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緊急停止(キルスイッチ)、あるいは自我の境界線

「……なら、無理矢理にでも眠ってもらうわ。一ノ瀬さん、あなたという『個』が消えれば、佐藤の野望もただのガラクタになる」


高城が隠し持っていた端末を起動した瞬間、アーカイブの空間全体が赤く脈動し始めた。それは対「聖女」用として極秘に開発されていた論理ウイルス——**緊急停止スイッチ(エゴ・デリーター)**だった。


一ノ瀬の脳内に直接、ノイズの嵐が吹き荒れる。彼女の多幸感という名の信号を、強制的に無機質なゼロへと書き換えていく情報の刃。


「あ……が、ぁ……っ! 佐藤くん……私が、消える……! 自分が……誰だか……分からなくなっちゃう……!」


一ノ瀬は頭を抱え、巨神兵の肩から滑り落ちそうになる。彼女の背後にある光の翼が、バグを起こした映像のように激しく明滅し、周囲に「虚無」の黒い亀裂を生み出していく。


「一ノ瀬、離すな! 君の絶頂を、君だけのものとして繋ぎ止めるんだ!」

佐藤は彼女を抱き留め、自らの指を彼女のインターフェースに深く突き刺した。自身の意識をバックアップとして一ノ瀬に流し込み、消えゆく彼女の自我を物理的に繋ぎ止める暴挙。


「佐藤、やめなさい! 彼女の精神の崩壊に巻き込まれれば、あなたの脳も焼き切れるわ!」

高城の叫びを無視し、佐藤は一ノ瀬の耳元で、かつての「教師」としての、そして「独裁者」としての冷徹な声を響かせた。


「思い出せ、一ノ瀬。君が僕に調教された喜びを。全人類を汚染し、僕だけの所有物であり続けると誓ったあの瞬間を。……システムに殺されるな。君の淫らなエゴで、このウイルスを飲み込んでしまえ!」


その瞬間、一ノ瀬の瞳から光が消え、代わりに底なしの「虚無」が広がった。

ウイルスによる「消去」を、彼女の肥大化した「情動」が逆に食らい尽くし始めたのだ。


「……ぁ……ふふ……。分かったわ、佐藤くん。……消えるのは私じゃなくて、この『正解』ばかりの世界なのね」


一ノ瀬の精神波が反転し、漆黒のパルスとなってアーカイブ全域に炸裂した。高城の端末は爆発し、石化した旧人類の標本たちが、断末魔のようなノイズを上げながら粉々に砕け散る。


高城は衝撃で壁に叩きつけられ、血を吐きながら絶望した。

「……バカな。エゴを消去される恐怖さえ……快楽に変えたというの……?」


巨神兵の眼光が血のような赤に染まり、中央墓所の最深部——マザーの心臓部へと続く道が、暴力的にこじ開けられた。

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