モスクワ、編集室
「素材はある」
カセットテープの山を前にして、レフは独り言のように呟いた。ルビャンカ地下3階の解析室は、夜になると機械音だけが残る。蛍光灯の白い光の下で、医務室から持ち帰ったテープが6本、机の上に並んでいた。
そしてもう1つの机の上に、金属プレートを作った工程書があった。3カ月かけて設計した書類。すべて、後日どこかの分析官がプレートを検査したときに、間違いなく「アメリカ製と一致する」という結論に辿り着くように、逆算して作られていた。
偽物を、偽物と見破れないように作るのではない。
「本物として通用する物理的条件を、素材から刻印までのすべての層で満たす偽物」を作る。
それが、レフが4カ月かけて設計した犯罪の第1層だった。
第2層は、これから作る音声だった。
レフは棚から、備蓄されていた磁気テープを1本取り出した。1984年製造のアグファ社のオープンリール。KGBが西側から輸入したものが、記録倉庫に残っていた。素材分析にかけられれば、磁性体の組成、結合剤の配合、コーティング層の厚さ――それらの化学的な指紋によって、製造年代が1980年代前半の素材と整合すると判定される。
彼はイヤフォンを差し込み、医務室から持ち帰った最初のカセットを回した。ノイズ。最初の1分は、マイクがオンになっているだけだった。背景音、遠くの足音、無線の断片、誰かの咳、金属扉の開閉音。発電所事故直後の混乱そのものが、磁気テープに粗く焼き付いていた。
使える。本物の空気。本物の反響。本物の時間。本物の恐怖。
偽物を本物に見せるには、本物の中に埋めるのが最もいい。
彼はまず、古い英語教育用テープから男性の声を抜き出した。発音が軍人風に硬く、母音が潰れ、命令文に向いている声。次にKGBの訓練教材から、英語を話すソ連工作員の録音を選んだ。足りない部分は、自分で吹き込んだ。英語の発音は、モスクワ大学時代に鍛えた。声を濁らせ、反響を重ねれば、専門家の耳でさえ迷う。
必要なのは、本物の声ではない。本物だと判断したくなる構造だった。
そしてもう1つ。デジタル編集の痕跡を残さないこと。1990年時点、音声の真贋を疑う際に分析される痕跡は、主にアナログ的な物理現象――テープの継ぎ目、磁気の不均一、周波数スペクトルの不自然な断絶――だった。それを避けるには、アナログのオープンリールで多重録音するしかない。時間はかかる。しかし物理的な編集痕は残らない。
レフは音を切り貼りした。声を濁らせ、低域を削り、背後に金属音を重ねた。無線の途切れを入れた。医務室の本物の混乱音の中へ、存在しない命令を沈めた。
「フェーズ2は完了した。発信機は作動を確認した。タイムラインに変更はない」
そして、英語。
「確認した。Scorched Earth、作戦を続行しろ。3分で完了する」
コードネームがテープの中に存在するように聞こえる。もちろん、それは今この瞬間、レフの手で作り出された。世界のどこにも存在しなかった作戦名が、今、1本のオープンリールの中に埋め込まれた。
レフは立ち上がり、窓に向かった。モスクワの雨が、ガラスを叩いていた。ルビャンカ広場が見えた。ジェルジンスキー像が、濡れた石の上に立っていた。手にはまだ、有刺鉄線で切った傷が残っていた。
アーニャ。俺は、お前を殺した連中を見つけたわけではない。そもそも、お前を殺した連中は、存在しなかった。だが世界には、存在したことにしてもらう。
その一線を、今日、越えた。




