一瞬遅れをとっただけ...もう一度私が...」
志乃が懇願するのを、弦太郎は小声で志乃に耳打ちした。
「皆が見てる前で恥をかきたいか?」
志乃は一瞬の動揺を見極められていたことを悟り、「...承知しました。」と引きさがった。
その間樹之助は小太刀竹刀をビュンビュンと振りながら、弦太郎に向かって言った。
「あの~、できればもう一本!」
門人がもう一本渡すと、樹之助は両手に持ちくるくると回した。
「小太刀二刀はよくあるが...」
弦太郎は呻いた。
樹之助の構えは異様だった。両方の小太刀を逆手に持っている。
「間違いない、お主...」
弦太郎の目が鋭さを増した。
「影だな」
「影!」
志乃が目を見開いて樹之助を見つめている。
「なんだかわかんねぇけど、呼び方は自由だ。柳生の師範さんとお手合わせいただけるなんて光栄だね。」
樹之助は興奮を隠せない。
「あんた、防具はいいのかい?」
「ふふ、君がしていないのに、師範の私がしていては、門人たちの手前恰好がつくまい。」
「本気の立ち合いだ。加減する余裕はないぜ。」
「それはこちらも同じ。一本勝負といこう。」
弦太郎が構える。
樹之助も逆手に持った小太刀を交差するような形で構える。
「権助に感謝だな...」
樹之助はフッと笑うと床板を蹴った。
夕刻
客間に弦太郎と樹之助、志乃。
弦斎は病の体にさわると早々に床についていた。
志乃が樹之助に酌をする。
それを飲み干しながら樹之助が口を開いた。
「さっきは...柳生の剣の奥深さを見せつけられたよ...あんな、どこに打ち込んでいいかわからない、茫洋とした感覚は初めてだった…」
「新陰流の真髄は無刀。剣を振るわずに勝つを至上の境地としている。」
「なんとなくわかるぜ。あんたの剣には、なんというか温かみがある。俺がこれまで見てきた剣の達人は、皆凄まじい殺気と氷のような冷たさで辺りを圧倒するんだ。それが、あんたにはない。」
弦太郎はニコリと微笑んだ。
「剣は奥が深い。はじめは剣の強さを技術に求める。そうして技量が高まった者は、一定の気をまとう。その気に呑まれ、弱者は逃げ戦いを避けることができるが、同じ気を持つ者同士は引き付けあう。つまり、戦いは避けられん。」
「強さが逆に敵を引き付ける...か...」
樹之助は京で常に修羅の戦いに臨んでいる沖田の姿を思い起こしていた。
「かの剣豪宮本武蔵も人生序盤は斬って斬って斬りまくる修羅の道だった。だが、彼が最後に行きついたのは、物事を極めた先。そこには実は何もないことを知るという空の境地よ。」
「空の境地...」
樹之助は口の中で反芻していた。
「そうだ。新陰流の祖、石舟斎公の言う無刀の極意も、素手で剣を取るなどという単純なものではない。剣を極め、気を発することもなければ、いらぬ敵を引き付けることもない。無刀にて敵を制することができれば、刀を帯びる必要もない。そのような達人に剣を振るってくる者もない。つまり、人々は剣が不要になる。そんな世界こそ究極の無刀の極意よ」
「戦いの無い世界...」
樹之助は口にしてみたが、全く実感が湧かなかった。
「だが石舟斎公や武蔵のような境地に達するものなどほんの一握りだ。俺なんぞもまだまだよ。」
それから夕飯を過ごした。
樹之助が見たこともない立派な膳部が出てきて、どう手を付けていいかわからない。
それを志乃が甲斐甲斐しく教え世話をした。
弦太郎はそんな二人を微笑ましく横目で見ている。
食べ終わり、酒を酌み交わしているとき、志乃が樹之助に問いかける。
「樹之助様の剣は独特でございますね。どなたかから教わったのですか?」
樹之助は少し間を空けて答えた。
「...親父です」
それを聞き弦太郎が首を伸ばす。
「親父殿も...」
弦太郎が盃を飲み干し問う。
「影か?」
「影...そういう風に呼ばれることもあるか...」
樹之助は自嘲気味に答える。
「この時代にもいたのですね...」
志乃が樹之助に酌をしながら静かに言った。
「だから言ったろ。あれが実戦だったら獲られていいたのはお前だ、志乃」
弦太郎が諭すように言うと、志乃は少し恥じ入る感じで俯いた。
「...はい。あの後のお兄様と樹之助様の立ち会いを見て、誠にそう思いました。」
「いえいえ。俺の剣は素人で志乃さんの足元にも及ばない。忍びは生き残り任務を全うすることが至上命題。剣にこだわらずあらゆる物を得物とするんで、混乱するのも当然です。」
そこに弦太郎が口を挟んだ。
「だが、最後に生き残るのはお主だろうな。我らの剣は時代に取り残されつつある...」
樹之助も伏し目がちに呟く。
「…時代に取り残されてるのは、俺たちも一緒だ。いずれ剣も忍びも不要な時代が来る...」
三人は深更まで語りあい、尽きることは無かった。
夜が更けていった




