第13話 薄紫の朝
夜明け前、東の空が少し薄紫になりかけた頃。
樹之助は小夜を起こさないようそっと臥所を出る。
音を立てないよう階下に降り、玄関脇の小部屋にお滝の姿を見つけた。
樹之助が近づくと、お滝は煙管の煙をくゆらせながら、こちらを見もせずボソっと呟いた。
「…また一つ、夜の花が咲いたね。」
樹之助はお滝に思いをぶつけた。
「お滝さん、俺、ここに50両持ってる。これで小夜を落籍せることできないか?」
お滝は樹之助の方に振り向きもせず、クックと声も無く笑い出した。
「足りないのか?なら、俺もっと稼いで...」
「馬鹿言ってんじゃないよ!」
お滝が振り向き鋭い目つきでピシャリと言い切った。
「金は足りるよ。だけどあんた、家はあるのかい?仕事は?まさか落籍せるだけ落籍せて、あとは知らんぷりってわけじゃないだろうね。」
厳しい言葉で現実を突きつけるお滝。
「犬や猫じゃないんだ。落籍せる方にもしっかりした甲斐性ってもんがなけりゃ、女はかえって不幸になるんだよ。」
樹之助は自分の浅はかな考えを思い知らされる。
「あんたのように、初めて女を知った坊やが、イレ込むとロクなことがないんだよ。この界隈じゃそんな男どもが女を刺したり刺されたり、日常茶飯事さ。」
恥じ入っている樹之助の様子をみて、お滝は少し声音を落として続ける。
「いいかい。女を落籍せるってことは、女の人生を引き受けるってことだ。おまえさん、まだ自分が何者で、これから何を為すかもわかっていないんだろう?そんな男に大事なうちの娘をやれやしないよ。」
・・・・
「ここにいれば、とりあえず飯と寝床は保証されるんだ。あんたが引き取って野ざらしにするよりずっとマシってもんだろう。」
樹之助は声も出ない。
「あの娘が自分で選んだ道なんだ。見守っておやり。」
(あんたの父親のようにね...)
お滝は言いかけた言葉を飲み込んだ。
お滝に見送られ、樹之助はまだ薄暗い通りに出た。
小夜の焚いた香の残り香が、樹之助の体から漂っていた。
(俺はまず親父とのことに決着をつけよう)
樹之助は走った。
自分が何者かも分からぬまま、薄紫の朝焼けの都大路を全力で駆け抜けていった。




