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第30話 間合い

道場は皆稽古を止め、二人の立ち合いに注目している。


いつの間に来たのか、師範の横に弦斎翁(げんさいおう)も来て座っていた。


樹之助は一礼から蹲踞(そんきょ)し、立ち上がった。


「キェェッ!」


先ほどまでの志乃から想像できない凄まじい気合の声があがる。


樹之助は声が出ない。


闇で活動する者は声を出すことを避ける。

戦闘の時声を出さないよう、樹之助は幼少の頃から訓練されている。


面がね越しに見る志乃は、とても大きく見えた。


ぴたりと正眼に構えるその姿は一分の隙もなく、樹之助はどう攻めていいかわからない。


気が付くとジリジリ道場の端に押し込まれていた。


「ほら、もう後ろはありませんわよ。思い切って打ち込んでいらっしゃい。」


樹之助も覚悟を決め、志乃の竹刀を払い、続けざまに面を襲った。


(とった!)


樹之助が思った瞬間、樹之助の竹刀は空を切った。

同時に腹に鈍い衝撃。


「ふふふ、胴ありですね。」


速い!


樹之助には志乃がどう動いたか視認できなかった。


「も、もう一本」


樹之助が言うと、志乃は

「何本でもどうぞ。」

と涼しい声音で返す。


その後も樹之助は教わったあらゆる手を使って仕掛けるが、皆が言っていた通り指一本触れることができなかった。


「もうやめときなよ兄さん!」

「志乃先生とやるには十年早いよ!」


そんな声が辺りから飛び交う。


樹之助もそろそろやめるかと思っていたところに志乃が言った。


「樹之助様は初めて正式に剣術を習ったのでしょう。剣の型は自由に剣を振るっていた方にとっては己を縛る鎖。きっと大変戦い難いと思われているのではないですか?」


図星(ずぼし)だった。

剣の型が身に沁みついていない樹之助にとって、教わった型通りに動くことは窮屈(きゅうくつ)でしょうがなかった。


「あなたもこのままでは不本意でしょう。どうぞ型という鎖をはずし、思いのままの戦い方でいらしてください。」


そう言われ、樹之助も自分の戦いがどこまで新陰流に通じるか試したくなった。


「では、お言葉に甘えて。」


そういうと樹之助は小手、面、胴をはずし始めた。


「それでは危のうございますわ。」


志乃が慌てて止める。


「いや~、普段このような重い物を付けて戦う経験がないので、無い方がいいんですよ。どうせ次一撃喰らったら終わりだし。」


そう言って笑う樹之助の笑顔が、志乃には(まぶ)しく見えた。


上段の師範が横に座る弦斎に小声で声をかける。


「...爺様(じじさま)、あの者どこから?」


「ほほ、権助(ごんすけ)が連れてきたのよ。」


「権助が?それは奇妙な縁...」


二人は声もなく笑っている。


「しかし爺様が道場に通したということは、あの男に何か感じるものがおありになったのでしょう。」


「…弦太郎、あやつ戦国時代の遺物やもしれんぞ。」


「戦国の…遺物」


師範の弦太郎は目の前で防具を取っている男を注視していた。


「準備はよろしいですか?では始めましょう。」


再び間合いを取り対峙する二人。


だが樹之助の構えは先ほどまでとガラリと変わっている。


どっしりと腰を落ち着けて正眼に構えていた先ほどとは真逆の、腰高でややつま先立ちの、

あらゆる変化に迅速に対応できる形だった。


間合いも広く取った。

剣術で前提である一足一刀の間からはるかに離れている。


相手から一撃でやられることもないが、自らの剣も届かない。


志乃は初めて対峙する型に少し戸惑いを覚えた。


(どうする気?確かに打ち込まれる事はないだろうけど、樹之助様の剣も届かない。勝負を諦めた?)


そう考えている志乃を中心に、樹之助は少し飛ぶような軽い足さばきで右回りでぐるぐる回る。


志乃は気合の声と共に、逃げ回るような動きの樹之助を威嚇する。


その苛立ちがわずかに剣先に現れた。

微かな気の乱れ。


瞬間樹之助は跳躍した。

絶対届かないはずの間合いに一気に飛び込む。

(ふところ)内側に入られた志乃は驚きで目を見開く。


周りを囲んでいた弟子たちは、恐らく樹之助が飛び込んだ動きが見えていなかっただろう。


志乃は瞬時に覚った。


(ダメ、やられる!)


樹之助も(()った!)と勝利を確信した。


だが、次の瞬間、樹之助は固まった。


(な、長い...)


樹之助は普段短い得物を使う。

長くても脇差までだ。

今持っている竹刀はのは打刀(うちがたな)と同じ二尺一寸程度の長さ。


普段使い慣れていないばかりか、樹之助が飛び込んだ相手の深い間合いでは、振ることも刺すこともできなかった。


瞬間、志乃は竹刀を捨て、樹之助の首に腕を絡め、そのまま押し倒し首を掻き切る仕種を取った。


「見たか、弦太郎...」


「はい。爺様。あれは...」


「影だ。」


「まさか、この時代にこの目にしようとは...」


静まり返る道場。


「いや~参りました。さすが志乃様…」


樹之助は立ち上がり笑っている。


志乃は思っていた。


(私は勝っていない。あれが短刀だったら、私は一刺しで終わっていた...)


【一足一刀の間】互いに一足で相手に斬りこめる間合い。剣の戦いはこの間合いを制することが肝要。


【打刀】武士が差している長い刀。もう一本差してる短い刀を脇差という。一般的に長さが2尺(60cm)以上の刀を打刀といい、1尺(30cm)以上2尺未満のものを脇差といった。


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