第24話 父子継承
竜光の滝の滝つぼの横に一枚岩の平らな箇所と、岩をくりぬいた洞穴がある。
そこは、落ちてきた滝の飛沫で常に霧が漂っているようなジメジメとした薄暗いところだった。
三人娘は素早く洞穴に駆けこむ。
樹之助は視界が悪い中、辺りに目を凝らす。
すると、滝の下、岩場に座り滝に打たれている人を見つけた。
「親父!」
樹之助は父だと思い呼びかける
だが、その声は滝にかき消される。
仕方なく、樹之助も洞穴に入り父があがって来るのを待つことにした。
「あの滝に入るって、凄いね」
「本当。普通の人は辿り着くこともできないのに。」
「さすが、当世一の忍び。」
洞穴に居ても水飛沫が入ってくる。
「お前達はもう帰った方がいいぞ。親父もいつ来るかわからないし、風邪をひく。」
じっとしていると体が冷えて寒くなってくる。
木葉と木陰はブルブルと震えだしている。
「わかりました。私たちは戻ります。」
木立は落ち着いた口調で樹之助に伝えた。
「え~、まだ大丈夫だよ~」
「もうちょっと待とうよ~」
二人は不満そうだが、
「ダメ。足手まといになる。それにあんたたち風邪ひいて熱でも出たら誰が担いで帰ると思っているの?」
木立が姉らしい威厳で、二人をピシャリと抑えた。
三人を帰すと、洞穴の中は滝の音だけが鳴る神秘的な空間だった。
奥に薪が積まれている。
さすがに父も滝に打たれて、火にあたらずに生きられまい。
そう思い、樹之助は薪を取り出し、火を燃やして待った。
薄暗い洞窟の中は時間感覚も狂う。
どのくらい経ったかわからないが、樹之助が火にあたりウトウトしていた時、入口から人の気配を感じた。
「・・・誰だ?」
入ってきた男が問いかける。
「俺だよ...」
「あぁ、樹之助か…」
入ってきたのは父樹三郎だった。
「火…起こしておいた。」
樹之助は座っていた場所を開けた。
「フッ...一人になって随分気が利くようになったじゃないか...」
寒さで胴震いしながら、樹三郎は乾いた布を羽織り火に当たった。
樹之助は、そんな父をじっくり見つめた。
ここまで来るあいだに自分の知らない父の過去をたくさん見聞きしてきた。
自分の知らない父は、当世一の伊賀忍びだったが、こうして近くにいると、京で暮らしていた頃の、市井の町人といった感じだった。
「…...親父。」
言葉を発しようとするが、いざとなると上手い言葉が出てこない。
「…なんだ?」
樹三郎は焚火を見つめたまま答える。
「…ありがとう。守ってくれて…」
やっと振り絞った言葉だった。
樹三郎は口元を緩めた。
「よくここまで辿り着いたな...」
「ここに来るまで俺は、親父のことを恨み、軽蔑し、驚き、見直し、尊敬し…」
樹之助は、家を飛び出してから今日までのことを思い出していた。
「近くにいたのに、何にもわかっていなかった事に気付いた...」
「…父と子とはそんなもんだろ」
樹三郎はボソリと言った。
「俺も親父、お前にとっての爺さんのことは全然わかっていなかった。ただ、忍びの家伝を最低限教わっただけで、実戦は全くできない人だった。教わりながら思ったよ。太平の世の忍びはそんな感じで廃れていくんだろうなって...」
樹三郎は祖父を思い出しているのか、遠い目をして語っている。
「でも俺は本物の忍びになりたかった。だから風の里へ修行に来た...」
樹三郎は微かに笑ったような気がした。
「どうして俺が正心を否定した時、親父は何も言わなかったんだ?親父だって同じ思いだったって...」
「俺は......自分のやったことを正当化するつもりはない。正義の為といっても、7人の命を奪ったことは間違いないからな。」
樹三郎は一呼吸おいて続ける。
「かつて大勢の忍びを統制するための正心と違い、今残っている俺たちは、誰かの正義に乗っかるわけにはいかない。正義などという物は表裏一体。片方の正義は相手にとっての悪。その中で己はどの正義になら殉じられるか。それが己の正心…」
