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粘菌の胎動、あるいは神経系の反乱

世界OSの「キル・スイッチ」は無残にも瓦解した。

高城が放った停止信号を糧にするように、一ノ瀬の情動データはバイナリの壁を食い破り、自己増殖を開始していた。


「……佐藤くん、頭が熱い……。世界中の人の『気持ちいい』が、私の背骨に逆流してくる……!」


一ノ瀬の悲鳴は、物理的な音を超えてラボのスピーカーを破壊し、ネットワークに繋がった全ての端末から「白いノイズ」を吐き出させた。

一ノ瀬の脳波が、世界OSの全ノードを中継局として増幅され、全人類の報酬系へ無差別の、かつ致死的なレベルの「強制発情信号」を送り込み始めたのだ。


それは、かつての腐海が粘菌の暴走によって全てを飲み込もうとした姿の、デジタル版だった。

都市機能は瞬時に麻痺した。交通管制を担うオペレーターも、治安維持に当たる警官も、一ノ瀬の波形に脳を焼かれ、その場で法悦の表情を浮かべて崩れ落ちる。


「……これだ。高城、君が見たかった『人間の本性』だよ」


佐藤は、爆発的な情報の負荷で火花を散らすコンソールを、愛おしそうに見つめていた。

「理性というメッキが、一ノ瀬の熱で剥がされていく。……見てみろ。街中で人々が、服を脱ぎ捨て、ただ互いの体温だけを求めて重なり合っている。……醜く、そして何よりも美しい光景だと思わないか?」


「佐藤……あんた、正気じゃないわ……!」

高城は床に這いつくばり、自身の脳を侵食しようとする一ノ瀬の波形に必死で抗っていた。彼女の鼻からは一筋の血が流れている。強すぎる多幸感は、もはや脳細胞を直接物理的に焼き切る「毒」へと変貌していた。


一ノ瀬の情動は、もはや彼女個人の意志を離れ、ネットワークという「培養液」の中で自律的に増殖する怪物(粘菌)と化していた。


「……一ノ瀬。苦しいだろう。……でも、君がこの『熱』を受け入れれば、世界は完全に一つになれる」

佐藤は、過負荷で白濁したポッドの液面に手を浸し、限界を超えて痙攣する一ノ瀬の頬を優しく撫でた。


「……佐藤くん……私を……私を、壊して……。……このままじゃ、私、……世界そのものになって……消えちゃう……」


一ノ瀬の意識が融解していく。

その背後のモニターには、世界OSの最深部――今まで誰もアクセスできなかった隠しディレクトリ[MAUSOLEUM(墓所)]の扉が、粘菌のようなデータに侵食され、ゆっくりと開き始める様子が映し出されていた。

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