第17話 女狐
樹之助はソロソロと神社の階段を上がる。
ところどころ朽ち果てていて、注意しないと踏み抜いてしまいそうだ。
あたりは薄暗くなってきていた。
本殿の扉に錠前はかかっていない。
樹之助は、そっと戸を押し開ける。
「ギギ~」
戸の軋む音が響く。
中を窺う。
薄暗くよく見えないが、人気は無さそうだった。
樹之助はそっと足を踏み入れる。
神社というには、殺風景だった。
正面に御神体を祭る祭壇があるが、御神体らしきものも見当たらない。
代わりに、大きな鏡があった。
(変わった造りだな...)
京で数多の神社仏閣を見てきた樹之助には、ここがそうした所と異質な雰囲気を感じていた。
右手奥に扉が見えた。
戸を開けてみると、渡り廊下になっている。
樹之助はゆっくり進んだ。
やがて行き着いた先にまた扉。
それも開け中に入る。
そこは集会所のような広間になっていた。
真ん中に大きな囲炉裏の跡がある。
それ以外は目立った物もない。
左手に外への扉がある。
一応扉を開け外の様子を確認する。
階段の外に、井戸が見える程度で、後は草木に覆われ気になる物は見当たらない。
辺りはとっぷりと日が暮れていた。
(とても今から人里までは辿り着けないな)
樹之助はここで夜明かしすることを決めた。
「ここが“平成の里”なのか?」
思わず口からこぼれる。
「ま、とうに廃れたということは聞いていたけど...」
そう言いながら改めて集会所の中を見回す。
「ここに大勢集っていたことも有ったんだな...」
時の移り変わりを感じる。
樹之助は名張の茶屋で求めた団子と干し柿を革袋から取り出す。
(明日ここを出てもすぐに人里に行けそうもないから、一つは明日の朝飯にしよう。)
そう思い、干し柿を袋に戻した。
ー真夜中
初夏とはいえ山中の夜気は冷える。
樹之助は身震いして目が覚めた。
破れた壁板の間から見える外の感じでは、まだ夜は明けていない。
「さみぃ...、寝たら死ぬんじゃないか?」
そう呟きながらも、樹之助は体を丸め、手であちこち擦っている。
それでも耐えられない。
(ダメだ、囲炉裏で何か燃やそう)
外に枯れ木でも拾いに行こうと思い体を起こす。
その時、外への扉が音も無く開いた。
「えっ」
樹之助は驚き開いた扉を凝視している。
すると真っ白い着物を着た女が一人湧き出るように現れた。
樹之助は驚き目を見開いている。
女は夜気とともに一歩ずつ近づいてくる。
それが数歩近づいた時、二人になった。
「!!」
樹之助には訳がわからない。
だが、近づいてくるにつれ、女の顔がよく見えてきた。
女の顔は細長く、黒く長い髪に赤く光る眼をしている。
「狐憑き...」
樹之助にはその顔が人というより狐が憑依した姿に見えた。
更に近づくと、女は三人になった。
樹之助は固まって動けないでいる。
もう手を伸ばせば触れられる距離になった。
樹之助の視線は着物の裾から見える女の白い脛に釘付けになった。
(小夜...)
ほんの一瞬、小夜の白い柔肌が思い出された。
一夜の甘い記憶が脳裏を掠める。
我に返った時、女狐の顔が目の前あった。
驚き飛びのこうとするが、体が動かない。
女狐の唇が樹之助のそれに重なろうとした時、樹之助の鼻腔に微かな甘い香りが流れ込んできた。
(これは!)
樹之助は、渾身の力を振り絞り、やっとの思いで右手を動かすと、懐に入れていた苦無を握り、自らの左腕に突き刺した。
その樹之助の行動に、女狐たちは動きを止めている。
「いってぇ!!」
そう叫びながら、樹之助は自らの頬を張る。
「あぶねぇ!あの夜を経験してなかったら、お前らの術中にハマるところだったぜ。」
樹之助が微かに感じた甘い香り。
あの三宅邸襲撃の時嗅いだ匂いと似ていた。。
あの時はもっと強烈で、鼻の奥が痛くなるほどだったが、今回は仄かに薫る程度。
その分、術に気付かないうちに意識を奪われるのだろう。
痛みで必死に覚醒を試みる樹之助。
「お前ら女狐なんかじゃねぇな。」
そう言いながら、唯一動く右手に苦無を握りしめ、必死で防御姿勢を取る樹之助は、何故かわからないが笑えて来た。
女狐は怪訝そうに様子を窺っている。
「お前ら…」
樹之助は無意識に舌なめずりした。
「忍びなんだろう?」
樹之助は身に迫る危機より、自分以外の忍びに初めて出会った喜びに打ち震えていた。




