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物理的均衡の崩壊

扉を開けた瞬間の私の目に飛び込んできたのは、想像を絶する光景だった。


床にぶちまけられた「業務用液体石鹸」の原液。

それは、私が想像していたよりも遥かに滑らかで、無慈悲な罠として機能していた。


「あ――」


私が声を上げたときには、既に重心は宇宙に投げ出されたかのように自由を失っていた。


「危ない、一ノ瀬……っ!」


佐藤くんが反射的に私を抱きとめようと、石鹸の海へ飛び込んでくる。


けれど、彼の足元もまた、私が与えた滋養強壮ドリンクによる「異常な発汗」で、既にグリップを失っていた。


衝突。


重力に従い、私たちは絡み合うようにして床へ叩きつけられた。


「……っ、ぐあ……っ!」


佐藤くんの呻き声が、至近距離で私の耳を打つ。


さらに最悪な物理現象が起きた。

倒れ込んだ衝撃で、佐藤くんの腕時計の金属ベルトが、私のブラウスのボタンの間に見事に食い込んだのだ。


「待って、佐藤くん、動かないで……っ。リボンが……」


「……っ、一ノ瀬、……離れろ、……今すぐ離れ……っ!」


焦った彼が体を離そうと動くたび、私のブラウスは悲鳴を上げ、パチン、という音と共にボタンが弾け飛んだ。


石鹸の泡が、露出した私の鎖骨から胸元へと滑り込む。


さらに、彼のベルトは先ほどの腹痛による緊急避難で外されたままだった。

密着した拍子に彼のズボンが大きくずり落ち、私の太ももには、彼が必死に隠し持っていた「熱」が、下着一枚を隔ててダイレクトに突き立てられる。


「……ぁ……っ、……ぁ……っ、……だめだ、……一ノ瀬……っ!」


佐藤くんの瞳孔が、恐怖に似た悦楽でカッと見開かれた。


目の前には、はだけたブラウスから覗く私の肌。

手元には、逃れようのない柔らかな感触。

そして股間には、人生で最も激しい、物理的な「一ノ瀬凛」という情報の奔流。


「ちょっと、一ノ瀬凛! 何やってんのよあんたたち! そこ、離れなさいよ!」


バケツを被って転倒していた高城さんが、ようやく顔を上げて絶叫した。

けれど、佐藤くんはもう、高城さんの声すら届かない領域へ墜ちていた。


彼の全身が、高電圧の電流を流されたかのように激しく、小刻みに震え始める。

石鹸の匂いの中に、混じりけのない「生命」の匂いが、爆発的な勢いで混ざり合っていく。


「……っ、あああ……っ! 回路が……、……焼き切れる……ッ!」


彼は私の肩に顔を埋め、理性の断末魔のような声を漏らした。


私には分かった。

彼は今、この至近距離での「不慮の密着」という、人知を超えた情報の前に、これまで積み上げてきたすべての修行を無に帰そうとしている。


私は、泡まみれの彼の背中に手を回しながら、彼が私という「毒」の真髄を、最も残酷な形で摂取させられていることに、深い同情を禁じ得なかった。

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