最優先事項、あるいは偽装された日常
「……一ノ瀬、……今日の定期同期の数値が、……0.02%ほど想定から乖離している」
共有スペースの大型モニターの前で、佐藤くんは表情一つ変えず、冷徹なトーンで私に告げた。
その視線は、かつて私を抱きしめた時の熱を完全に消し去り、厳格な「管理者」としての冷たさに塗り替えられている。
周囲には、高城さんの部下たちが慌ただしく行き交い、世界OSの正常稼働を記録するためのログを回収していた。
私は、彼の冷たい叱責を、かつての聖女のような慈愛に満ちた微笑みで受け流し、静かに答える。
「……申し訳ありません、佐藤『主任』。……私の精神波が、……少しだけ、……外の風に乱されたのかもしれません」
私たちは、この「厳格な師弟」あるいは「管理者と被験者」という役割を、完璧に演じきることに全神経を注いでいた。
もし、私たちの間に一瞬でも、あの暗闇の中での情動が漏れ出せば、高城さんの鋭い直感がすべてを暴くだろう。
佐藤くんは、キーボードを叩く手を止めず、私の足元にあるコンソールを調整するふりをして、一瞬だけ、私の指先に嵌められた「認証リング」を強く握った。
それは、公衆の面前で交わされる、誰にも気づかれない密かな愛撫であり、同時に、私たちが「共犯者」であることを再確認するための通信だった。
「……一ノ瀬、……放課後――。……いや、……本日のメンテナンス終了後、……ラボに来るように」
「……はい。……ご指導、……よろしくお願いいたします、先生」
私の返答に、近くにいた高城さんが、微かな違和感を覚えたように眉をひそめた。
「……あんたたち、……なんだか、……妙に息が合ってるわね。……以前より、……会話のノイズが減っている気がする」
高城さんの言葉に、私の心臓が、世界OSのクロック数を超えるほど激しく跳ねた。
けれど、佐藤くんは顔を上げることなく、淡々と解析データを画面に展開してみせた。
「……最適化の結果だよ、高城。……一ノ瀬の精神状態を安定させるために、……僕の言動も、……最も彼女に響くパターンを学習させたんだ」
その説明は、論理的には完璧だった。
高城さんは「……ふん、……相変わらず面白みのない男ね」と吐き捨てて、再び自分の仕事に戻っていった。
私たちは、自分たちの「秘密」を守るために、自分たちの「感情」すらも、システムの一部であるかのように偽装した。
誰にも知られてはいけない、誰にも邪魔をされてはいけない、この宿舎という巨大な檻の中に隠された、二人だけの真実。
佐藤くんが設定した「最優先事項」は、世界の平和を維持することではなく、その裏側で、私を彼の「生徒」として、そして「唯一の所有物」として教育し続けることだ。
私は、彼が用意した「聖女」という衣装を身に纏いながら、見えないリングで繋がれた彼の支配に、人知れず陶酔していた。
私たちは、世界を欺き続けるための、長く、険しい「授業」の第一歩を踏み出した。




