論理のバグ、あるいは初恋のコンパイル
高城さんからの告白以来、僕の思考回路はかつてないほど不安定な挙動を繰り返していた。
高城との未来をシミュレートしようとするたびに、なぜか僕の脳内メモリの大部分を、一ノ瀬の「どうでもいい仕草」が不法占拠してしまうのだ。
彼女が隣に座ったときの、システム上の数値では測れない微かな体温の揺らぎ。 僕を困らせようとして、結局自爆して顔を赤くしているときの、あの不器用な瞳の光。
僕はそれらを「世界OSの管理業務」というラベルを貼って誤魔化してきたが、もはやその論理は限界を迎えていた。
その夜、メインサーバーの異音を調べるために深夜の共有スペースに向かった僕は、月光の下で一人、モニターを見つめる一ノ瀬の背中を見つけた。
彼女は僕の足音に気づくと、慌てて画面を隠したが、そこには僕と高城が親しげに話しているログが、無数にクリップされていた。
「……あ、佐藤くん。……別に、監視してたわけじゃないのよ。……ただ、システムの整合性を確認してただけで……」
一ノ瀬はいつものように傲慢な口調で取り繕おうとしたが、その声は微かに震え、重力制御に失敗したかのように肩が小さく落ちていた。
認識抑制フィルターが弱まっているのか、彼女の顔には、世界を救った聖女の面影などなく、ただ大切なものを奪われるのを恐れる「一人の少女」の絶望が貼り付いていた。
その瞬間、僕の中で積み上げてきた「高城への論理的な回答」という構造体が、音を立てて崩壊した。
高城との関係は、確かに合理的で、刺激的で、僕の能力を最大限に評価してくれる理想的なパートナーシップかもしれない。
けれど、目の前で今にも泣き出しそうなこの「面倒くさい神様」を、他の誰かに委ねる自分を想像した瞬間、僕の全システムが拒絶反応を叩き出した。
彼女が他の誰かの隣で笑い、僕以外のエンジニアにその人生のデバッグを任せる。
……そんな未来は、たとえ世界が滅びるよりも、僕にとっては受け入れがたい「致命的なバグ」だった。
「……一ノ瀬。……僕は、君が思っている以上に、……度し難いエゴイストだったみたいだ」
僕は彼女の隣に座り、震えるその手を、管理者権限などではない、ただの「佐藤」という個人の意志で強く握りしめた。
「……僕が一生かけて守りたいのは、……世界の平和やシステムの安定だけじゃない。……君の、……その不器用な独占欲も、……全部僕が引き受けたいんだ」
僕の口から出た言葉は、これまでの人生で書いてきたどのコードよりも稚拙で、論理性を欠いた、むき出しの本音だった。
一ノ瀬の瞳が大きく見開かれ、その瞬間、宿舎中のライトが彼女の驚きに同期して、見たこともないような鮮やかな黄金色に輝き出した。
「……佐藤くん、……それって……。……高城さんのことは、……どうするのよ……っ」
一ノ瀬の声が涙に濡れ、僕の胸元にその顔を埋めてきた。
「……高城には、……誠実に謝るよ。……論理的には彼女が正解かもしれない。……でも、僕の心拍数が最適解だと告げているのは、……一ノ瀬、……君なんだ」
僕は、自分の腕の中に収まった彼女の小ささを感じながら、ようやく自分の「初恋」という名の巨大なバグを、正式な仕様として受け入れることができた。
僕がハックすべきだったのは世界ではなく、自分自身の、この臆病なプライドだったのだ。
物陰でその様子を見ていた高城さんは、手にしたタブレットを静かに閉じ、暗闇の中でフッと自嘲気味な笑みを漏らした。
「……全く、……あんな欠陥だらけの告白に負けるなんて、……私の論理も焼きが回ったわね」
彼女の目元が微かに潤んでいたのを、世界OSのセンサーだけが静かに記録していたが、僕はもう、それを読み解く必要を感じなかった。
今、僕の腕の中で泣きじゃくるこの少女の体温こそが、僕にとっての世界のすべてであり、唯一の「真実」なのだから。




