第29話 柳生新陰流
権助と戯れる娘を樹之助は見ていた。
年の頃は十五~六ほど。
小柄な身体つきに白い肌。
細面の輪郭に、切れ長の目。
背筋の伸びた立ち姿に、凛とした気品を感じる。
「権助!」
娘ははっきりとよく通る声で権助に何やら指示している。
その動きに一切の無駄がない。
歩みも、膝を折る所作も、立ち上がる姿も、武家育ちの娘らしい礼法が、何気ない仕草の端々に染みついている。
(なるほど、権助のご主人って感じだな...)
樹之助は昨夜見た権助の誇り高い一面を思い出していた。
権助は尻尾をちぎれんばかりに振り、鼻を鳴らして甘えている。
「権助の主人か?」
樹之助が問うと、娘はすぐに居住まいを正し、深く頭を下げた。
「はい。当道場主庄田弦斎が孫、志乃と申します。このたびは権助を連れ帰ってくださり、誠にありがとうございました」
そうしっかりと答えると、「どうぞ」と玄関口まで樹之助を案内した。
しばし樹之助が客間で待っていると、志乃に手を引かれ一人の翁が入ってきた。
「庄田弦斎。志乃の祖父です。この度は権助が世話になったそうで感謝いたします。」
病で血色が悪く、体も骨と皮のようになり、座っているのもしんどそうだが、その言葉はしっかりしていた。
「権助は志乃が儂の病気平癒を祈って伊勢に行かせたのだ。人は誰しも老いて死ぬ。それだけの事だから無駄なことはするなと言っているのだが...」
そこまで言うと弦斎はゴホゴホと咳き込んだ。
その背を志乃がさする。
「困った孫娘よ...」
そういいつつも、弦斎の志乃を見る目は慈愛に満ちている。
きっと目に入れても痛くない、可愛い孫なのだろう。
弦斎は樹之助をじっと見つめ、ぼそりと言った。
「そこもとは、何か武術を嗜んでおられるのかな?」
樹之助は驚く。
身なりは普通の町人の旅姿だ。
武士独特の歩き方でもない。
何をもってそう言うのか。
「武術というか、父から護身用に体術を子供の頃少し...」
「そうかそうか。そこもとからは得も言われぬ落ち着きが見える。何事にも動じぬ心の強さとでもいおうか。」
「買いかぶりすぎです。心の弱さを補うため、伊勢に参ったほどですから。」
樹之助が否定すると、志乃が口を挟んだ。
「でも、権助が懐いたのですよ。権助はここでたくさんの修行者を見ています。そしてこの子が認めるのは、心の鍛錬ができている人。あなたにもきっとその素養があるのですわ。」
(なるほど…権助自身が正心をもっているわけだ...)
「せっかく来ていただいても、ご覧のような山奥の田舎。お見せできるのは剣ぐらいしかござらん。そこもと、武のたしなみがおありなら、当家の道場でも見ていかれぬか。」
(天下に響いた柳生新陰流の道場を見ることができる!)
樹之助の心は躍った。
「それはありがたい!ぜひ!」
弦斎も頷いている。
「では私が樹之助様を道場へご案内してさしあげますわ。お爺様は床にお戻りになってください。」
「そうしよう。樹之助どの、どうぞゆっくりしていってくだされ。」
そう言って弦斎は客間を後にした。
樹之助は志乃に案内され、道場に通された。
既に十人ほどが来ていて思い思いに竹刀を振るっている。
樹之助は道場の隅に正座し、じっと様子を眺めていた。
見ていると、弟子達は必ずしも武士ではないようだ。
後から稽古にくる人を見ていると、野良仕事帰りの農夫や仕事の合間のような町人もいる。
さらに女や子供も。
さすが武をもって成る里、住人全てが剣の心得があるようだった。
上段の間に座り全体に目を凝らしている男がいる。
あれが師範なのだろう。
歳の頃からして志乃の兄という感じだ。
そうこうしているうちに、奥の戸がカラっと開き、真っ白な稽古着姿の志乃が入ってきた。
そのまま樹之助の前まで来ると、
「見学ばかりでは退屈でございましょう。私が当流の手ほどきをしてさしあげますわ。」
といい樹之助に竹刀を差し出した。
樹之助は少し面食らっていた。
「え、お嬢さんが剣術?」
思わず漏れた一言に、すぐ脇にいた子供が
「志乃先生はその辺の男よりずっと強いんだぜ。」と教えてくれた。
(さすが新陰流道場の娘...)
樹之助は父からあらゆる武具の扱い、武術を教わったが、忍びはその時々で最適な道具を使い任務を全うすることを是とする。
なので、樹之助の剣は我流で形も悪い。
志乃は一つ一つ丁寧に基礎を教えてくれた。
剣の握り方、すり足、体捌き、基本的な型。
初めて教わる正しい剣術が樹之助には新鮮だった。
志乃の方も、樹之助のしなやかな身のこなしと呑み込みの早さに感心していた。
そして、一つの確信めいた思いが芽生えていた。
(この人、我流で形は悪いけど、実戦を経験している?白刃の元に身をさらしたことがある人独特の、竹刀の間合いに入ることを恐れない…)
気が付けば一刻の時が過ぎていた。
「樹之助様は筋がよろしいですね。基礎稽古ばかりでは退屈でしょうから、一つ立ち合い稽古といきましょうか?」
突然志乃が誘ってきた。
樹之助もやってみたい思いはあったが、志乃をちらりと見て頭を掻いた。
「いや、でも嫁入り前の女性に怪我でもさせたら...」
すると道場に来ている町衆が笑いだす。
「志乃お嬢さんに怪我させるってよ」
「触れることができたら奇跡だぜ」
「ですってよ。だから遠慮はご無用。あなたの安全のために防具は付けましょう。」
そして互いに防具着用。
志乃の真っ白な道着に深紅の胴、深紅の紐類が鮮やかで、女性剣士の凛々しさを際立たせていた。
道場は皆手を止め、二人の立ち合いに注目した。
【柳生新陰流】
戦国時代の剣豪・上泉信綱が興した新陰流を、その弟子柳生宗厳(石舟斎)が受け継いで発展させた剣術流派。その剣は徳川将軍家剣術指南役とされた。
【庄田道場・庄田家の人々】
架空の家、架空の人物です。この物語は実在の人物の名前も出てくるので、紛らわしさを避けるため最初に記しておきます。




