否定不能な心拍数、あるいは軍師の敗北
「……佐藤、あんたのその、……無神経なまでの『集中力』、本当に腹が立つわ」
宿舎のメインコンソールで、高城さんはキーボードを叩く佐藤くんの横顔を、苦々しく睨みつけていた。
世界OSの微調整を行う佐藤くんは、背後から向けられる彼女の視線に気づく様子もなく、ただ淡々と、冷徹な速度でコードを書き換えている。
その指先の動き、眼鏡の奥で鋭く光る瞳、そして時折、無意識に唇を噛む癖。
高城さんは、自らの脳内に生じ始めた「ノイズ」を、得意の論理否定で必死に抹消しようとしていた。
「……ありえないわ。……私が、こんな……万年賢者モードの、……プログラミング・オタクを意識するなんて」
彼女は自分に言い聞かせるが、佐藤くんが「……高城、ちょっとこっちを見てくれ」と不意に身を乗り出してきた瞬間、その論理は霧散した。
至近距離で重なる視線と、佐藤くんから漂う、微かなコーヒーとサーバーの熱気が混じった「男」の匂い。
「……ここ、……君が組んだ論理回路の、……この『遊び』の部分。……僕は、嫌いじゃないよ。……君らしくて、……すごく、……優しいと思う」
佐藤くんが、画面を指差しながら、いつも通りの無防備なトーンで、けれど決定的な賞賛を口にした。
高城さんの心臓が、まるで過負荷を起こしたサーバーのように、激しく、不規則なビートを刻み始める。
「……っ! ……な、……何を、……馬鹿なこと言ってるのよ、……あんたは……!」
彼女は反射的に椅子を蹴って立ち上がったが、あまりの動揺に足元がもつれ、バランスを崩した。
「おっと、危ない……っ!」
佐藤くんが咄嗟にその細い腰を抱き寄せ、高城さんの体は、彼の逞しい(意外にも鍛えられている)腕の中にすっぽりと収まってしまった。
「……っ……、離しなさいよ……っ、……この、……バカ佐藤……!」
口では毒づくものの、高城さんの体は、彼の体温を感じて硬直し、顔は耳の付け根まで真っ赤に染まっていた。
彼女の「否定」の波動は、今や自分自身の心拍数すら否定できず、代わりに熱い吐息となって佐藤くんの鎖骨のあたりに吹きかかる。
佐藤くんもまた、腕の中に収まった「最強の女軍師」の意外な柔らかさと、その震える肩に、初めて「異性」としての圧倒的な実体を感じ、言葉を失った。
その瞬間、室内のセンサーが「高城の異常な体温上昇」を検知し、世界OSが気を利かせて(?)部屋の照明をムーディーな暖色へと切り替えた。
「……おい、……高城。……君、……もしかして……」
「……黙りなさい……っ! ……何も言うな、……一字一句たりとも、……口に出すことは許さないわ……っ!」
彼女は彼の胸元に顔を埋めたまま、もはや論理もクソもない、ただの「恋する乙女」の悲鳴を上げた。
扉の影から、その光景をニヤニヤしながら眺めていた私は、静かにスマホのカメラを起動した。
「……なるほど。……世界平和の次は、……二人の間の『冷戦』の終結ね」
私がシャッターを切ろうとした瞬間、システムが「プライバシー保護」を発動し、私のスマホを強制シャットダウンさせた。
佐藤くんが設定した「一ノ瀬凛への過保護」が、皮肉にも、彼自身のラッキーな密会を守る盾となったのだ。




