論理の終焉、あるいは軍師の宣戦布告
「……認めざるを得ないわね。……このバグは、もはや私の処理能力を超えているわ」
高城さんは、自室の暗闇の中で、自身の心拍数をグラフ化したタブレットを床に投げ捨てた。
佐藤くんと目が合うたびに上昇する血圧、彼が無意識に口にする「高城は頼りになる」という言葉への過剰な反応。
彼女がこれまで信奉してきた「理性的であること」という美学は、佐藤という名の、冴えないプログラマーの手によって完全にハックされていた。
一ノ瀬凛が世界を「美」で救ったなら、佐藤は高城さんの「孤独」という防壁を、無自覚な誠実さで物理的に破壊したのだ。
「……あんな、……ただのコードの書きすぎで目が死んでる男に、……この私が……」
彼女は鏡に向かって毒づいたが、その頬は、システムの暖房設定ミスなどではなく、内側からの熱量で赤く染まっていた。
逃げることは論理的ではないし、このまま凛の後塵を拝し続けるのも、彼女のプライドが許さない。
高城さんは、クローゼットの奥に隠していた、一度も袖を通したことのない「普通に可愛い」ワンピースを掴み出し、決然とした表情で袖を通した。
彼女にとっての告白とは、愛の告白などという甘いものではなく、自らの主権を相手に譲渡する、人生最大の「敗北宣言」であり「契約」だった。
リビングへ向かう廊下、高城さんは佐藤くんが一人でサーバーのメンテナンスをしている姿を捉えた。
「……佐藤、ちょっといいかしら。……世界OSの運用について、……重大な『論理的欠陥』を見つけたわ」
彼女の声は、かつての冷徹な軍師そのものだったが、指先は微かに震え、足元は慣れないサンダルで少しおぼつかない。
佐藤くんは作業の手を止め、怪訝そうな顔で彼女を振り返ったが、その瞬間、彼の思考プロセスは完全に停止した。
いつもはタイトな作業着か制服の彼女が、柔らかな素材の服を纏い、月光のような照明を浴びて、今にも泣き出しそうな瞳で自分を見つめている。
「……高城、……君、……その格好は……。……どこか、……システムに不具合でも……?」
「……そうよ、大アリよ。……この部屋の酸素濃度が低すぎるのか、……あんたの顔を見ただけで、……脳に酸素が行かなくなるのよ……っ!」
高城さんは、佐藤くんの胸ぐらを掴み、そのまま壁際へと力任せに押し込んだ。
彼女の「否定」の力は、今や言葉ではなく、相手を逃がさないための物理的な拘束力として発揮されている。
「……いい、一度しか言わないわ。……あんたが構築したこの平和な世界に、……私の『所有権』を登録しなさい」
「……えっ……、所有権って、……それ、どういう……」
「……結婚よ、この馬鹿! ……あんたの人生の全プロセスに、……私の論理を永続的に介入させろって言ってるのよ……っ!」
高城さんの叫びは、もはや告白という名の悲鳴であり、彼女が人生で初めて吐き出した「真実の言葉」だった。 佐藤くんは、至近距離で放たれた彼女の熱量に圧倒されながらも、その震える肩を、優しく、けれど力強く抱きしめた。
「……了解した。……高城の論理介入なら、……一生かけてデバッグ(付き合う)する覚悟は、……できているよ」
二人の距離がゼロになった瞬間、廊下のセンサーが「過度な接触」を検知したが、世界OSは気を利かせてアラートを鳴らさなかった。
影でそれを見ていた私は、満足げにカメラを構え、今度はシステムに邪魔されることなく、二人の「敗北」の瞬間を最高画質で記録した。
「……なるほど。……これでようやく、私の過保護なボディーガードも、一人の男に戻れたわけね」




