密室の補習、あるいは不実な沈黙
高城さんやスタッフたちが退室し、重厚な気密扉が不快な金属音を立ててロックされた。
世界OSの稼働音だけが、低い地鳴りのように響く深夜のラボ。
私は、先ほどまで演じていた「従順な聖女」の面影を脱ぎ捨て、調整用ポッドの端に腰を下ろして、長く重いため息をついた。
「……疲れた。……佐藤くん、……あんな言い方、……本当に冷たすぎるわ」
私はわざとらしく、指先の銀色のリングを彼に見せつけるようにして、唇を尖らせた。
佐藤くんは、白衣の袖を捲り上げ、端末のログを整理していた手を止めると、眼鏡の奥の瞳に、ようやく私だけに向ける「個」の熱を宿した。
「……すまない。……周囲のセンサーを欺くためには、……あれが最適解なんだ」
彼は歩み寄り、私の目の前で立ち止まると、その大きな掌を、私の頬に躊躇いがちに添えた。
日中、あんなにも冷酷に私を「検体」として扱っていたその手が、今は熱を持って、私の肌の柔らかな質感を確かめている。
この温度の差こそが、私たちが共有している「秘密」の深さであり、世界を騙し続けているという背徳の証だった。
「……一ノ瀬、……今日の数値は、……本当に良かったよ。……僕を、……あんなに不安にさせたのに」
「……当たり前じゃない。……だって、……あなたがずっと、……私を叱るような目で見ているから」
私は、彼の腰に腕を回し、その白衣の裾を強く握りしめた。
公的な記録の上では、これは「被験者の精神安定のための接触」として処理されている。
けれど、私たちの間にあるのは、そんな無機質な理由ではなく、ただ互いの存在がなければ呼吸すらままならないという、歪な契約だった。
佐藤くんは、私の髪をゆっくりと、慈しむように撫で下ろし、その耳元で、日中の冷徹な口調とは正反対の、甘く、壊れそうな囁きを漏らした。
「……世界には、……僕たちがこうして、……一つの椅子に寄り添っていることすら、……隠し通さなければならない」
私たちは、この薄暗いラボという場所を、放課後の教室のように扱い、外の世界の規律から逃避していた。
彼が私に教えるのは、世界の救い方ではなく、私をいかにして彼の色に染め上げ、誰の手も届かない場所へ隠匿するかという、不実な「授業」だ。
私は彼の首筋に顔を寄せ、微かに漂う薬品の匂いと、彼自身の体温を吸い込み、人知れず微かな震えを漏らした。
「……ねえ、佐藤くん。……もし、……バレてしまったら、……どうするの?」
「……その時は、……僕の全権限を使って、……世界中の記憶から、……僕たちという存在を、……消去するだけだ」
彼の言葉は、あまりにも重く、そして甘美な破滅の予感を孕んでいた。
私たちは、自分たちの関係を維持するためだけに、世界の記憶すらも改竄する覚悟を決めている。
静まり返ったラボの中で、モニターの明滅だけが、私たちの影を一つの歪な形に繋ぎ止めていた。
「……さあ、……補習を続けよう、一ノ瀬。……誰にも見つからない、……僕たちだけの時間を」
佐藤くんの唇が、私の額にゆっくりと降りてくる。
それは、明日の朝には再び「他人」を演じなければならない、孤独な共犯者たちの、切実な誓いだった。




