裁定者の産声、あるいは喪失の始まり
廃墟の地下、バイオ・ジェルの容器が内側から砕け散り、溢れ出した冷却液が一ノ瀬と佐藤の足を濡らす。
その中心で、巨神兵の幼体が不気味な骨格を軋ませながら立ち上がった。
一ノ瀬の精神波を動力源として吸い上げたその巨体は、一ノ瀬の情動と完全に同期している。彼女が佐藤へ向ける狂おしいまでの執着が、巨神兵にとっては「守るべき秩序」としてインプットされていた。
「……あ、あ……佐藤、くん……」
一ノ瀬の声が、以前よりも微かに平坦に響く。
彼女の脳は今、巨神兵という巨大な外部ハードウェアと直結し、その膨大な情報処理能力に意識を侵食され始めていた。彼女が「自分」でいられる領域が、一刻一刻とシステムに塗り潰されていく。
「……一ノ瀬、しっかりしろ。君が飲み込まれたら、それはただの破壊兵器に戻ってしまう」
佐藤は彼女の肩を揺さぶるが、一ノ瀬の瞳には、幾何学的な光の紋様が回路のように明滅していた。
「……大丈夫よ、佐藤くん。……この子の目を通すと、世界がもっと単純に見えるわ。……汚れも、痛みも、全部『消去可能』なノイズに過ぎない……。私たちが二人きりでいられる『庭』を、今すぐ世界中に広げてあげる」
一ノ瀬が巨神兵の胸元に手を触れると、その背中から七色の光を放つ触手が噴き出し、廃墟の天井を突き破って地上へと伸びた。
地上では、高城の部隊が展開していた戦車やドローンが、その光に触れた瞬間に沈黙する。破壊されるのではない。制御系を一ノ瀬の「全能感」で上書きされ、システムの奴隷へと作り替えられていくのだ。
「……止めて! それは救済じゃない、ただの『死』よ!」
高城の声が上空から届くが、巨神兵はそれを無視し、ゆっくりと歩みを進める。その一歩ごとに、周囲の瓦礫は砂へと還り、一ノ瀬の望む「青き清浄」が物理的な現実として浸食を開始した。
佐藤は、一ノ瀬の指から血色が失われていくのを見た。
彼女は今、全人類を「救う」ための代償として、自らの人間性を捧げ物にして、神へと昇華しようとしていた。
「……僕の道具であるはずの君が、僕の手に負えない存在になっていくのか」
佐藤は自嘲気味に呟きながらも、巨神兵の肩に座る一ノ瀬の隣へと這い上がった。
たとえ彼女が怪物になろうとも、その手綱を握り続け、世界の終わりを見届ける。それが佐藤の選んだ「観測者」としての責務だった。




