聖女の独占欲、あるいは崩壊する余裕
佐藤くんが、高城さんの待つ場所へ向かって廊下を走り去った瞬間、私の胸の奥で何かが音を立てて砕け散った。
「……いってらっしゃい」
と送り出したはずの自分の声が、耳の奥で酷く空虚に、そして呪いのようにリフレイク(反響)する。
彼を勇気づけたはずの私の指先は、冷たくなり、コントロールを失ったかのようにガタガタと震え始めた。
世界を救ったときも、能力を失ったときも、私はいつも「三人の絆」という揺るぎない絶対空間の中にいると信じきっていた。
けれど、佐藤くんという私の世界の「中心点」が、高城さんという別の「重力」に引き寄せられた今、私の世界は急速に形を失い、崩壊を始めていた。
「……嫌だ。……行かないで、佐藤くん……っ」
私は、誰もいない廊下で、自分でも驚くほど低く、醜い声を漏らした。
私は、高城さんが彼を意識し始めたことに気づいていながら、どこかで「結局、彼は私のボディーガードなのだから」と高を括っていたのだ。
美貌で世界を跪かせた傲慢さが、能力を失った今になって、猛毒のような独占欲となって私自身の心臓を突き刺していた。
佐藤くんの視線が、私の肌を、私の言葉を、私の存在を「最優先」で処理しなくなることへの、耐えがたい恐怖。
彼が私に注いでいたあの「無自覚な献身」が、今この瞬間、高城さんのための「特別な愛」へと上書き(オーバーライト)されていく。
私は、彼を追いかけようとして一歩踏み出し、けれどその場に力なく膝をついた。
今さら追いかけて、何を言えばいい? 「私を一番に見て」と、かつての兵器のような顔で命じるつもり? システムの管理者権限を使って、二人の告白を物理的に妨害することなんて、今の私にはあまりにも容易い。
けれど、そんなことをすれば、私は世界を救った「聖女」から、ただの「惨めな掠奪者」に成り下がってしまう。
モニターに映し出す「佐藤くんの位置情報」が、高城さんのバイタルデータと重なるたび、私の脳内OSは異常なほどのエラーメッセージを吐き出し続けた。
「……私、……こんなに醜かったんだ。……世界中を賢者にしておきながら、……自分だけは、……こんなに汚い欲望にまみれて……っ」
涙が床に落ち、私の「認識抑制フィルター」が、私の激しい感情の揺れを検知して不規則に点滅を始めた。
私は、佐藤くんが私に向けてくれた数々の「救い」を思い返し、それがもう自分だけのものではないという現実に、息ができなくなった。
高城さんのあの、必死で、可愛らしく、けれど真っ直ぐな告白。 あんな風に、私も彼に「一人の女の子」として向き合うことができていたなら、今この痛みはなかったのだろうか。
宿舎の照明が、私の絶望に呼応するように、寒々しい青色へと勝手に沈み込んでいく。
世界OSは、私の悲しみを「世界の悲しみ」と勘違いし、外の世界に季節外れの冷たい雨を降らせ始めていた。
私は、自分が作り上げた「平和な世界」の真ん中で、これまでにないほどの激しい「欠乏感」に苛まれていた。
「……佐藤くん。……私を見て。……私だけを見てよ……」
届くはずのない願いを呟きながら、私はただ、システムのモニターに映る「二人のドット」が重なり合わないことを祈るという、最低の悪行に手を染めていた。




