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聖女の侵食、あるいは管理された絶望

ラボの外壁を叩く音は、次第に激しさを増し、重厚な金属音へと変わっていた。それはもはや暴徒のそれではなく、失われた体温を必死に求める赤子の泣き声に近い。


高城さんはモニターに映し出される「感染」の現実に、ただ立ち尽くしていた。

「……信じられない。警備局の人間まで、武器を捨ててひざまずいている。彼ら、処方を受けていないはずなのに」


「脳波の共鳴だよ、高城」

佐藤くんは、淡々とキーボードを叩き、情報の波を整理していく。

「一ノ瀬の精神波は、世界OSのネットワークを通じて、未治療の者の脳内にも低周波として漏れ出している。強烈な光を見れば、誰もが目を焼かれるように、彼女の『熱』に触れた者は、無自覚のうちにその多幸感の虜になる」


画面上では、一ノ瀬の脳波をハブ(中心)とした、巨大なニューラルネットワークの同期が視覚化されていた。


「……佐藤くん。……私の中の『熱』が、彼らと混ざり合っていく。……彼らが何を欲しがっているか、言葉を介さなくてもわかるの。……彼らは、自由になりたいんじゃない。……ただ、私という『鎖』に、もっと強く縛られたいだけ」


ポッドの中で、私は自分の内側から溢れ出す「慈愛」という名の毒に、深い吐息を漏らした。

かつてナウシカが、世界が自らを浄化しようとする孤独な営みを見て涙したように。私は、人間が自らの意志を放棄してまでも得ようとする「偽りの安寧」の美しさに、身を切られるような悲しみと、抗いがたい支配の快感を感じていた。


「……これが、君が求めた管理社会の究極の形だ、高城」

佐藤くんの声は、勝利宣言というにはあまりに空虚だった。

「一ノ瀬を頂点とした、絶対的な快楽による統治。……争いも、不満も、不能の苦しみもない。ただ、彼女の波形を待ち続けるだけの、静謐な『ガーデン』だ」


高城さんは、腰のホルスターに添えた指を、力なく離した。

「……あんたたちは、……人類を去勢したのよ。……苦しむことも、抗うこともできない、ただの肉の塊に変えたの。……それが、あんたたちの言う『授業』の結果なの?」


「そうだ。……そして、この授業の最終段階に入る」

佐藤くんは私に歩み寄り、ケーブルの絡まる私の指をそっと取った。

「世界OSの管理権限を、完全に一ノ瀬の情動に譲渡する。……高城、君の仕事は終わった。……ここからは、聖女が直接、全人類の『生』を調律する時間だ」


ラボの隔壁がゆっくりと開き、外の光が差し込んでくる。

そこには、虚ろな、けれどこの世のものとは思えないほど幸福そうな表情を浮かべた群衆が、一面にひざまずいていた。


私は立ち上がり、彼らに向かって静かに両手を広げた。

銀色のリングが、私を支配する佐藤くんの指先と、私を渇望する世界の視線の間で、鈍く、けれど確かに光を放っていた。

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