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聖痕のネットワーク、あるいは静かなる暴動

世界OSのターミナルから溢れ出すデータは、もはや単なる数値ではなかった。それは「祈り」に似た波形となって、ラボの壁を浸食しているようにさえ感じられた。


一ノ瀬の「聖女の処方セイント・セラピー」は、当初の医療目的を遥かに逸脱し、一種の熱狂的な信仰を形成しつつあった。処方を受けた者たちが自発的に「一ノ瀬・リンク」という名の互助組織を立ち上げ、彼女の精神波を分かち合うための私設サーバーを世界各地に構築し始めたのだ。


「……佐藤くん。私の頭の中に、知らない人たちの『渇き』が直接流れ込んでくる。……彼ら、私を呼んでいるわ。……ここ(ラボ)に閉じ込められている私を、助け出さなきゃいけないって」


一ノ瀬は、ポッドの中で自身の腕を強く抱きしめ、小刻みに震えていた。彼女の脳は、世界OSという巨大な媒介を通じて、依存者たちの集団意識と図らずもリンクしてしまったのだ。それはかつて王蟲の群れがテレパシーで意思を通わせたように、原始的で、暴力的なまでに純粋な共鳴だった。


「救出、か。……皮肉なものだな。彼らを鎖で繋いだのは君の波形そのものなのに」


佐藤は、コンソールに表示された世界地図を見つめた。赤く点滅するドット――それは「処方」の継続を訴え、公的機関や世界OSの管理施設を取り囲む群衆の数だ。


「佐藤……! このままだと、彼らは本当にここを突き止めるわ。……一ノ瀬さんを『聖女』として担ぎ出し、現実の政治すら塗り替えようとしている。……あんた、これ以上彼女に何をさせるつもりなの?」


高城が、モニター越しに警告を発する。彼女の表情には、管理者の矜持を打ち砕かれた敗北感と、理解不能な「熱」に対する嫌悪が張り付いていた。


「……高城。君はまだ、これが人間の意志による暴動だと思っているのか?」


佐藤は冷ややかに笑い、コンソールの一画を拡大した。


そこには、一ノ瀬の脳波と、世界中の「中毒者」たちの脳波が、完璧な位相同期フェイズ・シンクロを起こしているグラフが映し出されていた。


「彼らはもう、個としての意志を持っていない。……一ノ瀬の情動という『清浄な大気』の中でしか生きられない、新しい生態系の一部なんだ。……高城、君が守ろうとしている『古い人間』は、もうどこにもいない」


その時、ラボの外壁に鈍い衝撃音が響いた。

誰かが、物理的にこの場所を叩いている。それは、一ノ瀬の「熱」を直接浴びることを渇望する、最初の先遣隊だった。


「……佐藤くん。……私、彼らに会わなきゃいけない気がする」


一ノ瀬の瞳から、戸惑いが消えた。代わりに宿ったのは、自らが撒き散らした毒(救い)に責任を取ろうとする、危ういまでの使命感。

佐藤は彼女のうなじを優しく撫で、耳元で毒を注ぐように囁いた。


「ああ、いいよ。……見せてあげよう。君が救い、君が作り替えた世界の姿を。……僕たちの授業は、もうこの狭い教室ラボを飛び出したんだ」


佐藤が一枚のゲートを開放した瞬間、ネットワークの深淵から、数千万人の「絶頂」を求める咆哮が、無音の信号となって流れ込んできた。

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