聖女の遠回り、あるいは非効率な誘惑
高城さんのあの潔い「敗北宣言」を目の当たりにした後で、私は自分の臆病さに激しい嫌悪感を抱いていた。
「……直接言うなんて無理。……でも、このまま指をくわえて佐藤くんを明け渡すなんて、もっと無理……っ!」
私は自室のコンソールに向かい、管理者権限をフル活用して、佐藤くんの日常を私色に染め上げるための、緻密かつ陰湿な介入計画を練り始めた。
かつて世界を跪かせた「聖女」の権限を、ただ一人の男の気を引くために浪費している自分に自己嫌悪しつつも、私は止まれなかった。
まず、佐藤くんが共有スペースのソファに座るたび、システムに命じて彼の周囲の重力を「0.1%」だけ私の方へと傾けさせた。
「……あれ、……なんだか体が、……一ノ瀬の方に吸い寄せられるな……。……地磁気の乱れか……?」
佐藤くんが首を傾げながら、無意識に私との距離を詰めるが、私はそこで愛の告白をする勇気が出せない。
代わりに「あら、奇遇ね。……佐藤くんもここが落ち着くの?」という、およそ戦時中とは思えないほど「不自然に自然な」セリフを吐き出した。
彼は「……ああ、……なんだか一ノ瀬の隣は、……気圧が安定してる気がするよ」と、極めて理系的な感想を漏らすだけで、私の意図には一ミリも気づかない。
次に、私は宿舎内のディスプレイすべてに、サブリミナル効果を用いて、私の「最高に可愛い角度」の残像をミリ秒単位で挿入し続けた。
佐藤くんがコードを読んでいる最中、画面の端に一瞬だけ私の微笑みが映り込み、彼の脳内に「一ノ瀬凛=安らぎ」という条件付けを完了させる算段だ。
しかし、佐藤くんはその異変を「致命的なバグ」と誤認し、「……一ノ瀬、……システムに深刻な視覚ノイズが混入してる! ……今すぐデバッグするから、……そこを動かないでくれ!」と、私の顔を凝視しながらコンパイルを始めてしまった。
私は、ディスプレイの光に照らされた彼の真面目すぎる横顔を、ただ恨めしげに見つめるしかなかった。
さらには、彼が眠りにつく際のリラックス・ミュージックに、私の声を極限まで加工した「癒やしのハミング」を、環境音の風の音に偽装して混ぜ込ませた。
夢の中で私に抱かれるような幻想を見せ、目覚めた瞬間に私への愛を自覚させるという、私のプライドが許すギリギリの波状攻撃。
だが翌朝、佐藤くんは寝不足の目を擦りながら、「……一ノ瀬。……昨夜、……空調ダクトから異音(不協和音)がして、……一晩中、……風の音が君の説教に聞こえて眠れなかったよ……」と、最悪の結果を報告してきた。
私の「回りくどい愛」は、高性能すぎる彼の解析能力の前で、すべて「修正すべきエラー」として処理されてしまう。
高城さんは、そんな私たちの茶番をキッチンで優雅に眺めながら、勝利者の余裕たっぷりに鼻で笑った。
「……あんたね、……世界OSまで私物化して、……やってることが小学生以下じゃない。……直接『好き』って言えば済む話でしょ?」
「……うるさいわね! ……私には、……私なりの、……聖女としての『手続き』があるのよ……っ!」
私は顔を真っ赤にして叫んだが、その足元では、システムが気を利かせて「凛の寂しさを癒やすためのスポットライト」を私一人に当て続けていた。
この時、私はまだ気づいていなかった。 私のささやかな独占欲を叶えるために、世界OSがすでに「人類の優先順位」を下げ、私一人のための演算を開始し始めていたことに。
結局、その日一日で彼が得た教訓は「一ノ瀬の周りでは物理法則が乱れる」という、恋心とは程遠い「警戒心」だけだった。
私は、高城さんの潔い勇気に改めて戦慄しながらも、次なる「もっと回りくどい」アプローチのコードを、涙目で書き込み続けるしかなかった。
「……佐藤くん。……あんたのその、……難攻不落な鈍感さだけは、……世界OSでもハックできないのね……っ」
夜の静寂の中、私の切ないため息だけが、最適化された無機質な部屋に、世界の崩壊を予感させる小さなノイズとなって響き渡っていた。




