第3話 襲撃
樹之助は、三宅の屋敷を窺っている。
用心棒として浪人が数人見えるが、所詮は商家。
武家屋敷に比べれば、警備は甘い。
塀を飛び越え、屋根を伝い、母屋の天井裏へと忍び込む。
梁の上に身を伏せた瞬間、ふわりと埃が舞った。
長く人の手が入っていないのがわかる。
(見張りを置いたことがない証…)
樹之助はわずかに息を吐く。
(小悪党め)
どちらへ進むべきか思案した時、
――悲鳴。
か細い、だが確かに切羽詰まった女の声。
樹之助は音もなく梁を伝い、声のする方へと移動する。
やがて真下の気配を探り、そっと耳を寄せた。
「嫌……やめて、お願い……」
女の声だった。
「もう刈り取るにいい時期やろう。」
粘りつくような声。三宅だ。
「金にもならぬお前を、ここで飼ってやって二年……十分だ」
「……お願い、やめて」
必死に抵抗する気配。
何かが倒れる音、衣擦れ、押し殺した悲鳴。
樹之助は、静かに天井板をずらした。
覗き込んだ先――
三宅が女を押し倒し、力ずくでねじ伏せている。
その顔が見えた瞬間、樹之助の呼吸が止まった。
(あれは!)
脳裏に蘇る、かつての光景。
庭先で泣き叫んでいた、あの少女。
金の代わりに差し出された命。
(あの時の…娘か)
そう思った刹那、樹之助の身体は、考えるよりも早く動いていた。
梁を蹴る。
次の瞬間、影が落ちる。
音もなく床へと降り立った樹之助は、そのまま三宅の背後へ。
女が目を見開く。
異変に気づいた三宅が振り向く、その瞬間――
樹之助の拳が顔面に叩き込まれた。
「ぐぁっ……!」
もんどりうって転がる三宅。
その隙を逃さず、樹之助は背後から荒縄を首に回し、一気に締め上げる。
「た……助け……」
掠れた声が漏れる。
樹之助の目が、冷たく光った。
「お前は――」
低く、抑えた声。
「そうやって命乞いする人間を、今まで一度でも救ったことがあるのか」
縄がさらに食い込む。
三宅の足がばたつく。
その時だった。
「ダメ!」
鋭い声が響いた。
樹之助の意識が、わずかに逸れる。
さっき組み敷かれていた娘だった。
恐怖に震えながら、それでも目を逸らさずに言う。
「その人を殺したら……」
息を飲みながら、言葉を絞り出す。
「あなたも、同じになる」
樹之助は固まった。
(……何を言っている)
「嫌だって言っていただろう。俺が助けなければお前は...」
「そう…でも……」
女は首を振る。
「殺して解決したら、この先も殺し続ける無間地獄だわ…」
その言葉は、理屈ではなかった。
一瞬の迷い。
その隙を、三宅は逃さなかった。
渾身の力で縄をこじ開け、転がるように離脱する。
そのまま障子へと体当たりした。
バキン、と音を立てて破れ、廊下へ転がり出る。
「賊だ! 出あえ、出あえ!」
怒号が響く。
廊下の奥から、足音が迫る。
樹之助は舌打ちした。
(…しくじった)
振り返る。
娘はその場に立ち尽くしている。
その時、
ふと、空気が揺れた気がした。
風はない。
だが、確かに何かが動いた。
次いで、漂う甘い香り。
花のようでいて、どこか腐ったような、妙に重い香りだった。
(……なんだ、これは)
鼻孔にわずかな痛み。
同時に、意識がわずかに霞む。
「……誰か、いる?」
呟いた自分の声が、やけに遠い。
ドカドカと浪人たちがなだれ込んできた。
五人、いや六人。
抜刀したまま、一斉に間合いを詰めてくる。
その背後には三宅。
「殺れ! 生かして帰すな!」
(…ここまでか)
樹之助は短刀をきつく握りしめる。
(だが三宅だけは、差し違えても討ち取る!)
覚悟を決めた。
(先手を取って相手の囲みに飛び込んでやる!)
樹之助が覚悟を決め飛び出そうとした瞬間、
浪人の一人が、ふらりとよろめいた。
もう一人も、足取りがおかしい。
「なんだ……?」
誰かが呟く。
視界が揺れる。
樹之助自身も、立っているのがやっとだった。
甘い香りが、濃くなる。
(一体どうしたっていうんだ)
意識が落ちる寸前
何かが動いた。
影。
いや、もっと速い何か。
樹之助の記憶はここで途切れた。
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目が覚めた。
何度見たかわからない、あの夢。
だが、いつも同じところで途切れる。
(あの後、どうなった)
現実の記憶も、同じ。
(俺は…)
じっと手を見る。
(…やったんだな)
そう思うしかなかった。
三宅周五郎宅襲撃事件。
本人と用心棒六人が惨殺。
だが、女や使用人は無傷。
到底一人でできるはずもなく、複数犯の仕業だと言われているのだが、誰一人として、下手人の姿を見ていないという。
奇怪な事件として、京中の噂になった。
そして同時に――
陰では、拍手が起きていた。
三宅の悪名は、それほどまでに知れ渡っていた。
樹之助は、事件当日の朝、鴨川のほとりで目を覚ました。
粗末な小屋の中。
「目ぇ覚めたか」
しゃがれた声。
イシキリだった。
石切り場上がりの老人で、この辺りの浮浪者たちのまとめ役のような存在だ。
「忍びは社会の闇を知れ」
父に言われ幼少の頃からよく来ている場所だった。
「俺は、どうして…」
「朝方な、気づいたらお前が小屋の前で転がってた。」
「……誰が運んだ?」
「さあな、てめぇで歩いてきたんじゃねぇのか?」
樹之助はしばし呆然としていた。
歩いた?運ばれた?何の記憶も無かった。
「とりあえず洗って、血は止めといた。死なれちゃ後味悪ぃからな」
樹之助はボソリと聞いた。
「…三宅は?」
「死んだよ」
あっさりとした答え。
「用心棒もまとめてな。派手にやったもんだ」
イシキリがちらりと樹之助を見る。
「……お前か?」
冗談めかした声。
だが、その目は笑っていない。
樹之助は答えなかった。
ただ、自分の手を見つめていた。
(母ちゃん……)
強く握る。
(ごめん)
震えは、止まらなかった。
(俺は……この手を汚した)