それは樹之助も、これまで京で過ごしてきた中で感じていることだった。
尊攘派と佐幕派の対立が激しくなっている現状、どちらも命がけで己が正義の為奔走している。
「親父は、これからどうするんだ?」
長い沈黙
「俺は…菊と誓った正心に背いた。己が決めた正心を己が破ったのだ。その報いは受けねばならん。」
「でも、それは...」
樹三郎はゆっくり首を振る。
「一度私怨をもって刃を振るったものは、再び同じ過ちを犯す。俺を押さえていた菊という存在が無ければ、誰も俺に歯止めをかけられん。」
樹三郎の目は暗く沈んでいる。
「だから、俺は自らこの忍びの技を封じる。お前に使った忘沈香をより強くした物に10日間浸かる。そうすれば、我が記憶は消え、俺は別人となる。」
壮絶な覚悟だった。
当世一の忍びを律することができるのは、本人しかいないのだ。
「じゃあ、その後は…俺のことも?」
「あぁ。忘れるだろうな。忘れるどころか、下手すると自分自身正気を保つことができないかもしれん。だから、お前が最後にここに来るのを待っていたんだ...」
これまで、父のことはそこまで慕ってるとは思っていなかった。
父の覚悟を聞いても、もっと淡々としていられると思っていた。
だが、樹之助の両目からは大粒の涙がとめどなく溢れ出ていた。
「…嫌だ…嫌だよ~!父ちゃん…俺を一人にしないでくれよぉ...」
樹之助は、幼児に戻って嗚咽をあげる。
父の呼び方も子供の頃のままに…
そのまま父の胸に飛び込んだ。
「…樹之助、可愛い息子よ...。お前を一人にするのは俺もしのびない...」
樹三郎は樹之助の背を撫でながら、当世一の忍びではなく、一人の父親として語りかけた。
「だけど、お前ならきっとなれる。風の忍びとして、最後の歴史の番人にな。」
「嫌だ、嫌だ!父ちゃんも一緒じゃなきゃ嫌だよ~。」
「我が家の祖が未来人だという話は、小さいころから何度も話してきたろう?そして、未来が正しい方向に行くよう、俺たち風の忍びは歴史を見守るのだと。」
樹之助は、まだ泣きじゃくっている。
「天明の大火で、祖先が書き残してきた物は失われた。だから、細かい歴史のことはわからなくなっている。だが、」
樹三郎の声音が強さを増した。
「その後も唯一、絶対に語り継がれていることがある。それは、徳川の世は十五代将軍をもって終わるということだ。」
樹之助が顔をあげる。
様々なことを教わってきた父の言葉だが、それは初めて聞くことだった。
「樹之助、当世将軍家茂公は何代目だ?」
「じゅ…十四代目…」
「そうだ。家茂公はご病弱。いつ退任されてもおかしくない。とうことはつまり...」
「時代の変わり目が...すぐそこに...」
「そうだ。恐らく残された家伝で我らが関与できる歴史はこれが最後だ。その時、石川ゴエモンを継いでいるのはお前だ、樹之助!」
樹之助は事の重大さに震える思いだった。
そんな、歴史の転換点で、自分はどの正義を守ってどう動けばいいのか、見当もつかない。
「それなら、なおのこと、父ちゃんも一緒に...」
そう縋る樹之助に、樹三郎はゆっくり首を振る。
「樹之助。今回のことが無くとも、もう俺の時代は終わったんだ。新しい世の中は、新しい世代が作らねばならぬ。」
樹三郎は樹之助の手を力強く握った。
「……俺が正心を破ってまで守ったもの、分かるか?」
樹之助は息を呑み小さく首を振る。
「……お前だ。」
樹三郎が強い眼差しで真っ直ぐ樹之助を見据えた。
「お前が私怨に囚われず、歴史と向き合えるようにするためだ。」
樹之助の胸がじんわりと熱を帯びた。
「頼むぞ息子よ。お前がどんな時代を切り開くか、楽しみにしている。」
そう言うと樹三郎は奥の袋から何かを取り出し、樹之助の前に置いた。
「……これは?」
「先祖伝来の千子村正の脇差しだ。織田信長から賜ったとも言われている。」
鞘から抜いた短刀は静かに鈍い光を放っていた。
「樹之助、石川ゴエモン…お前に繋ぐぞ!」
父から子へ。
風は、確かに受け継がれた。




