第27話 権助
翌朝、樹之助は、御師に案内され同宿の参拝人らと共に伊勢神宮へ向かった。
一行はまず外宮から参った。
玉砂利を踏む音が静かに境内に鳴る。。
誰もが自然と無口になる。
昨夜、門前町で見た喧騒が嘘のような静かな世界があった。
樹之助は無意識に背筋を伸ばしていた。
(…なんだろう、この雰囲気は)
緊張感で肌が粟立つ。
ここに流れている時間は、世俗の時間と全く異なるものだ。
その間隔の中、樹之助は己の歩んできた十数年が、あまりに小さなものに思えていた。
京で過ごした日々。
忍びの修行。
三宅への恨み。
母の死、父との確執。
復讐と後悔。
父との再会、別れ。
自分が何者かを知った日。
それらすべてが、この場所の前では、ひと時の火花のように一瞬の出来事に感じられる。
(人一人の人生なんて、ちっぽけなもんだな…)
だが同時に、そのちっぽけな命を繋ぐことで人は歴史を紡いでいる。
そう思うと胸の奥がじーんとしてくる。
御師が小声で一向に伝える。
「お次は内宮さんです」
樹之助はしばし無言のまま辺りを見回した。
ただの息抜きのつもりで来た。
だが気づけば、大事なことを思い知らせれていることに気付く。
(来てよかった...)
樹之助は心からそう思っていた。
内宮も無事参拝を終え、神宮を出ると、御師の男が控えめな顔で口を開いた。
「皆さん、本日はお参りお疲れさまでした。外宮、内宮滞りなくお参りいたしました。」
「ああ。世話になった。思ったよりずっと厳かなとこだったよ。」
樹之助は歩きながら懐を探った。
「で、札の“お気持ち”ってやつは、いくらなんだ」
一行の者達も聞き耳を立てている。
男は両手を振った。
「そこはお気持ちで。神様への真心でございますれば」
「神様は真心に金なんて要求するもんか。」
樹之助は鼻で笑い、男を横目で見た。
御師は苦笑する。
「では、百文も頂ければ...」
そう言われ皆いそいそと懐をまさぐり出している。
樹之助は真っ先に銭を二百文、男の手に乗せた。
「案内代込みだ。世話になったな。」
男は深々と頭を下げた。
「これは...兄さん、見かけによらず気前がよろしいですな」
「見かけによらず、は余計だろ!」
樹之助は怒ったような表情を見せた後、すぐ笑顔に戻った。
男は笑いながら、神札を丁寧に差し出した。
「どうぞ道中の守りに。またのお参りを。」
樹之助は札を受け取り、しばし眺めた。
「また来るよ。」
札を懐へしまい、空を見上げる。
雲もなく、よく晴れていた。
伊勢の門前を出て、四半刻ほど歩いた。
街道脇に十人ほどの一団が立ち止まり、何やら騒いでいた。
(伊勢講の連中か...)
樹之助は一団に近づき、最後尾の男に声をかけた。
「どうしたんだ?」
男は振り向き、にやりと笑う。
「おかげ犬や」
(伊勢参りに行けぬ主人に代わって、参って札を持ち帰るという犬か)
樹之助は肩越しに覗き込んだ。
人垣の真ん中に、一匹の犬が座っている。
真っ白な紀州犬のような顔つき。
人に囲まれても物おじせず、背筋をピンと伸ばしてじっとしていた。
一団の長らしき男が、首に結わえられた小さな袋を確かめている。
「大和、柳生 庄田道場…と書いてあるな」
男は感心したように犬を見た。
「毛並みといい、態度といい、お前ええとこの犬やな?」
さらに袋の中を覗き込む。
「名前は権助いうらしい。ほれ、もう札も入っとる。帰り道や。」
隣の女が困ったように言った。
「うちら、これからお参りやさかい、連れて行かれへんなあ」
そのとき、先ほどの男が樹之助を振り返った。
「せや、あんさん参り終わったんやろ? どこまで帰るんや?」
「京だが…」
言った瞬間、嫌な予感がした。
男は手を打った。
「ほいたら通り道やないか! あんさん連れてったりや!」
「そりゃええ!」
「頼んます!」
一同、勝手に盛り上がる。
(やっぱりそうなるか…)
樹之助は天を仰ぎ、小さく息をついた。
「決まりやな!」
「ほれ権助、旦那に礼言え!」
そう言われると、権助はすっと立ち上がり、樹之助の前まで歩いてきた。
そして行儀よく座り、ひとつ頭を下げるような仕草をみせた。
「…こりゃいいや!」
一団から笑いが起こる。
樹之助も思わず口元を緩めた。
「これも、お伊勢さんの思し召しか...」
そう呟き、講の一行へ軽く一礼する。
「じゃあ行くぞ、権助」
権助は当然のように立ち上がった。
大和へ続く街道へ歩き出す樹之助。
そのすぐ横を、真っ白なおかげ犬がぴたりと付き従っていた。
【おかげ犬】
江戸時代、旅に出られない主人に代わり、人々の善意に支えられて伊勢参りをした犬のこと。首に道中の費用や願文を入れた袋を下げ、街道筋の人々から食べ物や宿を与えられながら旅をした。
【紀州犬】
紀伊の山々で猪猟に使われていた猟犬。精悍な顔つきで白い毛並みを持つものが多い。主人にはよく懐くが、それ以外には警戒心が強く、獲物の前では恐れを知らない勇敢な犬。




