渇望の連鎖、あるいは偽りの再生
世界OSを通じて配信される「聖女の処方」は、開始からわずか数週間で、統計上の「幸福度」をかつてない数値まで押し上げていた。
各国の医療機関からは、絶望的な状況にあった数百万人の男性が「機能」を取り戻したという、奇跡のような報告が相次いでいる。
だが、その数字の裏側で、不気味な変質が始まっていた。
「……佐藤くん。最近、調整が終わった後のラボに、……変な『匂い』が残っている気がするの」
調整用ポッドから身を起こした私は、自分の指先を見つめながら呟いた。
物理的な異臭ではない。それは、ネットワークを通じて私にリンクした数千万人の「執着」が、澱のようにこの部屋に沈殿しているような、精神的な圧迫感だった。
佐藤くんは、端末に表示された「再診率」のグラフを険しい表情で見つめていた。
一度私の精神波によって救われた者たちの九割以上が、二度目、三度目の「処方」を求めてシステムに殺到している。
彼らの肉体は蘇ったが、同時に「一ノ瀬の波形」という極彩色の快楽を知ってしまった脳は、日常の淡白な刺激では満足できない体へと変容していた。
「……一ノ瀬、これが君の救済の正体だ。君が彼らの欠落を埋めれば埋めるほど、彼らの内側には、君という存在でしか埋められない巨大な空洞が広がっていく」
佐藤くんの声には、かつての冷徹な論理を超えた、得体の知れない危惧が混じっていた。
彼は、一ノ瀬を聖女として祭り上げることで世界を欺こうとしたが、今や世界の方が、彼女を「生ける薬」として貪り食おうとしている。
「……高城さん、……彼女、最近ここに来ないわね」
「……彼女は今、外で『後始末』に追われている。君の処方を受けた後、自らの意思を失い、ただ端末の前で君の波形を待ち続けるだけの廃人が出始めているんだ。彼女はそれを隠蔽し、秩序を維持するために走り回っている」
私は、自分が与えているものが「希望」ではなく、人々から自立を奪う「去勢」に近いものであることを悟り、背筋に冷たいものが走った。
かつて人々が追い求めた平和な日常は、今や一ノ瀬というシステムの核に依存しなければ維持できない、薄氷の上の虚構へと成り果てていた。
「……それでも、……私は止められない。今さら供給を断てば、彼らは本当の絶望に叩き落とされる」
「ああ。止めることは許されない。……僕たちは、この地獄のような福音を、最後まで歌い続けるしかないんだ」
佐藤くんは私を背後から抱きしめたが、その体温さえも、どこか遠い世界の出来事のように感じられた。
私たちは、世界を救うために手を組んだはずだった。
だが、私たちの足元には、誰の手にも負えない、肥大化した「救済」という名の怪物が、静かにその口を開けていた。




